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千年後の誓い〜移ろう心、移ろわぬ心〜

作者: 卯月 幾哉

 ――千年前。


 私たちが住む地球とよく似たその星では、人々から「星御子(ほしみこ)」と称される身分があった。

 星御子になれるのは、限られた血筋の素養の高い者だけだ。(かれ)彼女(かのじょ)らの多くは生まれながらにして、「星神(ほしがみ)」という世界を()べる神からの加護を(たまわ)る。


《――御影(みかげ)よ》

(はい。星神様)


 「御影」という名のその星御子は、歴代の御子の中でも特に高い素養(そよう)を持っていた。彼は星神と直接、言葉をやりとりすることさえできた。


其方(そなた)神域(しんいき)に招き入れたい》

(――!!)


 神域――それは文字通り、星神を初めとする神々が暮らす世界だ。

 そこに招かれることは、星御子にとって最大の栄誉だ。神に認められた、ということに等しいのだから。

 しかし、御影の胸の内では望外の栄誉に対する喜びと同時に、全く異なる感情が渦巻いていた。


《――人の世との別れもあろう。三日ほど待つ》

(……(かたじけ)のうございます)


 そう。

 神域に招かれるということは、人としての生が終わるということをも意味していた。


 ――彼女に、何と言えば……


 星神との交信の後、御影はしばらく自分の感情を持て余していた。



    †



「おめでとうございます、御影様」

綺羅(きら)……」


 綺羅という名の見目(みめ)(うるわ)しい女性は、もともと御影に仕える官女の一人だった。


「神になられたら、途方もなく長き時を過ごされることになるのですよね」


 御影は寂しげに微笑(ほほえ)む綺羅の背に腕を回し、固く抱き締めた。


「たとえどれだけ時が()とうと、貴女(あなた)のことを忘れはしない」

「御影、様……」


 御影と綺羅は、主従として長く過ごす内に次第に打ち解け、いつからか男女の情を交わすようになっていた。


「私も……何度生まれ変わったとしても、きっとまた貴方(あなた)を愛するでしょう」


 このときの綺羅の言葉に嘘はなかった。


 人は死んでも、魂は巡る。

 人と神――寿命は全く異なる存在だが、魂が()かれ合う二人ならば、きっと再会できるはずだ。


 御影は、互いの心がぴたりと一致していることを、この上なく嬉しく思った。


「神域へ行った後、次にこの星を訪れるのは千年後という話だ」

「それでは、また千年後に……」

「ああ」


 再会を誓い合う二人は、この時代における最後の一夜を共に過ごした。



    †



『よくぞ来た。御影よ』

「はい……」


 星神との約束の日を迎えて。

 御影は人としての肉体を捨て、魂のみの存在となって神域に至っていた。


 星神は、御影の意気が沈んでいることに当然のごとく気づいた。御影は数時間前に現世と別れを告げたばかりなので、それも無理からぬことと理解していた。

 そこで星神は、(あるじ)として御影に(おもんばか)りを示すことにした。


『人の子と約束をしたようだな。なに、千年程度は(またた)く間に過ぎよう』

「……左様ですか」

『うむ』


 星神にとって、それは事実だった。

 星神の力によってこの世界が産声(うぶごえ)を上げてから、ゆうに百億年以上の時が過ぎていた。


 とはいえ、御影の年齢は二十歳を少し過ぎたばかりだ。千年や億年と言われても、とても実感が湧くものではなかった。


 星神は、自分の言葉が慰めにならないことを悟りつつ、気を取り直して話を続けることにした。


『……さて、これから永く余に仕えてもらう其方に、眷属(けんぞく)を与えよう』

「眷属……?」

(しか)り。――ここに()れ』


 星神がそう言って手をかざすと、虚空(こくう)からふっと小さな光が現れ、ゆらりと御影の方へ近づいて来る。


 それは御影と同じ魂だけの存在だが、赤ん坊か動物のように幼い精神のようだった。御影の魂が人間であった頃の姿をそのまま保っているのに対して、その魂はふわふわと形が定まっていなかった。


 続く星神の言葉によって、その魂の来歴の一端が示される。


『ちょうど千年前に眷属にしたのだが、神としては未だ幼い。大人しいゆえ、其方とは相性が良かろう』


 ――家来のようなものか。


 あるいは、星神に代わって己がこの幼き魂を養育して立派な神に育て上げることを求められているのかもしれない。……御影はそう思った。


「ありがとうございます」


 星神の真意はさておき、御影に否やはなかった。

 人の世に別れを告げた己にとって、寂しさを紛らすための良い相手になるだろう、と見当がついた。それは、星神の(ねら)った通りだった。


『長く共に過ごせば、其方が望む通りに姿形も変わるであろう』

「そうなのですね」


 御影がその魂を受け入れると、それはちかちかと光を瞬かせた。まるで喜びを示しているようだった。


「この者の名は何と言うのですか?」

『名前か……。元の名はあるが、其方が新しく名付けるのが良かろう』

(かしこ)まりました」



 御影は、その眷属に「小夜(さよ)」と名前を付けた。

 小夜は、新米の神となった御影に仕える忠実な(しもべ)となった。


 それから、千年。



    †



「もうじき、御影(みかげ)様の故郷の星ですね」

「ああ……」


 小夜の言葉に、御影は物憂(ものう)げな様子で(こた)えた。


 二柱がいるのは神域と人界の間にある「星海(ほしうみ)」と呼ばれる領域だ。茫漠(ぼうばく)と広がる星海の中、二柱は星々の間を巡る方舟(はこぶね)に乗って世界を渡り歩いていた。


 この千年で、小夜の姿は愛らしい少女のものへと変貌(へんぼう)()げていた。それは、御影が眷属となった彼女に惜しみなく注いだ親愛の情が結実したものだった。


「――御影様?」

「すまない、小夜。少しの間、独りにさせてくれないか」

「……かしこまりました」


 しかし、近年の御影はあえて小夜を遠ざけることがあった。――まるで、これ以上距離が縮まることを恐れるように。


 小夜はそんな御影に対して何も問うことなく、その場から姿を(くら)ませた。


綺羅(きら)……やっと君に逢える……」


 方舟の一室で独りきりになった御影は、ぽつりとそう(つぶや)いた。



    †



 それから程なくして、御影は千年振りに故郷の大地に足を下ろしていた。

 神たる御影は、ふだんは物理空間上に実体を有してはいない。しかし、この千年で身につけた権能によって、下界で活動するために仮初(かりそめ)の肉体を形作ることができた。


随分(ずいぶん)と様変わりしたものだ」


 千年前と寸分変わらぬ外見となった御影は、人々の奇異を見る目も意に介さず、都会の街並みを悠然(ゆうぜん)と歩く。

 そこでは自然の緑は失われ、天を()くような人工の建物が林立し、広い通りを鉄の箱が目まぐるしく行き()っていた。


 御影は、懐かしい故郷の面影(おもかげ)が失われていたことに寂寞(せきばく)の念を感じた。とはいえ、神として幾多の星を見てきた経験から、心に受けた衝撃は然程(さほど)でもなかった。


「さて、――」


 御影は目を閉じ、意識を()()ませる。


 たとえ人の(いとな)みが変わっても、その魂の在り方は変わらない。

 想い()がれた魂を宿した存在を、御影はすぐに見つけることができた。



    †



 一夏(いちか)というのが、今世のその少女の名前だ。


綺羅(きら)


 一夏にとって、その出会いは唐突だった。


 繁華街(はんかがい)を抜け、人通りが(まば)らになったところで、見たこともない男性が目の前に現れた。


 この日は休日で、一夏は地元を離れてこの街で買い物を楽しんでいた。本当は友人と約束をしていたのだが、友人の体調不良で一人になってしまった。


 そんな折、突然一夏の前に現れた男性は花形役者さながらの美形だった。しかも彼は、一夏が創作物の中でしか見たことがないような古風な衣装を着ていた。


(うわっ、すごいイケメン! ……――ってか、誰?)


 声を掛けられたことを認識した一夏だが、まさか自分のことだとは思わなかった。「キラ」などという名前に心当たりはないので、それも当然だ。


 一夏は後ろを振り返った。しかし、そこには誰もいない。

 再び前を向くと男――御影が間近に迫っていたので、少女は思わず(まぶ)しいものを見たかのように手をかざした。


「わわっ」


 その手を、男性――御影が掴む。


「綺羅、やっと逢えた」

「えぇっ!?」


 急に見知らぬ男から手を掴まれた一夏は、驚いて身を引き、御影から距離を取った。手はそれほど強く握られてはいなかったので、あっさりと離すことができた。


「い、いきなり何ですかっ! ――っていうか、私の名前はキラじゃありません!」


 一夏は御影の不意打ちに(あわ)てながらも、はっきりと不機嫌を(あら)わにした。

 いかに美形の男とはいえ、常識を履き違えたような相手と関わりを持ちたいとは思わなかった。


 一夏にはっきりと拒絶の意思を示され、御影の表情はみるみる内に(くも)った。――今にも雨が降り出しそうなほどだ。

 その表情を見て、一夏は胸がちくりと痛んだ……ような気がした。


「憶えて、おらぬのか……」


 御影は眉根を寄せつつ、苦しげに言葉を吐き出した。


 しかし、それを聞いた一夏の心は、すっかり冷え切ってしまった。


(……あ、駄目だ、この人。関わっちゃいけないタイプだ)


 初対面の男性が「自分のことを覚えていないか」と()いてくる――これは一種のナンパの手口に違いない――一夏の脳裏で、そんな直感が働いた。

 この時点で、一夏は完全に御影に見切りをつけた。


「――知りません。あなたとは初対面ですし、この先もう二度と会いたいとは思いません」


 一夏はそうきっぱりと告げると、くるりと(きびす)を返した。

 本当はこの先の小洒落(こじゃれ)たカフェに行ってみたかったのだが、今は一刻も早くこの場を離れるべきだと思った。


「ま、待て……!」


 しかし、御影が追いすがる気配を見せたので、一夏は足を止めて振り返り、携帯を片手に構えた。


「ついて来たら、警察呼びますよ」


 そう言われて、御影は動きを止めざるを得なかった。


 足早に去っていく一夏の背中を、御影は呆然と見送った。



    †



「お帰りなさいませ、御影様」

「あぁ……」


 小夜の待つ方舟に戻った御影は、まるで魂が抜けたかのようだった。


 小夜は、下界で起こった出来事について何も(たず)ねることはしなかった。彼女は悄然(しょうぜん)(たたず)む御影の手を引いて部屋へと導き、神気(じんぎ)を整える薬効を持った茶を用意して、主の(そば)(ひか)えた。


 そのまま、しばらくの時が流れた。


「――――私は、愚かだったのだろうか……」


 窓の向こうに果てしなく広がる星の海を見つめつつ、御影は()め息のような言葉を漏らした。

 彼が一夏――綺羅のことを引きずっているのは明白だった。


 そんな御影に対し、小夜はつんと取り澄ました様子で言葉を返す。


「愚かなのは、あの女子(おなご)の方でございましょう。御影様の寵愛(ちょうあい)無碍(むげ)にするなど、愚昧(ぐまい)の極みかと」


 その辛辣(しんらつ)な言葉に、御影はハッとして小夜を見た。

 小夜はあえて御影を見ないように、彼方に顔を向けていた。


(――不機嫌なのだろうな……。問えば、否定するだろうが……)


 付き合いの長い眷属のことだ。御影には彼女の心情がなんとなしに察せられた。

 しかし、言葉にすれば同じ「不機嫌」というものであっても、御影が小夜から感じ取った思いは、下界で一夏から受けた強い拒絶の念とはまるで違っていた。


 押し殺した小夜の感情の奥底に、御影は温かな想いが芽吹(めぶ)いているのを感じ取った。それは近年、千年の約束の時が迫ってから、御影があえて気づかぬように振る舞ってきた想いだ。


 それに気づいた御影は、フッと小さく苦笑した。


「……そう言ってやるな。憶えておらぬものは仕方がない」


 御影の口から、自身でも驚くほど穏やかな声が出た。

 御影は、自嘲(じちょう)するような言葉を続ける。


所詮(しょせん)は人と神。交わらぬ運命だったのだ」

「……」


 小夜の返事はない。

 しかし今の御影にとって、それはどうでも良いことだった。


(――ああ。やはり、私は愚か者だ)


 御影は自分で自分の変心に呆れながら、立ち上がって小夜の肩に手を置く。


 ……この千年、片時も離れることなく傍にいてくれたのは誰だったか――。


「小夜よ」

「はい」


 小夜は相変わらず、顔を背けていた。

 御影は腰を(かが)め、そんな彼女と無理やり目を合わせた。


「――其方は、これからも私の傍にいてくれるか?」


 小夜の瞳は、月のような静謐(せいひつ)な輝きを放っていた。


「はい。小夜は、これからも御影様のお傍におります。千年でも、億年でも」



(了)

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