和室の女
「実はさぁ……この部屋、真夜中になるとなんか女の声が聞こえるんだよね」
大学の友達4人で集まっての飲み会。全員ほどよく酔いが回ったところで、不意に山崎がそう言った。
「おいおい……なんだよそれ。このタイミングで言うか普通?」
突然暴露された怪談話? に、俺は顔をしかめる。しかし、ほろ酔い状態の山崎はへらへらとしたまま、隣の部屋との境にあるふすまを指差した。
「いや、正確にはそっちの和室なんだけどさぁ……なんかぼそぼそ言ってるのが聞こえてくんだよねぇ」
「やめろよ……この後そっちで寝るつもりなのに」
あまりこういった怪談話にいい思い出がない俺はますます渋面を作るが、特にそういうのを信じていないらしい進藤は、うさんくさいものを見る目で言った。
「それ、隣の住人の声が漏れ聞こえてるってオチじゃないのか?」
「いや? そういう感じでもないんだけど……っていうか、オチとか言うなよ。これだから関西人は」
「関西人は関係ないだろうが」
ぶすっとした顔で返す進藤。だが、そのいかにもありえそうな推測に、俺も少し緊張がゆるんだ。
それっきり話題はまた別のものに変わり、しばらく経った頃。4人の中で一番酒に弱い木下が、やはりというか真っ先に潰れてしまった。
「お~い、大丈夫かぁ~?」
「うぅ~~……?」
「ダメだこりゃ」
「和室に運ぼうぜ。布団敷くからさ」
「あ、ああ」
家主の山崎に促され、進藤と2人で木下を持ち上げ、和室に運ぶ。
先程の山崎の話を思い出し、少し警戒していたが、特に女の声なんかは聞こえない。それでもあまりいい気はせず、俺は木下を畳の上に下ろすと、進藤と一緒に早々に元の部屋に戻った。
「はぁ……俺、もう今日はこっちで雑魚寝しよっかなぁ」
「ぁん? なんで?」
「いや、なんとなくさぁ……」
「なんだよ、ビビってんのか?」
「別にそういうわけじゃないけど……」
こちらもいい感じに酔っ払っているらしく、とろんとした目でヒヒヒッと笑う進藤に、俺はムッと唇を尖らせる。その時だった。
「おい、おい!」
隣の和室から山崎の切羽詰まった声が聞こえ、俺はパッと顔を上げた。アルコールで頭が鈍ってるらしい進藤が「んん~~?」っと首を傾げるのを置いて、素早く立ち上がるとパッとふすまを開ける。
「なにがあった!?」
「木下が、ヤバイ、救急車呼んだ方がいいかな!?」
見ると、畳の上に寝転がった木下が、なにやら異様なうめき声を上げていた。その両目はカッと見開かれ、目玉がぎょろぎょろと周囲を見回している。恐ろしいことに、その目はそれぞれが全く別の方向を見ていた。
そしてその瞬間、どこからか。
『……て、…………ね』
女の、声が。
どこからか。
いや、どこからかは嫌でも分かった。
その声が聞こえてすぐ、それまでぎょろぎょろと動いていた木下の両目が、ぎょろんッと和室の中央に向いたから。
「と、とにかくここから出そう!」
「そ、そうだな!」
俺の声に山崎も頷き、2人で木下をほとんど引きずるようにして和室を出た。
出ると同時に俺はふすまをピシャリと閉め、和室が視界に入らないようにする。
「おいおい……どうしたぁ?」
未だ事態を把握出来ていないらしい進藤の呑気な声を無視し、木下の様子を見に駆け寄る。
「おい! おい!」
山崎が必死に呼び掛けながら仰向けの木下を揺さぶるが、木下はただ揺さぶられるまま、相変わらず大きく見開いた目で和室の方を見ている。
「どうする? やっぱり救急車呼ぶか?」
「そ、そうだな」
山崎が頷き、俺がスマホを取り出したところで、とうとう木下が口を開いた。
「行かねぇよ」
「え?」
微妙に舌っ足らずな低い声に、思わず顔を上げる。
「彼女が……いるからさぁ。俺は、行かねぇよ?」
そう言って、ニヤーッとした笑みを浮かべる木下。その瞬間、俺は和室にいる“何か”の存在を強く意識し、背筋がゾゾゾッとした。
「木下! いないんだよ、誰も。しっかりしろよ!」
「いるよぉ……ほら、そこに……」
「いない! 誰もいないんだよ!」
「いるってぇ……彼女が……」
「だから! いないって言ってるだろ!?」
そう叫ぶや否や、山崎はパッと立ち上がって和室の方に向かうと、自らの言葉を証明するようにパシッとふすまを開いた。
その瞬間。
俺は見た。
和室の中央に立つ、白い着物を着た黒髪の女を。
「っ!!!」
絶句。
俺も、ふすまを開けた山崎も、目を見開いたまま声も出せない。
そんな中、おもむろに立ち上がった進藤が、止める間もなくスタスタと和室に入っていってしまった。
そして着物の女の前に立つと、スッと右手を上げて……
「むちゃくちゃおるやないかい」
『あ゛っ』
女の頭をスパーンとはたいた。
和室に、女のいびつな声が響く。
そして次の瞬間、女の姿はどこへともなく消えていた。
俺と山崎が呆然と見守る中、進藤は今度は木下の方にやってくると、その隣にしゃがみこんでまた右手を上げた。
「お前彼女おらんやろがい」
「う゛っ」
そしてまたスパーンと木下の頭をはたくと、木下は一回うめき声を上げ、それからは静かな寝息を立て始めた。
「ふぅ……」
そして、何事もなかったかのように元いた場所に座ると、再び日本酒を口に運ぶ進藤。
「「お前スゲーな!?」」
「あ?」
思わず、山崎と声がハモってしまった。
ちなみに翌朝、木下もそうだが、進藤も昨夜のことは何も覚えていなかった。
関西人って強ぇなって思った。