こうれい術
感想欄で振られたから応えた。誤字から生まれる狂気の短編第3弾。
我ながら読者の誤字にまで反応してたら終わりだと思う。
「ぐ、はっ!」
「紅さん!」
「くっくっく、この程度か白面金毛九尾よ。いや、これは契約者の差か? 貧弱な契約者を得て気の毒なことだ」
突如学園に襲撃を仕掛けてきた男を前に、僕は歯噛みをする。男の背後には、校庭を覆いつくすような巨大な亀。その甲羅は紅さんの攻撃を一切通さず、甲羅の後ろから伸びる蛇は紅さんを上回る速度を持っていた。
「やれやれ……九尾と契約した降霊術師がいると聞いてどんなものかと思えば……とんだ期待外れだったな。どうやらこの学園にも、私と玄武の相手を出来る者はいないらしい」
「それはどうかな!?」
男ががっかりしたように首を振ったその時、僕の背後から聞き覚えのある声と共に、たくさんの妖や霊が飛び出してきた。
「オカルト研究部、見参!!」
「部長!?」
振り返ると、そこにはオカルト研究部の先輩達が。その先頭に立つ部長が、男臭い笑みを浮かべて言う。
「2人とも、今のうちに逃げたまえ。ここは我々が引き受ける」
「で、でも……」
「さっさと行きな! 新入りにばっかりカッコつけさせちゃ、俺らの立つ瀬がないからな!」
「先輩……皆さん……」
揃って笑みを浮かべる優しい先輩達の覚悟を感じ、僕はグッと唇を引き結ぶと、紅さんの手を掴んだ。
「すみません! お願いしま──」
そして、駆け出そうとしたその時。背後から凄まじい衝撃波が襲い掛かってきて、僕はたたらを踏んだ。
倒れそうになったところを紅さんに支えてもらい、振り返ると、巨大な亀が放った咆哮に、先輩達の使い魔が吹き飛ばされていくところだった。
「そ、そんな……!」
「くっ、まさかこれ程とは……!!」
あまりにも圧倒的な光景に、僕は呆然とする。部長も時間稼ぎくらいは出来ると考えていたようで、地面に倒れこみながら歯噛みしている。
「虫けらどもめ……貴様らごとき下級降霊術師が、私に敵うと思ったのか?」
その言葉通り、害虫でも見るような目で先輩達を見回してから、男は面倒そうに手を振り上げた。
「まあいい。仮にも降霊術師が、明確な敵意を持って降霊術師の前に立ったのだ。覚悟は出来ているだろう? ……まとめて消し飛ぶがいい」
男の意を受け、校舎よりも高い位置にある亀の頭部が、ガパリと口を開いた。その口の前に凄まじい勢いで空気が収束し、バチバチと帯電し始める。
「主様……どうやら、お別れのようじゃ」
「紅さん?」
その光景を見て、紅さんがそっと僕から体を離すと立ち上がった。
「あれは、妾の全力でも防げるか分からぬ。じゃが……そなたと、そなたが大切に思う者達は、妾が死んでも守ってみせる」
「く、紅さん!」
その言葉に並々ならぬ覚悟を感じ、僕は叫んだ。僕の呼び声に、紅さんは泣き笑いのような表情で振り返る。
「そなたと共に過ごした日々は……楽しかった。……見ないでおくれ」
その瞬間、紅さんの腕が一気に獣のものとなった。
既にボロボロになっていた制服が袖口から引きちぎれ、内側からの圧力にミチミチと悲鳴を上げる。
「あ、ああ……!」
その光景に、僕の喉の奥から、知らず悲痛な声が漏れる。
始めは、ただ契約者である僕と共にいるためだった。でも、この学園の制服を身にまとい、ただの一学生として過ごすうちに、紅さんはどんどん人間の生活に馴染んでいった。
僕達のかけがえのない思い出。平和で、楽しい日常の象徴が……失われていく。
「紅さん……!!」
叫んでも、紅さんの変化は止まらない。
そして、いよいよその身にまとう制服が完全に引き裂けようとした……その時。
「おやおや、いけませんよ。女の子がそのような格好をしていては」
いつの間にかその隣に立っていた小さな人影が、紅さんを止めた。
「校長、先生……?」
そこにいたのは、場違いなほどに穏やかな笑みを浮かべた校長先生だった。予想外の人物の登場に、紅さんも目を見張る。
「校長殿……なぜ?」
「なぜ? おかしなことを言いますね。教師が生徒を守るのは当然のことでしょう?」
「しかし、妾は……!」
「あなたが何者であれ、我が学園の制服を身にまとい、この学園に通った以上、あなたは私の守るべき生徒です。ここは私に任せ、下がりなさい」
穏やかな口調ながらも、その言葉には息を呑むような重みがあった。気圧されたように立ちすくむ紅さんに満足そうに頷くと、校長先生はスタスタと男の方へ向かう。
「……何者だ?」
「失礼。私はこの学園の校長を務めている者です。あなたが何者かは知りませんが、あなたが行っていることは不法侵入。立派な犯罪です。私としても、事を荒立てたくはありません。ここは、大人しく立ち去ってはいただけませんか?」
校長先生の提案を、しかし男は鼻で笑い飛ばす。
「ふんっ、くだらん。この世ならざるものを従える我ら降霊術師を、人の法で縛ろうというのか? 笑止」
「……困りましたね。説得に応じていただけない場合は、実力行使で強制退去させていただくしかありません」
「面白い。霊力も持たぬただの人間が、私に実力行使だと? やってみるがいい」
「……ふぅ、どうやら説得は不可能なようですね」
校長先生が残念そうに肩を竦めた直後、その身にまとう雰囲気が変わった。校長先生の小さな背中が異様に大きく見え、僕は思わず息を呑む。男もそれを感じたのか、不審そうに目を細める。
「なんだ……?」
「私はたしかに、あなた方が言う霊力というものを持っていません。しかし、私をただの年寄りだと思ったら大間違いですよ?」
「なんだと?」
「見せて差し上げましょう……私の高齢術を!!」
「なに!? 降霊術だと!?」
次の瞬間、校長先生の小さな背中が物理的に大きくなった。
その身にまとうスーツがビリビリと引き裂け、中からミッチリと引きしまった筋肉が現れる。
筋肉は膨張を続け、数秒後……そこにいたのは、筋骨隆々上半身逆三角な、身の丈2mを超える大男だった。
「校長、先生……?」
予想だにしない光景に、思わず呆然と声を漏らす。
信じられなかった。信じたくもなかった。脳が全力で理解を拒否していた。
『ふむ……この姿になるのは久しぶりですね』
姿だけでなく、なんだか声まで野太く変化していた。なんとかパンツだけは無事なのが、せめてもの救いか。……そんなどうでもいいことを考えてしまうほどに、僕の思考は麻痺していた。
「貴様……何者だ?」
男が、この場にいる全員の内心を代弁した。男の問い掛けに、校長先生(?)はそのえげつない盛り上がりを見せる肩を竦める。
『ただの教師という名の聖職者ですよ。この年になるまで清い体を貫いた、ね』
「なん、だと……!?」
『よく言うでしょう? 30歳まで清い体でいれば、魔法使いになれると……私も最初は半信半疑でした。いえ、30歳の時点では、それを全く実感できていなかった。しかし、50を超えた時……気付いたのですよ。この身に宿った魔法……高齢術の、真の力にね』
校長先生がグッと右手を握り締めると、その周囲の空気がゆがむのが分かった。尋常ではない力の集中に、男も警戒した様子で身構える。
『この、力は──』
そんな男の様子を気にした様子もなく、校長先生は一歩前に踏み出した。グラウンドがひび割れ、弾け飛んだ小石や土くれが空中でブルブルと震えたかと思うと、何もしていないのに更に細かく砕け散る。
『術者の身体能力を、その年齢に比例して無制限に引き上げることが出来る。年を取れば取るほど、無限に強くなることが出来るのです』
「玄武、やれ!!」
押し寄せる圧力に耐えかねたのか、男が腕を振り下ろす。直後、校長先生に帯電した空気の砲弾が降り注いだ。
『ふぬぅん!』
それを、校長先生は両手で受け止め……え? 受け止めた?
そのまま圧縮して、圧縮して、圧縮して…………ゴルフボールくらいの大きさにすると、人差し指でピンっと上空に弾き飛ばして……
次の瞬間、雲が消し飛んだ。
上空を覆いつくしていた灰色の雲が一瞬にして吹き飛び、美しい快晴と化す。
僕も紅さんも、オカルト研究部の皆も、誰もが馬鹿みたいに口を開けてその光景を見上げる。
と、校長先生が固く握り拳を作っているのを見た紅さんが、慌てた様子で声を上げた。
「待つのだ校長殿! そやつの甲羅は、妾の攻撃でもかすり傷しか付かぬ! 素手で殴ったりしたら──」
『心配いりませんよ、紅さん。昔から言うでしょう? “亀の硬より年の攻”とね』
ん? なんか違う気がするぞ?
真顔で首を傾げる僕を尻目に、校長先生は地面を砕きながら跳躍すると、即座に頭と手足を引っ込めた玄武の甲羅に向かって、猛然と拳を振り下ろした。
『ハイヤァァァアアァァーーー!!!!』
大気を震わせるような雄叫び。それに、建物が倒壊するかのような巨大な破砕音が加わった。
「グゴォォオオォォォーーー!!!」
そして響く、地の底まで届きそうな断末魔の絶叫。その声が途絶えると同時に、巨大な玄武の姿は影も形もなく消え去った。
「ば、バカな……」
呆然と呟き、よろめく男。正直、その姿には共感しかない。
『さて……まだやりますか?』
「……くっ!」
しかし、地面にクレーターを作りながら着地した校長先生がそう問い掛けると、男は苦渋に満ちた表情で身を翻した。
そのまま一目散に正門目掛けて逃げ去っていく男の背を見送り、校長先生は術(?)を解いた。
「やれやれ……皆さん無事ですか?」
元通りの小さな体で振り返る校長先生。しかし、その拍子にゴムの緩んだパンツが落ちそうになり、慌てて手で押さえる。
「おっと……ハハハ、これでは紅さんのことは言えませんね」
そう言って照れ笑いを浮かべる先生を見て、僕はこれから攻超先生と呼ぼうと心に決めた。