ループ
「なんだよこれ……どうなってんだ?」
曲がりくねった山道を車を走らせながら、俺はカーナビにチラリと視線を落として悪態を吐いた。
車の現在地を示す青い光点は、ずいぶん前からピクリとも動いていない。そもそもその現在地からしてバグっていて、道路ではなくどこかの山の中にいることになっていた。
「まあ、こんな田舎の山の中じゃ、GPSがおかしくなることはよくあることだよ」
「ま、そうだけどよ」
助手席に座る弟のなだめるような言葉に頷きながら、しかし不満は治まらない。と、言うのも……
「いつまで続くんだよこの道……もう日が暮れちまったぞ」
事前に調べた感じでは、とっくに山の麓に出ていい時間だった。なのに、もうかれこれ2時間以上も曲がりくねった山道を走り続けている。
「道、間違えたかなぁ。どこかに脇道があったとか?」
「その可能性はあるな……ここまで来ると」
「どこかで道を訊いた方がいいかもね。って言っても、さっきから誰とも会わないけど……」
弟の言う通りだった。これだけ走ってるのに、さっきから建物はおろか対向車すら見かけない。いくら田舎とはいえ、一台くらいは他の車と遭遇してもいいはずなのに。
それからもしばらくの間、黙って代り映えのしない山道を走り続けていると、弟が遠慮がちに声を上げた。
「ねぇ、兄貴……」
「ん?」
「なんか……さっきから同じところ走ってない?」
「はぁ? おいおい、樹海じゃあるまいし」
「いや、でも……ほら、あれ」
弟が指し示した方を見ると、そこには落石注意の標識が。
「標識がどうした?」
「よく見て。あれ、右端が少し曲がってるでしょ?」
「ん? ああ、たしかにちょっと歪んでるな」
「あれ、よく覚えておいて」
いつになく緊張した様子の弟に圧され、俺は黙って頷いた。
そのまま、またしばらく無言で山道を走り……何度目になるか分からないカーブを曲がったところで、弟が声を上げた。
「ほら! あれ!」
「うぉっ、なんだよ脅かすなよ……」
「あれ! あれ見てよ! 同じでしょ!?」
「え……?」
上ずった声で叫ぶ弟に言われるまま見ると、そこにはまたしても落石注意の標識。そしてそれは……十数分前に見たものと同じく、右端がぐにゃりと曲がっていた。
「やっぱり同じやつだよ! さっきからずっとループしてる!!」
「いやいや、んなバカな……」
そう口では言いつつ、しかし改めて注意してみると、どうにも今走っている道にも見覚えがある気がする。
左のヘアピンカーブ。右の緩いカーブ。しばらくストレート。視界の悪いS字カーブ……この順番、前にもやった気が……
「いや、まさか」
背筋に冷たいものを感じながらも、俺はそれを振り切るように笑う。
と、ちょうどそこで背後から車の音が聞こえてきて、俺は驚くと同時に少し安心した。
しかし、ルームミラー越しに背後を見た瞬間、その安心感は吹き飛んだ。
「なんだあの車……なんで、ライトを点けてないんだ?」
そこにいたのは、なぜか夜の山道なのにライトを点けていない一台の車。
「ヤバイ……ヤバイよ兄貴。あの車、なんかヤバイ!」
焦燥もあらわに、震え声を上げる弟。しかし、俺も同意だった。
なぜかは分からない。だが、あの車に追いつかれたら何か恐ろしいことが起きると、本能が全力で警鐘を鳴らしていた。
危機感に衝き動かされるまま、アクセルを踏み込む。たちまちスピードを上げて山道を駆け抜ける車。
だが、振り切れない。背後の車は、相変わらずライトを点けないまま、じりじりと距離を詰めてくる。
同時に、車内には車が走る音が不自然なほど大きく響き始めた。明らかにおかしい。窓を閉めているのに、背後の車が走る音がこんなにはっきり聞こえるはずがない。
しかし、そうこうしている間にもどんどん距離は詰められ、車内に響く音は騒音と言ってもいいほど大きくなっていた。
と、そこで急に、ルームミラー越しに背後の車の運転席が見えた。
黒い人影。顔はよく見えない。だが……その人影が、ハンドルを握っていないことだけは、はっきりと分かった。
その人影の、闇に沈んでよく見えない顔が……ニヤリと、歯を剥き出しにして笑った。
「兄貴! 前!!」
「え?」
弟の叫びに視線を前に戻すと、すぐ目の前には急カーブ。
慌ててブレーキを踏むが、しかしなぜかブレーキが利かない。ハンドルも、まるで固定されたかのように全く動かせない。
「くそっ、なんだよこれ……!!?」
「な、なにやってんだよ!! 早くブレーキ!!」
「利かねぇ、利かねぇんだよ! くそっ!」
そうしている間に、ガードレールが近付き……もう駄目だと目をつむった瞬間。突如としてブレーキが利いた。
キキィィィーーー!!! ザザザッ!!
けたたましい音と共に、前方に体が放り出されそうになる。
シートベルトに体を締め付けられ、一瞬息が詰まる思いをしながら視線を上げると、そこは山の麓の交差点だった。
「え……?」
「は……?」
弟と2人、呆然とした声を漏らして背後を振り返るが、そこには例の車は姿も形もなく。暗い山道が上に向かって伸びているだけだった。
「なんだったんだ……?」
首を傾げながら前に向き直ると、弟が震える指で俺の前を指さした。
「兄貴……それ……」
「ん?」
「ガソリン……減ってない。あんなに走ってたのに」
言われてみると、たしかに数時間前に給油してから、ほとんどメーターが動いていなかった。あんなに長いこと、山道を走り続けていたのに。
「マジかよ……ガソリン無駄使いせずに済んだじゃん」
「だね。ラッキー☆」
そう言って笑い合うと、俺達は何事もなかったかのように車を発進させた。
※ガソリンは取られずとも時間は取られたんだから、別にラッキーではない(←ツッコむところそこじゃない)