01
そうか、私は…………「トラウェル・モリス」を発った。
私は境界を越えた。
だから、か。
「赤城、結……コレがこの子の名か」
机の上には本が置いてあった。そこに書かれた名前だ。私には馴染みのない名前。本来読めないはずの文字だが、この子の知識が私に読み方を教えてくれる。転生とはかくも便利な物か。
栗色の髪。紫色の瞳の少女だ。コレが此度のティアマトと言うことらしい。私はまた一人の少女を殺してしまったのか……。
【え? 死んでないよ?】
頭の中で声が響いた。それは聞き覚えのない声だった。
「意識があるのか?」
【あ、うん? …………えっと、これどういう状況?】
頭の中の声は困惑している様だ。仕方ない事だろう。自分の躰に見ず知らずの意識が突然現れたのだから。
頭の中の声には私は簡単な説明をした。
私が原初であったこと。私が何度も愛しい娘を殺したこと。私が愛しい娘に会う為にトラウェル・モリスを捨てたこと。
【あーつまり、逆転生ってやつか……恋人を探しに……】
頭の中の声――結は納得した風で、うんうんと何度も頷いた。恋人、か。
「しかし、結。お前が生きているのなら話は簡単だ」
【ん? どういう? 】
「私が寝て、お前が生きる。寝ている間でも私は咲和を探すことが出来るから、そうすればお前も問題がないだろう?」
【え? それ勿体なくないですか?】
頭の中で結が驚愕する。頭の中で大声を上げるものだから、ガンガンと頭が痛んだ。
「何が勿体無いんだ。お前は今まで通りの生活を送れるんだ。何が不満なんだ?」
【不満だよ!】
叫ぶ。何がどう不満なんだ。理解に苦しむ。
【だってせっかくこっちのセカイに来たのに、それを満喫しないなんてもったいないじゃないですか! それにワタシもいるんだからね!】
姿は無いが結が胸を張っているのが脳裏に浮かんだ。
「はぁあ、それはお前に何の利益も無いだろうが」
大きな溜息と共に私は呆れた。
【でも、でもさ! そのえーっと、さ、咲和ちゃんと会った時に貴女が困るよ? このセカイのことを知っとかないと!】
困る? 何にだ? 私は咲和に会いに来た、それだけだ。あの子が幸せであれば、それでいいのだ。あの子と私が関わる必要はない。あの子が幸せで、生きていてくれさえすればそれで私は良いのだ。
「困ることはない。私は咲和に会いたいのであって、咲和に関わりたいわけではないのだから」
【そんなの悲しいよ! 会って、関わって、話さなきゃ! だって恋人なんでしょ? 愛しい人なんでしょ?】
結の声に頭が痛む。コレは本当に頭の痛みなんだろうか。
「お前は何か勘違いしている様だが、私と咲和は恋人同士ではない。母と娘だ」
【な、なら! 尚更だよ……家族は、一緒にいない、と…………バラバラ、なんて、悲しいよ……】
結の声が涙に沈んだ。彼女の言葉には実感が伴っている。きっと彼女自身も体験したことなのだろう。何かしらの理由で家族が離散してしまったのだ。
しかし、だからと言って私が咲和と関わる理由にはならない。
「ああ、それは私もよく分かっている。しかし、私はお前の言葉には応えられない……」
【…………ごめんなさい。ワタシも我が儘言いすぎたよね……。うん、わかった。じゃあ、せめて、ワタシのことを見てて】
「何?」
【それで、さ。少しでもこっちのセカイに興味が湧いたらさ、換わろうよ】
結の不器用な笑顔が見えた気がした。それは少し困ったような、そんな笑顔だ。
「ああ、そうだな」
私はそんな不器用な笑顔に小さくそう返すことしかできなかった。




