四年後の死刑宣告
シュールワナ国の悪女、アイリーン・ミラー公爵令嬢。
容姿端麗、才色兼備、国を支える宰相の娘であり第一王子の婚約者と極めて地位が高く、そしてそれよりもプライドが高い。気に入らないものは跳ね除け、立ち塞がるものは排除し、傍若無人の限りを尽くしたとされる悪女。そんな彼女の失脚はそれこそ童話の悪役の如く苛烈で、まるで物語めいたものだったという。
彼女が出会いから別れまで、長年によって不遇に扱った養子の妹にどんでん返しをされるという、劇的な終わりだったのだ。
アイリーンから不遇の扱いを受けた妹は、直向きに生き、そしてその姿は徐々に周りの同情を集めていく。痛烈な性格を持つアイリーンに嫌気がさしていた第一王子もいつしか含まれるようになった。
何より決定的だったことは、妹が実は国から保護されるべき聖女の力を発現させたことである。彼女の聖なる力に気付いた大神官より王家に報告がなされ、王家は数十年ぶりの聖女の誕生をいたく喜んだ。そして、それは決定的にアイリーンの運命を変えた。聖女と、少し才能があるだけの性格に難がある女。どちらを取るかだなんて言わずと知れる。
そうして、決まっていた道を辿るよう、彼女は制裁された。本来ならば門出を祝う卒業パーティーで、彼女は聖女である妹と、第一王子から今までの悪行を断罪されたのだ。
彼女は身分を剥奪され、辺境の地へ追放となった。因果応報、悪因悪果として今も夜会で嘲笑混じりに語られる、寓話めいた話である。
羽目を外しすぎると悲劇のアイリーン嬢のようになりますわよ、と。
◇◆
「……と、聞いていた割には、ずいぶんこの地にしっかり馴染んだ生活をしていますね。アイリーン嬢」
「悲壮に過ごす生活がお望みだったかしら?」
森の隅、蹲るよう花を弄っていたところに話しかけてきた男に、件の悪女、アイリーンはさして驚く様子も見せずに応える。
彼女の傍に、男は並ぶようにして屈んだ。同じ視線になりじっとこちらを伺われれば、振り返るしかないだろう。アイリーンは帽子の鍔を抑え、真っ黒の長い前髪から男を見る。男はにこりと人好きのする顔で綺麗に笑った。
「処刑の騎士、ユーリス……」
今のアイリーンは帽子と前髪のせいで顔の半分ほどが見えない。にも関わらず、うんざりとした気持ちがひしひしと伝わる。随分感情豊かな声だなとユーリスは笑顔を一分も崩さずに思った。
「おや、俺のことを知ってるんですか?」
「この国の王子でしょう。それくらいは知っているわ」
「両手で足りない数の身内の死体がないと王になんかなれない、継承権もほぼないに等しい末席も末席ですよ」
「言い方が不敬……」
第五王子、ユーリス。
笑顔を絶やさない男が言うように、確かに継承権からは遠い……というよりも、継承権争いからは意図して排除されている存在だ。側室どころか、当時の王宮抱えのメイドから生まれたとされる不義の子。
王宮内での扱いは不遇なものだったという。現に、かつて第一王子の婚約者であったアイリーンは彼を王宮内で見かけたことはほぼなかった。彼は留学と称した厄介払いをされ、その後はそのまま騎士団を率いて国を周り歩き統治を任されている。体のいい厄介払いをされていた。
噂によると、騎士としての統治とは名ばかりの、主に任されるのは脱獄者や逃亡者の始末であるという。故についた通り名は処刑の騎士、もっと過激なところだと首斬り王子だ。
罪人の始末は国には必要な措置だ。けれど、執行人の印象が悪くないかと聞かれれば否である。
金髪の碧眼に柔らかい笑顔を絶やさないユーリスは、まさしく絵本の中の王子そのものだ。しかし王都にいることも少なく、主な王族としての仕事は罪人の始末。民衆人気が高いはずがない。
徹底的な印象操作を行なう王室。――欲望と野望が渦巻く場……ああそういえば、自分は確かにそこに身を置いていたなとアイリーンは遠い昔のことのように思い出した。たった四年前のことだというのに。
「まさか話しかけても驚かないどころか、初対面で名を当てられるとは思いませんでした。さすが才女、アイリーン嬢。俺の訪問を予想していたようだ」
「それはどうも。………花の剪定をしながらの会話でも?」
「ええどうぞ。花がお好きなんですか?」
「薬に混ぜるための材料よ。薬を売って生計を立てているもので」
鼻で笑うようアイリーンは言う。ユーリスは、その冷やりとした物言いに、かつて悪女だと言われたアイリーンを思い出す。
あの頃、一度だけアイリーンを見た。出会ったというより、すれ違ったと言った方が正しいほどの思い出だ。
王宮内、ツンとした態度で闊歩していた時は身なりのいいドレスに、後ろに控える護衛とメイドを伴っていた。
通り過ぎてから数メートルは距離が空いたところで、彼女の冷たい叱責がメイドに掛けられた。メイドが震えた声で謝罪しているのが聞こえ、後ろを振り返る。振り返った先では、彼女が嫌悪や不快感を隠しもせず、淡々とメイドに詰め寄っていた。その氷のような美貌も相まって随分と迫力がある。大の大人が身をすくませるほどに。
おっかない、と思いながらもユーリスはとくに仲裁などせずまた前を向き直り、歩き出す。王宮では見慣れた光景だ。弱々しく意見を通せない人間は、王宮内で立っていられない。だから、ユーリスがその光景を覚えていたのは、アイリーンが今まで見たどの女性より綺麗だったからだ。ただ、それだけ。
そのアイリーンは今や供など一人もつけず、生活の糧のためだと森で手ずから花をむしっている。薄汚い黒のローブを羽織り、古ぼけた長い唾の帽子を被り、顔はほとんど窺えない。あの意志が強い、赤い目はどこにも見えなかった。
「それで。王家の言う通り、辺境の地で粛々と生きる私に、今更何の用かしら?この四年間、私は目立ったことは何もしていないはずだけれど」
「ええ。俺の方でも確認しましたが、貴女はこの四年間実に慎ましくこの地で生活しているのみ。誓約の通り、王都には近寄りもせず、怪しい企てをしている素振りはない。しかし、どういうわけか、貴女を処刑せよと俺へ勅命が渡されました」
そこまで言っても、慣れた様子で花を摘んでいるアイリーンの手は止まらない。ユーリスの方を向きもしなかった。
アイリーンを取り囲む気配が増えたことを感じて息を吐く。今まで森に身を隠していたらしいユーリスの部下が、潔く姿を現したらしい。が、何人いるかもどの方向に立っているかもアイリーンは確認をしようとしなかった。騎士団として活動している大の男たちと、武術の心得もない女一人。今更どうしたって、この場で逃げられるわけがないのは明白だった。
うららかな秋の日だ。寒くもなく、暑くもない。湿気が少なくやっと過ごしやすい季節が来て朝はいい気分になったはずなのに。
そんな油断を全てぶち壊すような発言。
緑ばかりが目に入り、時折遠くで鳥や獣の声が聞こえる。平和そのものないつもの森が、却って場の緊迫感を煽っているようだった。
「驚かないんですか?」
「貴方が私の下へ来た時点で察するわ」
「なるほど……」
静かに言うアイリーンからは、何の感情も窺えない。逃げる素振りも見せず、かといって諦めて罪を受け入れるようでもなかった。
ユーリスは目を細め、口元に手を当てる。ずっと浮かべていた笑顔を手の内で消した。
「俺はこう見えて、人は尊重し敬うべきだと思っています」
「……ご立派ね。それは、執行対象者も含まれるのかしら」
「もちろんです。というよりも、俺は処刑の騎士。俺が亡き者にする命の最期を、俺が尊重しなくてどうするのです」
アイリーンは、今度は手を止めてユーリスを見上げた。ユーリスもまっすぐにアイリーンを見つめていたため、視線はがちりと絡む。
ユーリスの目には嘘の翳りが少しも見えず、それを心の底から言っているのがよくわかった。
分厚い前髪の奥で、アイリーンは目を細める。
兄弟である第一王子と似ているかと聞かれれば、首を振ることができた。第一王子より雰囲気が柔く優しい。だが、第一王子がこんな風な覚悟を決めた顔ができるかと言うと否だ。今の第一王子は知りようもないが、最低でも学園で共に過ごした時にはこんな目はできていなかった。
人の命を自らの手で奪うことを知る、決意の固さを感じさせる目は。
アイリーンは少し考え、それから顎に手を添えてわざとらしく言った。
「仮に、私に身に覚えのない罪だといったら貴方は私を見逃してくれるのかしら?」
「冤罪だとしたら考えます。しかし対象者が冤罪だったことは今までの勅命で一度もない」
「……そう。まあ、王族である貴方に依頼するということは王家の意思として処刑するということを示唆しているのだから、そうなのでしょうね」
かといって、王家が罪だと判断したことが必ずしも公平な判断で処断されるのではなく、王家としての利益を鑑みた結果、罪とされることもあるのでしょうけど――と、アイリーンは口にせずに心の中だけで台詞を転がした。
ここまで覚悟ある目でアイリーンに対峙しているユーリスのことだ。わざわざアイリーンに言われなくとも、王家の忖度などとっくに分かってはいるだろう。分かった上で、ここに立っているのだ。王家の者として。
「アイリーン、貴方の罪はなんですか?」
アイリーンは重く息をつく。
これは面倒なことになったと単純に気づいたからだ。
他の処刑人であれば、適当な交渉と共に煙に巻いて逃げることはできたろう、あるいはいっそこちらも全てを放棄しあっさりと処刑されるのでもよかった。しかし、このユーリスはどちらでもない。
きちんと事情を理解した上で、アイリーンを処断しようとしている。適当なことをしてもいっても、ユーリスは見抜くのだろう。
アイリーンは負けを認めるよう、投げやりにユーリスを挑発した。
「罪も知らずに、貴方はここに来たと言うの?」
「罪状は聞いております。ただ、どうしてこういう罪状になったかという経緯が記されていなかったのです。だから、貴女の口から知りたい」
「……クソ真面目ね、貴方」
「そうでしょうか?自分が預かる命です。知る価値はあるし、そうするべきです」
「結果は変わらず貴方が消し去る命だっていうのに?……イカれてるわ」
「よく言われます」
また笑顔に戻ったユーリスに、アイリーンは短く舌打ちした。
今までで一番分かりやすい意思表示にユーリスは喉奥で笑う。人形めいていた彼女が、徐々に人間として自分の前を立つのが嬉しかったからだ。勿論、それを言ったらまた嫌な顔(実際にはほぼ表情は見えないのだが、彼女は自分の感情を伝えるのが上手い)をされるだろうから、言わないが。
「アイリーン嬢、私は貴女のことを知りたい」
手を差し伸べまっすぐな目を向け、柔らかい笑顔でユーリスは言う。この場面だけ切り取って見れば、まさしく王子様のような格好だ。
アイリーンは片手に花を持ったまま、振り払うことなく素直にユーリスの手を取った。ユーリスはその姿に満足しながら立ち上がる。素直にエスコートを許すアイリーンは、かつて令嬢として過ごした彼女を垣間見せた。
「理由を知ったら私を断ずるというなら、私は貴方に話をしない」
「そうでしょうね」
「けれど貴方は私に自供させるくらいの気概を持ってきたのでしょう?」
「もちろん、今までだってそうしてきましたから」
「なら、――自供させてごらんなさい」
アイリーンは口端を上げて笑う。不遜で高慢な言い方だ。
以前の苛烈なまでの毒々しさが形を顰め、野暮ったい風貌をして、自らで生活費を稼ぐ。昔とはかけはなれた姿をしている現在のアイリーン。
しかし今の態度は、確かにかつて悪女と言われたアイリーンそのものだった。誰にも屈せず、傍若無人を突き通したと言われる悪女。
ユーリスが驚きに息を呑む間に、アイリーンはあっさりと手を離し、スタスタと自身で歩き出す。
ユーリスと、その部下たちが慌ててアイリーンを追う。
「アイリーン嬢。自分に罪があると認めると言うことですか?」
「私は私のことを罪人だとは思わない。けれど、そうね。貴方たちは、」
隣まで並び歩いたユーリスをアイリーンはちらりと見上げた。すぐに目を背け、大事に手の中の花を抱え直す。
王都にいた時と唯一変わらない、凛とした声で彼女はユーリスへ告げた。
「……貴方は、納得はすると思うわ」
初めての連載となります。全10話程度。
ハッピーエンドで終わる予定です。お付き合いよろしくお願いします。