ダシルヴァ夫人の苛立ち 2
バラバラになった扇を見ながら、前回、姉からのけ者にされた時のことを、思い出していた。
(あの時も、あのクソ女は肝心なことを何ひとつ、私に教えようとしなかった。そうして、まんまとマルクさまの婚約者の座を手に入れたのよ!)
異母姉が婚約の申し込みを受けるのを、目の前で見せつけられたあの日の屈辱と絶望感は、40年以上たった今でも消えることはない。
(教えてくれていれば、あの日、あの場所に立っていたのは、私だったかもしれない……いや、アレが邪魔してきた可能性もあるわね……あぁでも、アレの正体に気づいた私なら、もしかしたら……)
***
生家であるロッシュ伯爵家は、その領地が辺境伯領に隣接していることもあり、長年にわたり交流があった。
近隣の貴族の子供たちを集めた交流会も度々ひらかれ、私が初めてマルク様にお会いしたのも、そんな集まりの一つだった。
ひと目で、私の結婚相手は彼しかいないと思った。それからは、彼が参加する集まりには、たとえそれが騎士予科組の訓練や、剣術大会であっても、きれいに着飾って参加した。
ただし、訓練や試合に参加するのではなく、それらの後に、果樹水や軽食を差し入れするためだ。
もちろんマルクさま以外の分も、用意した。未来の辺境伯夫人としては、みんなに公平なところを見せないといけないから。
でも、配るのはマルクさまや、その周りの人以外は使用人にまかせていた。それが間違いだとも知らずに。
そして十二歳のあの日。
「僕と婚約して下さい」
剣術大会少年の部で優勝したマルクさまは、表彰の場で跪くと、同じく少女の部で優勝した異母姉に婚約を申し込んだ。大柄で、たいして美しくもない姉に。
しかも、異母姉はそれを笑顔で受けたのだ。私の想いを知っているくせに!
「なんで……」
「そんなのカペラの努力と才能が、マルクさまの心を掴んだからに決まってるじゃない。残念だったわね。あなたがさんざんバカにしていた剣術の稽古や試合が、実はマルクさまの婚約者選定の場になっていたのよ。知らなかったでしょう?」
祝福の拍手に応えるように、手をつないで微笑む2人を呆然と見ていた私は、後ろからかけられた言葉に振り向いた。
そこには、よく異母姉と一緒にいる少女が立っていた。胸元には5位と記されたメダルが、ぶら下がっている。
「クレール・ブスケ……」
「ふうん。一応、私の名前は知ってるんだ。なら、ついでだから教えてあげる。ベルクール家の家訓は、『強くあるべし』。そのためか、マルクさまは幼い頃から結婚相手には、自分の背後を任せられる者が望ましいとおっしゃっていたの。だからいくら着飾っても、剣を振れない者は候補にさえ、なれないというわけ」
その言葉に、頭が真っ白になった。
確かに辺境伯領近辺では剣術が盛んで、男女関係なく、貴族から領民に至る多くの者が、幼い頃から剣術の訓練に参加している。
でもマルクさまの目に留まるためには、稽古で薄汚れた姿ではなく、稽古が終わった時に、美しく着飾った姿で差し入れする方が良いと思っていたからだ。
実際、他領では淑女は剣など握らず、刺繍や楽器の演奏の腕が重要視されている。それに、差し入れする私を褒める者も、少なくなかった。
「でもマルクさまからは、毎回お礼の言葉をいただいたわ……」
「それはあなたが、仲の良いカペラの異母妹だからよ。あの2人が訓練のとき、いつも一緒にいるのを見て、判らなかった?」
クレールは、わざとらしく首を傾げてみせるけど、判るわけないじゃない。
王都の学園に通っているマルクさまは、長期の休暇の時しかこちらに戻ってこないうえに、その周りには異母姉の他にも、隣国の令息や、マルクさまの従姉妹がいつも一緒にいたのだから。その中でたいして美しくもない異母姉が、マルクさまの相手になれるわけがないと思っていたのだ。
なのに現実は、私が異母姉のおまけでしかなかった。
「なんで…なんで、誰も教えてくれなかったのよ……」
(みんな、私がマルクさまを好きなことは知っていたはずなのに。ひとこと、言ってくれれば……)
「訓練に励む私たちを、やれ汚いだの、汗臭いだのとバカにするあなたに、どうしてわざわざ教えてあげなきゃいけないの?差し入れだって、私たちには、カペラと使用人が配ってたし。それにマルクさまを好きなのは、あなただけじゃないわ」
憧れている子はたくさんいるのに、なんで自分だけが特別だと思えるのか判らないわと、バカにしたように笑う。
その態度には腹が立つけど、この子も選ばれなかったという意味では、私と同じだ。
だけど、異母姉だけは別だ。同じ屋敷に住んでいるのに、ずっと黙っていただけでなく、自分だけ剣術の稽古を続けていたんだから!
「ひどいわ、お異母姉さま。自分をよく見せたいからって、私をのけ者にするなんて……」
「あら。カペラはあなたも練習に誘ったって言ってたわよ。でも汚れるから嫌だと言って、断わられたと聞いたけど?」
確かに異母姉からは、何度か剣の練習に誘われたし、断ったのも事実だ。でもそれが『マルクさまの婚約者に選ばれるために必要なこと』だと説明してくれていれば、話は変わったはずだ。
剣術なんて嫌いだけど、少なくとも参加して、『強くなろうと努力する姿』を見せることはできた。
そうすれば、多少実力が伴わなくても、なんとかなったかもしれない。だけど意地悪な異母姉のせいで、その機会さえ、与えられなかった……
***
そう。異母姉は昔から、意地が悪かった。しかも私を貶めるときには、必ず他の者の口を借りるのだから、たちが悪い。
そしてその役割の大半を、ブスケ夫人と呼ばれるようになったクレールが引き受けていた。『友は近寄る』って、ホントだわ。
だけどそれ以上に悪い女が存在することに、あの後すぐに私は気づいた。マルクさまが強い女性を好む原因となった女、エルヴィーヌだ。
私より1つ歳上のあの女は、隣国に婚約者がいるにもかかわらず、事あるごとにマルクさまの側に張り付いていた。
おまけにうっかり近付こうものなら、あの気味の悪い目で睨みつけくるのだ。
困ったことに、姉もまた、あの女を馬鹿みたいに崇拝していたけれど、その理由が判った時、ゾッとした。
あの女はベルクール家に時々現れる特殊能力者だったのだ。恐らくそれを使って、マルクさまや姉が気づかないうちに、いいように動かしていたのだろう。
身体強化が得意で、剣術大会で何度も優勝したとか、大人の部に参加して3位になったとか、周りがもてはやすけど、みんな騙されている。あの能力を使えば、対戦相手に手加減させるなんて、簡単なことだ。
しかも噂では、自分の父親や義母、そしてまだ幼い異母妹まで、王都の屋敷から追い出したという。その話を聞いて、異母姉というものは、異母妹をひどい目に合わせる習性でもあるのかと思ったほどだ。
(そんな血も涙もない女が特殊能力者だなんて、絶対間違ってる!)
だから決めたのだ。次の特殊能力者は、なんとしても私が産んだ子にしようと。