05
街を行く中で、咲和は考える。
無垢なる獣とは何者だったのか。
この世界において暁月咲和とは何者なのか。
何を思い出せばよいのか。
二つについては既に諦めていた。
彼はもう既に居らず問うことが出来ない。咲和自身に心当たりが一切ない為に、誰に問うていいのかすらわからない。であれば、諦めるしかなかった。
しかし、ミオの残した「思い出すその時まで」と言う言葉は咲和自身にしかわからないことだった。
当人の記憶など他人にはわからず、当人が探るしかなかった。
だから咲和は、壊れることになろうとも、記憶の廻航をしなければならなかった。
元の世界での記憶。それはどこまでも惨く、醜く、直視しがたい苦痛と嘲笑の日々だった。
殴られない日はなかった。
蹴られない日はなかった。
怒鳴られない日はなかった。
嘲笑に晒されない日はなかった。
人として扱われることのなかった日々。
誰もが咲和のことを嘲り、罵り、疎んだ。
そんな地獄のような日々の中で、短かったけど温かく優しき時間があった。
(先生はどうして、あの日………私の家に行きたいなんて言ったんだろうか)
咲和の生前の最後の記憶。
彼女を突き飛ばして父親の前に出た。そして、その頭を酒瓶によって砕かれたのだ。朦朧とする意識の中で最後に見た彼女の貌は、悲しいほどの怒りで醜く歪んでいた。
そこまで思い出して咲和は頭を振って、彼女の顔を消し去る。
(思い出すべきことなんて、私には――――――)
――――――――――――――ない。
遠い過去のことなど咲和には必要ない。この世界にいる家族こそ彼女にとって最愛で尊き者たちだ。元の世界のことなんて、もう彼女には関係がない。
しかし、アラガキ・ミオの言葉によって、無視できないものとなった。
痛みと怒号と嘲笑に満ちた日々は、咲和の心に冷たさを思い出させた。
短かったけど温かく優しき日々は、咲和の心に温かさを蘇らせた。
「私には、もう…………」
関係ない。そう言い切りたかった。
家族がいる。咲和のことを疎まず、蔑まず、殺すことなんてない。そんな尊き家族がいる。それだけで彼女は幸せだ。少しの痛みと少しの苦悩はあったけれど、それでも家族たちとの日々は、何物にも代えがたい尊きものだった。
そんな日々を壊しかねない過去の記憶など、彼女にとって呪い以外の何物でもなかった。
それがどれだけ温かく優しき時間であろうとも、少しでも元の世界に未練であれば、断ち切るべきものだった。未練はそれだけで現在の生活に影を落とす。そんなもの許されるわけがない。許容していいはずがない。
この生活は、家族との尊き時間は何人たりとも冒すことは許されない。
それが、自分自身であっても。
(だから、私は―――――)
「サナ!」
咲和を呼ぶ声に思考は中断された。気が付けば王城の目の前まで来ていた。




