08
【嬢ちゃん、そろそろ見えてくるぜ――――】
咲和の悶絶から一時間。月影の道標が視線を前に向けたまま投げかけた。
何が見えてくるのだろう、と、前方を注視する。すると、
【―――――対岸だ】
月影の道標の言葉通り、そこには橋の終わりが見えていた。が、それ以外に、三つの影も見える。
「あれ………人間?」
確かにそれは人間のような影だ。ムシュマッヘよりも大きな背丈から、成人男性だと、咲和は判断した。衝怒の絲剣を握る手に力が入る。
【だろうな。アレが、我らが怨敵、ってやつだろ?】
「アレが……」
目の前の影が人間だと分かった途端、咲和の中にふつふつと湧く感情があった。それは、大いなる母の仇への憎悪であり、戦闘への恐怖であり、人類に対する圧倒的な殺意だった。
気づけば、咲和は駆けだしていた。姿勢を低くして、三つの影に突っ込む。影たちもそれに気が付いて、臨戦態勢に移った。
【嬢ちゃん! 何やってんだ!】
月影の道標が叫ぶ。
「…………」
それに咲和は答えない。今や彼女の中にはどす黒い感情以外なかった。
三つの影の目の前まで到達する。やはりそこには、武装した体格のいい三人の男性がいた。どこかの国の騎士のような出で立ち。銀色の鎧に、一人は剣を、二人は槍を携えている。その鎧は本で見たことのある物だった。見た目からは魔術を扱うようには見えない。
「子供? ………貴様、何者だ」
剣を持った騎士が咲和に問う。その声に、咲和は足を止めた。
「………」
咲和は問いに沈黙を返した。
「名乗らぬか………。しかし、ココにいる以上、貴様もまた魔物の類だろう」
「………」
やはり咲和は言葉を返さない。
「沈黙を押し通すか。ならば」
騎士は静かに剣を構えた。すると、槍を持つ二人の騎士は咲和を取り囲み、槍を構える。その行動から剣の騎士が三人の中で最も地位が高いのだろう、と咲和は判断した。
「ココで斬り伏せるしかあるまい!」
その声に応えるが如く、二人の騎士が咲和の死角から槍を突き出した。それに合わせるように、剣も薙がれる。
「………」
瞬間、咲和は一切の予備動作無く空へと飛翔した。三人の騎士は咲和を見失う。
剣の騎士の後ろに音も立てずに着地した咲和は、これまた音も立てずに騎士の銀の鎧に、布に鋏を入れるかのように、抵抗なく衝怒の絲剣を突き刺した。
「んぐっ!」
苦悶の声を上げ、振り向く。しかし、咲和は衝怒の絲剣を薙ぎ、そのままの勢いを殺すことなく、体を捻って騎士の首を落とした。あまりにも滑らかなその動きに、槍の騎士二人は全く動けなかった。
そして、剣の騎士の首は橋の上に転がり、体は冗談みたいに血を噴き出しながら倒れた。
槍の騎士たちは自身の上官が殺されたことに、ようやく気が付き、咲和に突進する。
咲和は月影の道標を召喚した時と同じ要領で、空中に魔術陣を描く。
「焼く妬く厄。この災厄を以て、我が怨敵を焼き滅ぼす―――妬災の蛇焔」
魔術陣は完成し、詠唱は完了する。咲和は小さく指を鳴らした。
魔術陣から空気すら焦がさんとする蛇の形をした火焔が噴き出した。その炎の蛇は、突進してきた槍の騎士二人を飲み込み、空まで届く炎柱へとその姿を変えて燃え盛った。
衝怒の絲剣を振るう。すると、燃え盛っていた炎柱は、蝋燭の火が消えるように小さくなり消えた。後には真っ黒に焦げた二つの肉が残る。
【やるじゃねぇか。流石は我らが王だ】
傍観に徹していた月影の道標が駆け寄ってきて咲和を激励する。
「………ふぅ」
体中に入っていた力が一気に抜けて、その場にへたり込んだ。
【おうおう……。まぁ、お疲れさん。じゃあ、城に帰るぜ―――――背中に乗りな】
「………え?」
月影の道標はまた姿を変えた。服装こそ変わっていなかったが、そこには少年ではなく、黄金の長髪を下の方で結った、大人の女性がいた。身長はムシュマッヘには届かないにしても、女性ならば高い方に入るだろう。
【こっちの方がいいだろう? 何があったか俺は知らねぇから深くは聞かねぇがよ】
そう言って腰を落とした。
「あ、え、………え?」
どうしていいのかわからず困惑する咲和。
【いいから背中に乗りな。疲れてる嬢ちゃんをそのまま歩かせるような、野暮な真似、俺はしねぇよ】
「……………ありがとうございます」
礼を言って咲和は月影の道標の背中に体を預けた。伝わってくる体温が緊張を解いていく。
【いいってことよ】
立ち上がって月影の道標は歩き出した。




