悪役令嬢なので手段は選びません
「公爵令嬢、エリザベス・フォンティーヌ! お前との婚約を今、この時をもって破棄する!!」
声高らかに階段の上で宣言したのは、私の婚約者・・・いえ、破棄されたのだから、元をつけるべきかしら。元・婚約者の第一王子のアルフォンス殿下でした。
ここはダンスホール。学園最後の卒業パーティーの場で、私は今、公衆の面前に一人で立たされ、断罪されているようです。
「理由をお聞きしても?」
「しらを切るつもりか!? お前がか弱いアーシャを苛めていたことは知っているんだ!!」
おやまぁ。アーシャとは、今殿下の横で小さく震えている庶民のことでしょうか。見覚えはあるし・・・正直なところ、苛めた覚えも嫌というほどありますね。
なので、その後も続く殿下の暴露の数々を、私は黙って聞くのみです。おっと、扇子を忘れずに広げておかなくては。鉄仮面には慣れているけれど、こういうものはフリも大事でしょうからね。
延々と続く殿下の言葉を黙って聞いていたら、ようやく言いたいことをすべて言い終えたようです。やっと最重要の言葉を言って戴けました。
「公爵家からも絶縁状を受け取っている。お前はもう、公爵令嬢でも何でもない! この場から立ち去れ!!」
ああ、愛しいお父様。私の願いを聞いてくださって、ありがとうございます。
これでもう、思い残すことなど何もありません。
「・・・御前、失礼いたします」
威勢よく扇子を畳んで、一礼する。殿下の満足そうな顔と、周囲の困惑の声と。そのどれもに満足しながら、私は足早に会場を後にしました。
*****
翌日。私はとある屋敷の門戸を叩いていました。
出迎えてくれた屋敷の主人であるレオナルド・ハーイーツ男爵は、怪訝な顔を隠そうともいたしません。
「・・・本当に来たのか」
「本当に来ました!!」
対する私は満面の笑顔。だってまさかこんなに上手く事が運ぶなんて、思っていませんでしたから。
「殿下との婚約は解消され、お父様からも勘当されたので、私はもう公爵令嬢ではありません。障害物はすべて取り除いてきましたのでご安心ください!」
「・・・私と君では、30以上年が離れているはずだが」
「真実の愛の前には、年齢など些事に過ぎませんわ」
私の返答を聞いて、大きくため息。だけど、私はわかっています。
その瞳は困惑の色を宿してはいるけれど、決して嫌悪感だけはないことを。
レオナルド・ハーイーツ男爵と言えば、王都では知らぬ者のいない偏屈男爵です。淡々と職務をこなし、愛想笑いどころか声を聞くことさえできないことで有名な人。若いころはその見た目と豊かな領地から令嬢たちのアプローチはあったそうですが、寡黙すぎる性格ゆえにすべて破談になってしまい、未だに独身を貫いています。
そんなレオナルド様と私の出会いは、私が5歳のころまで遡ります。王城で迷子になった私を見つけ、助けてくれた優しい人。それがレオナルド様でした。あの瞬間、私は恋に落ちたのです。
けれど、当時40間近の男爵家の当主と5歳の公爵令嬢。対等に釣り合えるどころか、相手にさえしてもらえない日々。今思い出しても、仕方のないことですわね。ええ、仕方ないですとも。ですから大人になってからの再アプローチを狙っている間に、気が付けば王太子の婚約者にされた私。レオナルド様はそれらすべてを使って何度も何度も拒否されたけど、それが理由ならすべて捨ててしまえばいいだけのこと。
やりすぎ? いいえ、これでも手ぬるいほうです。アーシャさんを婚約解消のために苛めましたけど、毒を吐くだけで物を壊したり危害を加えたりはしなかったし、お父様とも話し合った上での円満な離縁。やりすぎ、というのは、お父様との話し合いもできないほどにアーシャを苛め、破門されてこそでしょう。
それらすべての経緯を、きっとこの方はわかっている。わかっていて否定なさらない。それが答えではないでしょうか?
にこにこと笑顔の私に対して、レオナルド様は表面上は不本意そうです。
「・・・君も知っているだろうが、私の領地は小さなものだ。公爵家と同じような暮らしはさせてあげられない」
「問題ありません。貴方様といられるなら、森だろうと洞窟だろうと地面に掘った穴だろうと、私にとっては豪邸です」
「さすがにそこまで酷くない」
「存じています。ハーイーツ領は、とても穏やかな土地ですもの」
「・・・君も知っている通り、私は性格に大いに難がある」
「あら、存じ上げませんでした。皆様見る目がありませんのね」
「もういい年齢だし、確実に君を置いて逝く」
「少しでも長くご一緒できるよう、常にお傍におりますわ」
その後も紡がれ続けるレオナルド様の言葉を一つ一つ笑顔で躱し続ければ、私が諦めないことを悟ったのでしょう。やがて、深く深く息を吐かれると、困ったような、だけど、少しだけ嬉しそうな、初めて見る笑顔を浮かべていらっしゃった。
「・・・敗北宣言だ。まったく・・・本当に困った人だ」
全然困っているように見えませんわ、という言葉は、流石に飲み込みました。というか、そんなことを紡ぐ余裕はありません。
レオナルド様の手が、頬に触れる。まるで壊れ物を扱うように優しく触れられ、ぐいと上を向かされました。
ああ、今日は初めて見るお姿ばかり。この方は、こんなにも激しい熱を混めて、私を見ることができたのね。
「一度手に入れたものを、私は決して手放さない。それでも?」
「同じ言葉をそっくりそのままお返しします。私の執念深さは証明できたでしょう?」
「ああ、そうだな」
何せこの方に嫁ぐために、すべてを捨てるための準備を整え、実行してきたのです。普通ではないと、きっとレオナルド様はわかっていらっしゃる。
だけど、そんなにも嬉しそうな顔をされるのでしたら、捨てた甲斐もあるというものですよ。
「愛しています、レオナルド様。どうか私と結婚してくださいませ」
「その言葉は私に言わせてほしかったが・・・まぁ、もう今更だな」
レオナルド様が苦笑したかと思えば、影が降ってきました。そして唇に一瞬何かが触れ、すぐに離れていきます。
驚きに目を見張る私の前で、想像さえできなかった笑顔が咲き誇っていました。愛の言葉はありません。けれど、この笑顔がすべての答え。
嬉しすぎて、考えるよりも先に体が動いていました。思わず抱き着いてしまった私を、レオナルド様は動じることもなく受け止め・・・再び落とされた口づけを、私は夢心地で受け取りました。
*****
あれから5年。私の腕の中には、最愛の子供がいます。
そして、隣にはもちろん、愛しの旦那様。
「エリー、君宛に手紙が届いている」
「まぁ、どなたでしょう?」
「表向きは公爵家からだが、中身は王家からだな。読むか?」
読むか、と言われても、私は今子供を抱いた状態です。眠ったばかりなので、ベッドにおろした瞬間に目を覚ましてしまうでしょう。
なので内容だけ教えて欲しいとお願いすれば、すでに中身を読んだ後のレオ様はすんなりと了承してくださいました。
「簡潔に言うなら、君に公爵家に戻ってほしい、という話だな。そして第二王子の婚約者になってほしい、と」
「あらあら。随分と都合のいいことをおっしゃるのですね」
にっこりと笑って感想を告げれば、レオ様は苦笑を浮かべるのみ。でも、きっと同じことを思っておられるのだろう。
レオ様と結婚した私は、あれから一度も王都に戻っておりません。公爵家も離縁されましたし、用事もありませんでしたので。男爵領の屋敷の中で、レオ様の手伝いをしながら幸せな日々を過ごさせていただいております。
ですから伝聞にすぎませんが、王都は今、とても荒れているらしいのです。
というのも、すべては第一王子の妃になったアーシャさんのせいとのこと。彼女の「お願い」という名の我儘を、殿下はすべて受け入れた。あれが欲しい、これが欲しい、あの人は嫌、この地域は嫌い、などなど・・・元々貴族でもない彼女にとって、初めての贅沢に目がくらんだのでしょう。あれほど、「いじめ」という名の忠告をしてあげたのに、愚かな娘だこと。
そんなアーシャさんのお願いをすべて聞き入れる殿下の求心力も、低下する一方。痺れを切らした国王陛下が第二王子を王位継承者として定めようとしている、という噂は男爵領にまで届いております。
けれど、それとこれとは別問題。すでに人妻の私に声をかけるなんて、王様もどうかしているわ。
「言いたいことはわかるが、それだけ人材がいないということだろう。君の力は、今や王都にまで響いている」
「私は何もしていません。持参金も何もなかった私を受け入れてくれた皆様のために、少しでも役立ちたいだけですわ」
「そうだな。おかげでとても助かっている」
レオ様はそうおっしゃるけれど、私は本当に何もしていません。レオ様のお手伝いをして、時々思ったことを口にして。レオ様の留守の間は屋敷を守り、領地の皆様と交流を深めて、日々を穏やかに楽しく過ごさせて戴いているだけです。
とはいえ、これ以上否定したところで、更なる否定が返って来るのはわかっています。ですから、口にするのは本題のほう。
「お父様には拒否の手紙を出しますわ」
「君が?」
「何か問題が?」
「・・・・・・」
やだわ、レオ様ったら。無言は肯定と同じでしてよ。
「レオ様?」
「なんでもない。君の意見も聞いたし、返事は私が出しておく」
表情を取り繕ったレオ様に、素直にお願いすることにしました。藪蛇を突いてもいいけれど、今はそれよりも重要なことがありますもの。
「ひとつ確認させていただきたいのですが」
私の言葉に、レオ様が表情だけで先を促してきます。それを確認してから、爆弾とわかっている言葉を口にしました。
「レオ様は、私が第二王子と婚約してもよいとお考えで?」
にっこり笑顔の私と違い、レオ様の眉間にしわが寄りました。ああ、その目を見れば、答えは戴いたようなものだけど・・・
今ははっきりと言葉にしてほしいので、にこにこと笑って返事を待つことにしました。
待ったのは、おそらく数秒。憮然とした顔をしていたレオ様だけど、やがて困ったように眦を下げました。
「・・・わかっていて聞くのはずるい」
「たまにはいいじゃありませんか」
そう、こんな戯れはたまにだけ。だけど、今回は事が事だけに、言葉にしてほしいと思うのは我儘にもならないはずです。
私が折れないとわかったのでしょう。レオ様ははぁと一度だけ息を吐くと、
「腸が煮えくり返りそうなほど頭に来たから、二度とこんなことを言い出さないように釘をさそうと思っている」
・・・どうやら想像以上にお怒りのようです。
けれど、同じ怒りを共有できているのなら、それだけで私は嬉しくなります。
「ありがとうございます。お返事には是非、その旨を書き綴ってくださいませ」
満面の笑顔で感謝を告げれば、レオ様は不敵に笑って部屋を出て行かれた。ああ、手紙にはなんて書かれるのだろう。後で見せて欲しいと言ったら、流石に嫌がられるでしょうか。
気持ちを紛らわすように、腕に抱いたままの子供を眺めます。すやすやと気持ちよさそうに眠る我が子の、なんと愛おしいことでしょう。レオ様だけでなく、この子とも引き離そうというのなら、こちらにだっていくらでも対抗手段はありますわ。
悪役として退場した私に、手段を選ぶという選択はないのだから。