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森の魔女①

ユーリスがこの辺境の地にやってきて、緩やかに一週間が過ぎた。

ユーリスはアイリーンとの対話を求め、四年前の様子や現在の生活について聞いていく。食事中、お茶会、ともすれば村へ向かっていく道すがらと場所を選ばず、そして二人の話ぶりだけ聞いていれば穏やかなものだ。この様子を見て、まさか処刑人と執行対象の間柄だとは誰も思いはしないだろう。尋問や事情聴取というには、あまりに雑談めいている。

ただ、騎士団の隊員たちは何も言わなかったし、ユーリスを急かすこともなかった。長年の付き合いの上、少数精鋭の部隊。ユーリスの酔狂にも見える任務への在り方は皆理解して着いてきているのだ。国の隅から隅まで駆け回り、故郷に帰ることも少ない。その分彼らの団結力は強かった。

ましてや、ユーリスという男が一見するとただの優男に見えても、その実厳しい目を持ち、非常に優秀な男だということもよく分かっているのだ。




「アイリーン、今日はどちらへ?」

「庭園の薬草の育ち具合を見てから、村に下るわ」

「なら、俺も共に行きましょう」


一週間もすればアイリーンも慣れたもので、ユーリスを見るだけで嫌そうな顔はしなくなった。ただ肩をすくめて「ご苦労なことね」と呟くのみだ。

隣に並び、アイリーンの荷物をさらりと奪って歩く、人好きのいい笑顔を浮かべた男。皆こういうところに油断し、いつのまにか心を許し自分の罪も何気なく男に話してしまうのだろうとアイリーンはどこか冷静に思った。

タチが悪いことに、このユーリスという男は別に親切な男を演じているわけではない。真に親切なのだ。まあ、変わっている男ではあるけれど。



◇◆


昨日より今日の方が寒いと如実に感じる季節。秋が深まり、もうすぐ冬が来る気配を感じる。

落ち葉をさくさくと踏み締め、アイリーンは慣れた足取りで馴染みの森を進んでいく。

アイリーン自ら整えた薬草の庭園は、そこそこに規模が大きい。もちろん自生された野草を取りに行くこともままあるが、オーソドックスに売れる風邪薬や鎮痛剤に使う薬草に関しては一定量が蓄えられるよう、こうやって庭園で管理していた。


「何度か見させてもらいましたけど、綺麗な庭園ですね」

「ほとんど薬草や野菜ばかりの、実用的な庭園だけどね」


アイリーンは言いながら屈み、薬草周りの不要な雑草を抜いたり、肥料を撒いたりと手を動かし続ける。ユーリスは手伝おうか迷ったが、見様見真似で手伝ったところで邪魔な手だと嫌がられそうだなと静観することにした。

背を丸めながら土いじりをする姿は、随分と小さく見える。

彼女が言うよう、庭園は薬草や野菜といった彼女の生活の下、実用的なものばかりだ。ただ、そればかりではない。

薬草にも野菜にもならない、ただの花だって植えてあった。手を掛けて、しっかりと。


それを植えることができたのは、果たしていつからだったのだろうとユーリスは考えた。

彼女がこの地でしっかりと足をつけ、生活に僅かに余裕ができて、花を植える――それは、どのくらいの年月が経ったあとだったのだろう。花を初めてこの地に植えた時、彼女はどんな気持ちだったのだろう。


「大変だったでしょう?ここまでにするのは」

「そうでもないわ、知識はあったし。私って結構器用貧乏で凝り性なの」


しかし、ユーリスの言葉にアイリーンは首を振った。


初めてここに一人捨て置かれた時、アイリーンは何を思ったのか、実はよく覚えてない。遠い昔のように思い出せないのだ。

奇妙な開放感があった気もするし、もしくは王都から追放された自分の結末に対しての失笑、悲しみや怒り、漠然とした孤独感。

ただ、アイリーンはそれからの一人の生活というものに忙殺されて、あまり長いこと感慨に浸かることができなかった。ある意味で、その期間が人生で一番前向きに生に向かっていたと思う。

自分で一から基盤を整えなければ、明日の生活もままならない。一人きりの生活というのは食事を作るのも掃除をするのも洗濯をするのも、ましてや明日の食い扶持を用意するのも、一人で切り盛りするということだ。

幸にしてアイリーンには知識があり、聡明であった。学園へ通っていた時に薬学にも興味を持ち、授業以上には薬草や薬学の知識を得ている。更に、古城の埃被った図書室には薬草やこの土地に関する資料が少なからず存在していた。それを駆使してアイリーンは試行錯誤を重ね、今の庭園を作っていったのだ。

開拓することに比べれば、それを維持するのは大した労には感じない。


今更、アイリーンはあの時の孤独を、一人で城や森の生活基盤を整えていった時の苦労を、誰かと分かち合おうと思わない。

もう彼女にとっては全て終わったことだ。

だからアイリーンはユーリスのどこか同情めいた声にも靡くことなく、すっと立ち上がることができる。そうして、後ろを振り向かないまままた歩き出す。今度は村へと向かうために。


アイリーンはいつも迷わない、澱みない。

そんな彼女の背にユーリスは声を掛けようとして、小さく頭を振る。言い掛けた言葉を飲み込んで、代わりにその背を追いながら苦笑気味に語りかけた。


「アイリーンは歩くのが早いですね。いつも淑女らしかぬ早歩きだ」

「淑女はそんなに急か急か歩くものではないのよ。でも今の私は重たいドレスも、高いヒールも履いてないから。ただの薬屋の女。足枷がなくなれば、走ることもできるわ」


そういって、アイリーンは口の端を上げて見せる。それは、とうに吹っ切れた者が見せる力強いものだ。

ユーリスは、何か眩しいものを見るかのように目を細めた。あとは沈黙し、森の道中では何か話しかけることはなかった。




村に行けばアイリーンは快く迎えられる、というほどでもないが挨拶をされて無視をされることもない。ただ、最近に至ってはなかなか王都でも見かけることがないようなレベルの見目のいい男――ユーリスを伴うことが多いため、非常に注目を浴びていた。

女性であればどんな年齢の者でも顔を赤らめてぽーっとした表情に変わるのが大半であるし、男性であればあまりに場違いの美貌にギョッとした顔をするか、上等な騎士団の格好をした男を何か探るような目をするかである。

ほとんど領地としては成り立っていないような、王家がほぼ介入することがない小さな村だ。平和なだけが取り柄で、王都から来ようとすれば馬車でも二週間は掛かる。

浮いた話も華やかな娯楽もない村で、明らかにユーリスは異質だった。


アイリーンはユーリスに向けられる視線をあえて無視して、突っ切るように馴染みの薬屋に向かう。店主もアイリーンが来ると挨拶もそこそこにしながら、卸される風邪薬と鎮痛剤、その他単品で頼んでいた薬類を検品していく。

この店主は落ち着いた性格をしていた。初めてユーリスを連れてきた時は一瞬ぎょっとした顔をしたものの、以降はユーリスに興味を持つことも触れることもない。そんなところがアイリーンとしても付き合いやすかった。

この店主だからこそ、余所者のアイリーンの薬をはじめに手に取ってくれたのだろう。


「今回も品質は問題ないな。素晴らしい」

「よかったわ。じゃあ、今回の値段なのだけれど。先週分より10%の値上がりを要求するわ」


アイリーンがキッパリといえば、店主は露骨に嫌な顔をした。だが、すぐに諦めたように受け入れる。もう幾度も繰り返された値上げ、値下げの交渉はこうして季節、気候が変わる度に行われているのだ。

この村は四季がはっきりしていて、寒暖差も激しい地域だ。本格的な寒さが訪れ、雪に閉ざされればいよいよこの地域は王都からの物資が滞る。かろうじて豪雪を越えて物資が来るのは一月に一回のみ、加えて豪雪を越えるための労力も人的コストも掛かるわけだから、王都から卸される商品は冬季は跳ね上がる。

そのため、アイリーンが卸値を10%上乗せしようとも王都の薬よりも安い価格で薬は手に入るのだ。店にとっても悪いばかりの話ではない。まあ、面と向かって値上げの話をされて嬉しそうにする商人もいないから、嫌な顔はされるわけだが。


「わかったよ……。毎回しっかり時勢を読むね……」

「こっちも商売だから」


冬になる盛りは、アイリーンにとっては良い収入になる時期だ。

アイリーンが少し笑っていえば、店主も最後には苦笑いで返した。



そうしてアイリーンが満足しながら、店を出ればユーリスも勿論続く。

アイリーンの足取りは、心持ち行きよりも軽やかだった。予想していたよりもすんなりと値段交渉が終わったからだろう。村の端で、密やかに笑うアイリーンにユーリスが声をかける。


「この地で薬師をやろうとしたのは、村内に薬師がいないことを把握した上でですか?」

「そうね。ここみたいに小さな村でも村医者がいたり、もしくは王都から医師が派遣される例は少なくない。けど薬自体は王都や外から来た外商から輸入するのが大半だわ。小さな村には学校がない。薬学を学べる機会が与えられないからね」


アイリーンは、問われたことは澱みなく答える。まるで聞かれることを予期しているかのようだ。だからユーリスとしても会話のストレスを感じることはない。

しかし、それが心地いいと感じるのに、どこか歯痒さを感じる時もあるのは何故だろうとユーリスは自問した。


二人の間に、幾許かの沈黙が流れたその後だった。まるで静けさを切り裂くように、村の子どもたちが駆けてきたのは。


「森の魔女が来たぞ!」

「森の魔女!森の魔女!顔を隠した森の魔女!お前の素顔は傷だらけ!悪いことして罰で傷物!追放された森の魔女!」

「お、おい、やめろよ……」

「ははは!」


まだ年端もいかない村の子どもたちは、そう言いながらアイリーンの横を走り抜けていく。その時、イタズラに笑った少年の一人がアイリーンの帽子を下から捲り上げるよう叩いた。

突然のことにアイリーンは対応できず、帽子はそのままふわりと舞い上がり、アイリーンの頭から離れていく。

地面に落ちたそれをユーリスがすぐに拾い、アイリーンに渡せば、呆れたように肩をすくめさせた。


「子どもっていうのはイタズラというか、残酷というか……」

「叱りに行きましょうか?」

「いいわ、わざわざ。あの子達がからかってくるのはいつものことよ」


アイリーンは手渡された帽子を手に取ったが、身につける気はなさそうだった。軽いため息をついてから、前髪をちょいちょいと弄る。

アイリーンは最初の三日ほどは室内でも帽子を離さなかったが、今では古城の中では帽子はしていない。ただし、その分厚い前髪はそのままで、彼女の素顔はユーリス一行は見たことはなかった。


アイリーンは貴族位を剥奪され王都追放とはなったが、それ以外に罰を受けたという記録はない。

しかし確かに彼女は自分の素顔は晒そうとは頑なにしていないのだ。元々素顔にコンプレックスがあるとは思えない。彼女の美貌は、人にコンプレックスを抱かせる側のものだった。

ではやはり、この四年の間に何か不慮の事故で顔に傷でも負ったのだろうか。ユーリスがそんなことを考えていると、その心を読んだよう、アイリーンがユーリスを振り返る。


「見たいの?森の魔女の素顔」

「…………見せてくれるんですか?」


アイリーンは喉で少しだけ笑って、そっと自分の前髪を掻き上げた。ここに来てからずっと見ることができなかった彼女の素顔が、呆気なく晒される。

彼女の顔に傷なんかひとつもなかった。

透き通るような白い肌。均整の取れた目鼻口。そして静かに閉じられた瞳、長い睫毛は顔に影を作るほどだ。


やはり、綺麗だ。今まで出会った誰よりも。

ユーリスが息を呑み、アイリーンの顔に釘付けになっているのを理解しながら、アイリーンは前髪をまた戻す。

見せるのもあっという間なら、隠すのもあっという間だった。


「噂話なんて適当になものだわ」


そういって、走り去っていった子どもたちの方を眺めながらアイリーンはぽつりと溢すように呟く。


アイリーンは顔に傷なんかない。けれど彼女は顔を隠して生活をしている。

王都近くの夜会ではアイリーン・ミラーという悪女の話は今でも話の種として囁かれることはあっても、ほとんど領地としては見放されるような辺境地では身近な貴族はそうそういない。

では彼女は、何のために顔を隠す生活をしている?


ユーリスが聞いても、きっと今の彼女は答えをくれないだろう。そんな気がした。

ユーリスの考えを肯定するよう、アイリーンはユーリスの手から帽子を受け取り被ってしまう。まるで仕舞い込むように。

アイリーンはおどけたように「そういえば」と露骨に話を変えた。ユーリスは何も思わないでもなかったが、諦めて彼女の話題転換に乗ることにする。


「首切り処刑人の歌はこの田舎村でも伝えられてるわよ。悪いことやイタズラばっかりする子には、処刑人がやってくる、ってね」

「………寓話扱いですか」

「物騒だけれど、分かりやすい啓示になるでしょう」


確かにこの国を津々浦々渡り歩くユーリスの騎士団は有名だ。その渡り歩く理由がほとんどは処刑人を追って断罪するためだというのも。

だから彼らは領地の先々で忌み嫌われたりすることもあったり、アイリーンがいうように勝手に寓話扱いされることもあることは知っている。だがまさか、こんな辺境の地でさえ名が轟いてるとは。

とはいっても、村の様子を見れば、さすがに具体的な名前や、ユーリス自身のこととまではわかっていないようではあるが。


今度はユーリスが肩を竦ませると、アイリーンは口元を少しだけ緩ませた。

その顔は、きっと公爵令嬢として在った彼女では他人に見せなかったであろう、力の抜けた物だ。


一週間、ユーリスは彼女と行動を共にした。彼女が此処で四年間過ごした末に手に入れた生活を見るために。

その結果、アイリーン・ミラーという公爵令嬢は確かにもうどこにもいないのだとユーリスは理解した。


ユーリスはアイリーンの肩にかけられたバッグへ目を向ける。そこには先ほど店に薬を卸した報酬の代金が入っているだろう。

公爵家にいた時は箸にも棒にも掛からない端金だ。しかし、今はアイリーンの日々を支える立派な収入となっている。薬草の採取から、薬作り、そしてそれを卸すことまで全てやり遂げてやっと手に入る収入。


「貴女は利益を大事にしますね。やはり利益が見込めないことには後発に続かないからですか?」

「ただの聖女に対する反発心よ。聖女はそれこそ無報酬が鉄則でしょう。だから、そんなものはクソ喰らえだと言いたいだけ。……貴方、随分良いように私を受け止めてくれるのね」


アイリーンはユーリスの方を見ないまま、少しだけ笑い声を漏らした。それが、嬉しさからなのか、あるいは甘いと言外に告げる嘲りからなのか、絶妙に濁す笑い方だ。

ユーリスはどちらなのだ、と問い詰めることはしなかった。ただ、薄く笑う。彼は、やはりアイリーンとの会話にストレスがないことを感じて、そして同時に不快感も感じていた。その、正体を掴みかけている自分がいることも。


「………貴女はたまに、砕けた言葉を使いますね。ディアボロ殿の影響ですか?」


ユーリスの言葉にアイリーンは、少し驚いたように口を薄く開き、それから少し笑った。今度は混じり気なく、愉快さだけを含んだ笑い方だ。


「もうアイリーン・ミラーではないもの。ただのアイリーン。だから、公爵令嬢として在った時にはしようともしなかったことや、口を引き結んで言わずにいたことも言ってもいいのよ」

なかなか恋愛面に進まなくて申し訳ないです……次回こそ……!

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