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第10話 君が恋をした私たちの雅歌

『私の声は、これからも響く』


 ──この詩の断片が頭に浮かんだのは、駅前のカフェ「プリズム」のテラス席で、午後の暖かな日差しを浴びながら静雄の横顔を眺めていた時だった。


 文化祭から一週間。あの日、私たちが歌った『君の声が聞こえる街』の動画がSNSで拡散され、私たちの世界は一変した。フォロワー数は五万人を超え、コメント欄には「涙が止まらなかった」「この詩に救われた」という言葉が並んでいる。


 でも、それと同時に現れたのは、匿名の批判だった。


『所詮、学生の遊び』

『音程が外れてる』

『炎上商法?』


 そんなコメントを見るたび、胸が締めつけられる。SNSの光と影──私たちはその両方を受け止めなければならなかった。


「凛、今日は何を頼む?」


 静雄の声が、私を現実に引き戻す。彼の声は以前のような震えはないけれど、どこか疲れているようにも聞こえる。きっと、私と同じことを考えているのだろう。


「アイスコーヒーで」


「僕はホット。葵は?」


「フラペチーノ!……あ、ここカフェチェーンじゃないから、アイスティーで」葵が慣れた様子で注文を変更する。


 静雄が席を立って注文を取りに行く間、葵が私に小声で話しかけてきた。


「ねえ、静雄くん大丈夫?昨日のSNS、見た?」


「……見た」


 昨夜、ある音楽系インフルエンサーが私たちの動画に対してこんなコメントをしていた。『高校生の背伸び。本物の音楽を知らない』。それがリツイートされて、批判的な意見がまた増えた。


「でも、支持してくれる人の方が多いよ」葵が慰めるように言う。「それに、あのインフルエンサーだって、ただの嫉妬でしょ」


 そうかもしれない。でも、心に刺さった言葉は簡単には抜けない。


 静雄が戻ってくると、三人でしばらく他愛のない話をした。でも、どこかぎこちない。文化祭前のような、純粋な楽しさが薄れているような気がする。


「そういえば」静雄がアイスティーのストローを回しながら切り出した。「昨日、父さんから電話があった」


「お父さんから?」


「『音楽なんてやっても食えないぞ』って言われた」


 静雄の表情が暗くなる。


「でも、僕は答えたんだ。『食えなくても、やりたいんだ』って」


「静雄くん……」


「そしたら父さん、黙っちゃって。最後に『好きにしろ』って言って電話を切った」


 葵が心配そうな顔をする。


「それって、許可してくれたってこと?」


「分からない。でも、僕はもう決めてるんだ」静雄が私を見つめる。「凛と一緒に、音楽を続けるって」


 私の胸が温かくなる。でも同時に、不安も膨らんでくる。


「私なんかでいいの?」


「えっ?」


「だって、私はただの詩を書く素人で……音楽のことは何も分からないし……」


 静雄の表情が驚いたように変わる。


「何を言ってるんだ、凛。君の詩がなければ、僕は歌えなかった。君の言葉がなければ、僕は声を取り戻せなかった」


「でも……」


「凛ちゃん」葵が私の手を握る。「自信をなくしちゃダメよ。あの批判コメントのせい?」


 私は小さく頷く。葵がため息をつく。


「ネットの批判なんて気にしちゃダメ。本当にあなたたちの音楽に感動した人たちの声の方が、よっぽど多いじゃない」


「そうだよ」静雄も続ける。「昨日だって、見知らぬ人から『あの詩に救われました』ってDMをもらった。凛の詩は、確実に誰かの心に届いてる」


 私は二人の言葉に救われる思いだった。でも、まだ心のどこかがざわついている。


「場所を変えよう」静雄が提案する。「向こうの公園で」


 私たちは飲み物を持って、カフェの前にある小さな公園のベンチに移動した。桜の木の下、静かな場所で、静雄が口を開く。


「実は……僕、昨夜すごく悩んだ」


「悩んだって?」


「批判されることが怖くて、もう歌うのを止めようかって」


 私と葵は驚いて静雄を見つめる。


「でも、朝になって気がついた。僕が一番怖いのは、批判されることじゃない。凛を悲しませることだった」


 私の心臓がドキンと跳ねる。


「凛が詩を書けなくなったり、歌うことを嫌いになったりしたら、それが一番つらい」


「静雄くん……」


「だから、僕は続ける。凛と一緒に」


 静雄が私の手を取る。温かくて、少し震えている。


「僕も」私は彼を見つめる。「静雄くんと一緒なら、どんな批判も乗り越えられる」


「きゃー!」葵が小声で歓声を上げる。「やっと二人とも素直になったのね」


 私たちは恥ずかしくて顔を赤らめる。でも、心は軽やかだった。


「ねえ」葵が真剣な顔になる。「実は私にも話があるの」


「何?」


「私、ダンスをやめることにした」


 私たちは驚く。葵はダンス部の中心メンバーで、ダンスが大好きだったはずだ。


「なんで?」


「二人を見てて気づいたの。私、ダンスをやってるとき、誰かに見られることばかり考えてた。格好良く見られたいとか、上手いって言われたいとか」


 葵が空を見上げる。


「でも、二人が歌ってるとき、そんなことは考えてないでしょ?ただ、表現したいから表現してる。それが本当の創作だって気づいたの」


「じゃあ、これからは?」


「歌をやりたい。二人みたいに、心の底から表現できる歌を」


 私と静雄は顔を見合わせる。


「一緒にやろう」静雄が即答する。


「本当に?」葵の目が輝く。


「もちろん。三人なら、もっと素敵な音楽ができるはず」


 私も頷きかけて、ふと葵の表情に気づく。嬉しそうな笑顔の奥に、何か複雑な感情が見える。


「葵、本当に大丈夫?ダンスをやめるなんて」


 葵の笑顔が少し曇る。


「実は……小さい頃から、お母さんに『上手ね』って褒められるのが嬉しくて、ずっと完璧な自分を演じてきたの。でも二人を見てて気づいた。私、自分のために表現したことって一度もないかもしれない」


 静雄が真剣な顔で頷く。


「僕も同じだった。人に嫌われないように、目立たないように生きてきた。でも、凛の詩に出会って変われた」


 葵が小さく笑う。


「だから私も変わりたい。今度は、誰かに見られるためじゃなく、自分の心を表現するために」


 確かに、葵の明るさがあれば、私たちの音楽にも新しい色が加わるだろう。


 その時、私のスマートフォンが鳴った。通知を見ると、仁からのメッセージだった。


『お姉ちゃん、お母さんが泣いてる』


 私の表情が硬くなる。静雄と葵が心配そうに見つめる。


「どうした?」


「家に帰らなくちゃ」


 私たちは急いで家に向かった。玄関を開けると、仁が心配そうな顔で立っている。


「お姉ちゃん、お母さん、自分の部屋で……」


 私は母の部屋のドアをノックした。


「お母さん?」


「……凛?」


 ドアが開くと、母の目が赤く腫れていた。


「どうしたの?」


 母は少し迷ったような表情を見せてから、小さく口を開いた。


「お父さんと……話し合いをしたの」


 私の胸が詰まる。ついに、この日が来たのか。


「それで?」


「離婚の話も出たけれど……でも、もう一度やり直してみることになった」


 私は驚く。てっきり、離婚を決めたのだと思っていた。


「私、これまであなたたちに隠し事をしてた。でも、この前の文化祭を見て、あなたが堂々と歌ってるのを見て……私も正直にならなくちゃって思ったの」


 母が涙を拭う。


「お父さんに全部話したの。私の気持ちも、あなたたちへの思いも」


「お母さん……」


「まだ時間はかかると思う。でも、家族として、もう一度頑張ってみたい」


 私は母を抱きしめた。温かくて、少し震えている。まるで、子供みたいに。


「お疲れさま、お母さん」


 母が私の背中をそっと撫でる。


「凛も、好きなことを続けて。あなたの歌声、とても美しかったから」


 私は涙が出そうになった。ずっと隠してきた家族の問題が、少しずつ解決に向かっている。


 リビングに戻ると、静雄と葵が仁とゲームをして待っていてくれた。


「大丈夫だった?」静雄が心配そうに聞く。


「うん。きっと、大丈夫」


 私は彼らに簡単に状況を説明した。葵が安堵の表情を見せる。


「良かった。家族って、難しいけれど、大切だものね」


「そうだね」静雄も頷く。「僕も、父さんともう一度ちゃんと話してみる」


 仁が私の袖を引っ張る。


「お姉ちゃん、今度また歌って」


「今度?」


「学校の友達が、お姉ちゃんの歌をすごく褒めてたの。『感動した』って」


 私は嬉しくなった。批判的な声もあるけれど、私たちの歌を待ってくれている人もいる。


「今度、三人で歌うから、聞きに来て」


「本当に?やった!」


 仁が飛び跳ねて喜ぶ。その笑顔を見て、私は改めて決意を固めた。


 夕方になって、静雄と葵が帰る時、玄関で静雄が振り返る。


「凛」


「何?」


「僕、一つ決めたことがある」


「決めたこと?」


「次のライブで、僕も詩を書いてみたい。君と一緒に」


 私は驚く。静雄が詩を?


「書けるの?」


「分からない。でも、やってみたい。君に教えてもらいながら」


「もちろん」私は微笑む。「一緒に書こう」


「僕も手伝う!」葵が手を上げる。「三人の詩!」


 私たちは笑い合った。未来が、急に明るく見えてきた。


 二人が帰った後、私は自分の部屋で新しい詩を書き始めた。でも、ペンを持つ手が震えている。今日一日で色々なことがありすぎて、頭の中が整理できずにいた。


 静雄の告白、家族の問題、SNSでの批判、そして葵の新しい決意。すべてが私の中で渦巻いている。


 ふと、引き出しの奥にしまってあった古いノートを取り出した。中学時代に書いた詩が並んでいる。あの頃の私は、もっと純粋に言葉と向き合っていた気がする。誰に見られることも、批判されることも恐れずに。


『母の不倫を知った夜』

『父の帰りを待つ弟』

『声にならない想い』


 ページをめくるたび、過去の自分と向き合うことになる。痛みも、孤独も、すべてがそこにあった。でも同時に、希望もあった。いつか自分の声を取り戻したいという願いが。


 その時、部屋のドアがコンコンとノックされた。


「お姉ちゃん?」


 仁の声だった。


「入って」


 仁が顔を覗かせる。手には、小さな紙切れを持っていた。


「これ、お姉ちゃんに」


「何これ?」


 紙を開くと、仁の字でこう書かれていた。


『お姉ちゃんの歌、僕も好きです。がんばって』


「仁……」


「学校の友達が、『お姉ちゃんはすごい』って言ってくれたの。僕、嬉しかった。それで……」


 仁が少し恥ずかしそうに続ける。


「僕も、お姉ちゃんみたいに何か表現してみたいな。詩は書けないけど、ピアノとか……習ってみたい」


 私の胸が温かくなる。仁も、私たちに触発されて新しいことに挑戦しようとしている。


「素敵だと思う。お母さんに相談してみて」


「うん!」仁が嬉しそうに笑って部屋を出て行った。


『君の声が聞こえる街で』


 名前のない歌声が

 今日もどこかで響いてる

 沈黙のセッションを終えて

 私たちは歌い始めた


 告白はノイズの中で

 でも確かに伝わった

 君の心と私の言葉

 街角で出会った奇跡


 批判の声も聞こえるけれど

 それ以上に大きな愛がある

 誰かの涙を拭う歌

 誰かの朝を照らす詩


 弟の笑顔が教えてくれた

 本当に大切なもの

 家族の再生も

 友情の深まりも

 すべては繋がりの中で


 悲しませたくない人がいるから

 私は歌い続ける

 君の「怖いのは批判じゃない」

 その言葉が私の勇気


 私の声は、これからも響く

 君と一緒に、友達と一緒に

 この街で、この空の下で

 愛を込めて、希望を歌って


 詩を書き終えると、私は窓の外を眺めた。街の向こうに夕日が沈んでいく。美しい光景だった。


 でも、ただ美しいだけではない。この街には、私と同じように悩んでいる人がいる。静雄のように過去の傷を抱えた人、葵のように自分らしさを探している人、そして私のように家族のことで苦しんでいる人。


 私たちの歌は、そんな人たちに届くだろうか。届いてほしい。そして、少しでも彼らの心を軽くできたらいいな。


 スマートフォンを開くと、新しいメッセージが届いていた。見知らぬ人からのDMだった。


『あなたの詩に救われました。私も家族のことで悩んでいたけれど、あの歌を聞いて、もう一度頑張ろうと思いました。ありがとう』


 涙が滲んでくる。私の詩が、本当に誰かの心に届いている。


 他にも、同じような温かいメッセージがいくつか来ていた。一つ一つに丁寧に返信を書く。私の気持ちを込めて。


『こちらこそ、ありがとう。あなたのメッセージが、私の力になります。一緒に頑張りましょう』


 送信ボタンを押すたび、心が軽やかになった。


 批判もある。困難もある。でも、私たちの歌を待ってくれる人がいる。私たちの声に耳を傾けてくれる人がいる。


 私は心に誓う。私の声は、これからもこの街に響き続ける。静雄と一緒に、葵と一緒に、そして愛する人たちと一緒に。


 新しい物語が、今日から始まる。


 今度は三人で紡ぐ、もっと大きな歌を。


 窓の外で、街の灯りが一つずつ点り始めている。それぞれの光が、それぞれの物語を語っている。私たちの物語も、その一つだ。


 小さいけれど、確かに輝いている。そして、誰かの心を温めている。


 それで十分だった。


 私は机に向かって、明日歌う新しい詩を書き始めた。静雄と葵と一緒に歌う、希望の歌を。


 でも、書き始めてすぐに手が止まった。今日のことを思い出していると、ふと疑問が湧いてきた。私たちは本当に正しい道を歩んでいるのだろうか。


 SNSでの批判、父親の反対、音楽界隈の厳しさ。それでも歌い続ける意味はあるのだろうか。


 そんなとき、また部屋のドアがノックされた。今度は母だった。


「凛、少し話せる?」


「うん」


 母が部屋に入ってきて、私のベッドに腰を掛ける。


「さっき、あなたのSNSを見させてもらったの」


 私は緊張する。母は批判的なコメントも見たのだろうか。


「たくさんの人が、あなたの詩に感謝してるのね」


「うん……でも、批判もあるよ」


「それでも続けるの?」


 私は母を見つめる。その表情は、以前のような疲れたものではなく、穏やかで温かかった。


「続けたい。でも、正直怖い」


「怖いのは当然よ。でもね、凛。あなたの詩を読んで、私も勇気をもらったの」


「お母さんが?」


「ええ。特に『家族の再生』という詩。あれを読んで、私も諦めずにお父さんと向き合おうって思えた」


 私は驚く。そんな詩を書いた記憶があるだろうか。


「いつの詩?」


「三か月前よ。『Luna』で投稿してた」


 ああ、そうだった。あの頃、家族の問題で悩んでいた時期に書いた詩だった。


「あの詩があったから、今日お父さんと話し合うことができた。ありがとう、凛」


 母が私の手を取る。


「だから、続けて。あなたの声を必要としている人が、きっとたくさんいる。お母さんも、その一人よ」


「ありがとう、お母さん」


 母が部屋を出て行こうとした時、ドアのところで振り返る。


「今度、静雄くんと葵ちゃんも一緒に夕食を食べない?家族として、紹介したいわ」


 私は嬉しくなった。母が、私の大切な人たちを家族として受け入れてくれている。


 そして私は改めてペンを取った。今度は迷いなく書くことができる。


『新たな声』


 三人の声が重なって

 新しい歌が生まれる

 過去の痛みも

 未来の不安も

 今この瞬間に溶かして


 母の涙が教えてくれた

 言葉の持つ力を

 家族を繋ぐ詩の魔法

 愛を運ぶ歌の翼


 批判の嵐の中でも

 支えてくれる人がいる

 見知らぬ誰かの「ありがとう」

 それが私たちの宝物


 私の声は、これからも響く

 君の隣で、友の隣で

 家族の側で、街角で

 愛を歌い、希望を歌い

 誰かの明日を照らすために


 詩を書き終えて、私は窓の外を眺めた。街の向こうに夕日が沈んでいく。


 今日という日が終わろうとしている。でも、明日という新しい日が待っている。


 スマートフォンを見ると、静雄からメッセージが来ていた。


『今日は本当にありがとう。凛といると、僕は自分が好きになれる。明日から、また一緒に頑張ろう』


 私は返信を書く。


『こちらこそ。静雄といると、私も自分の声が好きになれる。明日、学校で会おう』


 送信した直後、葵からもメッセージが来た。


『今日は楽しかった!三人での初セッション、早くやりたいな。私、もう歌詞のアイデアが浮かんでる♪』


 そして最後に、意外な人からメッセージが届いた。仁だった。


『お姉ちゃん、今日はありがとう。僕、明日お母さんにピアノのこと相談してみる!』


 私たちの新しいスタートが、もう始まっている。そして、それは私たちだけでなく、家族全体の新しい始まりでもあるのかもしれない。


 窓の外で、街の明かりが宝石のように輝いている。それぞれの窓の向こうに、それぞれの物語がある。悩んでいる人、頑張っている人、愛し合っている人、夢を追いかけている人。


 私たちの歌が、その中の誰かの心に届けばいい。


 私は心に誓う。私の声は、これからもこの街に響き続ける。どんな批判があっても、どんな困難があっても、愛する人たちと一緒に歌い続ける。


 なぜなら、それが私の使命だから。私たちの使命だから。


 ──物語は続いていく。私たちの歌と共に。そして、愛する家族と共に。

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