瞳の色
大体のことはなんでもできる。要領がいいの、道筋を立ててしまえば、その思い通りにできた。そう言ったアイリーンはちっとも誇らしげでも自慢げでもなく、ただ単に事実を話す口調である。
そしてその通り、アイリーンは大抵のことを卒なくこなす。それは王都にいた時のアイリーンの噂でも、処刑対象としてまとめられた書簡でも分かっていたことだが、一つも不器用な面が見当たらない。言動に澱みがなく、甘くもなく、ぶれない。公爵家にいた時は人を排除するような刺々しさがあったが、今はそれも抜けている。
ただ自立した女性がそこにはいた。
ユーリスは最近気がついたが、アイリーンは人を頼るという前提がない。何事も助けを求めず、一人の力で為そうとする。それは頑固さというよりも身に染み付いているものであった。
彼女は誰にも助けを求めない。ユーリスに処刑を見逃してくれと言ったことは一度もなかったように。
「大概のことは完璧にできてしまうの。だから逆につまらないわ」
アイリーンは少しだけおどけた調子でユーリスに言った。
手には商店で買った必要雑貨類が数点ある。野菜などの重いものは二歩後ろを歩くユーリスが引き受けていた。もうすっかりと馴染んだ二人の組み合わせに、いい加減村人たちも慣れてきたようではある。ただ、やはりユーリスに向ける目はどことなく熱を孕んでいるけれど。
「貴女は魔法が使えることを暴露しても魔法を使わないんですね」
「元々あまり使わないわ」
「王都にいる時はむしろ魔法学が好きだったと」
そういえば、前を歩いていたアイリーンの歩みが止まる。アイリーンは少しだけ沈黙してから、振り返って「とっておきは見せない方がいいのよ」と笑いを滲ませていう。
それは、嘘か真か分かりづらい言い方だった。アイリーンはこういう駆け引きが上手い。
未だユーリスはアイリーンが何故魔法が使えることを隠していたのかという理由を探し当てられずにいた。
フゥ、と諦めるように息をついてからユーリスは「では貴女が苦手なことは?」と話を切り替えるように聞いた時だった。
アイリーンとユーリスの間を、子供達が駆け抜ける。
いつもアイリーンを見かけてはちょっかいを出してくる、村でも評判の悪戯っ子たちだった。彼らはあの時のようにまた、目尻まで深く被っていたアイリーンの帽子を下から弾き飛ばす。
ふわりと帽子は舞い上がり、そして運が悪いことにちょうど強風が吹いて瞬く間に帽子は吹き飛んでしまった。
それに悪戯っ子たちはきゃっきゃっと喜び笑い、そのまま走り去って行く。一連の流れにさすがのアイリーンもユーリスも閉口した。
長い前髪はそれでも彼女の顔を隠すように覆い、表情を直接伺うことはできなかったが目を眇めた、気がした。
そして、やや間があってからアイリーンはため息をこぼすように呟く。
「苦手なものね……人心掌握かしら」
◇◆
飛ばされた帽子をアイリーンは気にした様子もなく帰ろうとした。どうせ家には似た帽子などスペアがあるのだからと。
ユーリスがそれでも気に掛かった帽子を取りに行くといえば、呆れたような雰囲気を出して「本当に貴方は人がいいわね」と言いながら自分は塔へと去っていく。見事に口と行動が相反していた。
ユーリスは苦笑しながら、大分勢いよく飛ばされた帽子の行方を追った。
帽子は林の中に紛れるよう、背の高い木の枝に引っかかっていたが、真っ黒い帽子は昼間の陽気な木々の中には異端な存在で見つけるのは容易だった。
さて、木登りをするか。それとも何か棒でもぶつけて落とすか。ユーリスが考えながら帽子の下に立っていた時だった。
がさりと人が近づく音が聞こえる。敵意はない、どころか落ちた枝を踏みしめる音は無防備でいて軽いものだ。――子供?当たりをつけながら振り返れば、そこにいたのは以前からアイリーンに悪戯を繰り返す少年団の一人だった。
いつも少年団の後ろを歩き、唯一アイリーンに済まなそうにする少年は、ユーリスと目が合うと気まずそうに、うろと目を逸らした。
ユーリスはアイリーンが怒ってもいないことで、狭量に少年を叱りつける気は毛頭ない。ましてや、この少年はどちらかというと他の少年たちの悪戯を止めていた節さえあった。
「アイリーンはいないけど、謝りに来たのかな?」
「………次、来た時、帽子返そうと思って……」
「そう、………じゃあちょっと協力してくれるかな?」
ユーリスと同じく、帽子を回収しに来たらしい少年を見てから少し考えたユーリスは徐に少年を持ち上げた。「わぁ!」少年が驚いた声を出すが、少しの罰だと思ってほしい。それに、この少年もどこか謝りたそうな顔をしていたしちょうどいいだろう。
ユーリスが笑って少年を持ち上げて、そのまま肩に乗せた。肩車の体勢になって、少年は驚きながらもユーリスの真意がわかったらしい。
「支えてるから、そのまま俺の肩を立ってごらん。大丈夫。落とさないから怖がらないで」
「……こわくなんか……」
むっとしたように少年が言い、するするとユーリスの肩に立つ。あっという間に木の枝に引っかかったアイリーンの帽子に手を伸ばし、それを掴むとユーリスの肩から飛び降りた。悪戯が好きな少年らしい軽い身のこなし方だ。
「お見事」とユーリスが軽く笑いながらいえば、鼻を鳴らして少年はユーリスに帽子を渡す。
「あいつに、……悪かったって言っといて」
「わかった」
無駄口を叩かずに、ただユーリスが承諾をすれば少年はいくらかユーリスに対しての警戒を緩めたようだ。
「……騎士様は、あいつを連れてくの?」
「それは、どういう意味?」
「あいつ、どっかから来たお姫様なんだろ、本当は。だから、騎士様みたいのが迎えに来たんだろ?」
少年が口をモゾモゾと小さく動かしながらいう。ユーリスは否定も肯定もせず、ただ少年に微笑んだ。
「この村の人々はみんなそんな風に思ってるのかな?」
「……俺みたいに思ってる奴もいれば、騎士様に追われてる魔女で監視対象なんだって言ってる奴もいる……。この村の奴らは、あの塔に住む人間の事情を追うことは禁止されてるから、表立ってはあいつのことをなんにも言わない」
アイリーンが迫害も、必要以上な干渉も受けないのはそういった事情だったことは、なんとなく察していたがやはりか、とユーリスは笑顔の裏で思う。
元々あの塔は王族が何かしらの事情を抱えて幽閉する際に使っていた塔だ。村人にそういったお触れを出すのは頷ける。ましてやここは王都から程遠い、国境の境の僻地だ。王都からの噂話などほとんど遮断されていると言っても良い。都合のいい村を王族がそれとなく用意したのだろう。
「あいつは魔女なんかじゃないのに……」
ユーリスが冷静にこの村の情勢を読んでいる間、少年はぽつりと溢す。それにユーリスが振り返れば、少年はどこか熱に浮かされたように空を見上げていた。
「一度だけ、たまたまあいつの顔を見たことがあるんだ。顔に傷なんかひとつもない。なんで隠してるのかわかんないくらい綺麗な顔だった」
初恋に浮かされたような顔だ。一度だけ見たという、その顔を思い出しているのだろう。
罪作りな人だなと苦笑いをしながらも、ユーリスに王都にいる時に見かけた顔を思い出す。毒々しさを孕みながらも美しさを持った顔だった。今は、あの時ほど苛烈な毒々しさはない。それは村人である少年にはむしろお誂え向きの美しさであったのだろう。
「とくに目が、綺麗だった。またあの青い目を見たいんだ、俺」
「………青?赤ではなく?」
ユーリスは、少年に消えこえるかもわからないような小さな声で呟いた。
ユーリスの記憶の中の彼女の目は、真っ赤な瞳だった。それこそ、見間違えようもない鮮やかで綺麗な、ルビーのような瞳だったのだ。