アドバイスを受ける下地
アドバイスを受ける下地、できてますかっ? って話なんですが、下地っていってもいくつかありますね。
いくつだろ……、いくつかとか言っといてパッと思いついたのふたつなんですが、せっかくなので、書いときますね。メモメモ。
・心の準備
そのまんまなんですが、心の準備です。アドバイスが来たときに、戸惑わないよう、心の準備ができているかどうか。アドバイスで傷つくことはないだろう……なんて思ってるかたもいらっしゃるかもわかりませんが、アドバイスって、日本語で近いニュアンスのものを探すと、「ダメ出し」だと思うのです。英語だと、サジェスチョンとかリクエストとか、聞こえのいいことばだと思うのですが……、まあ日本と違って、言う側と言われる側が対等っていう認識があるからなんでしょうけど……。
ん、「アドバイス」も英語か。だから聞こえがいいのか。……え?
(ちなみに、批判や批評はむしろ他者の意見文として割り切れる気がします。作品に対しておこなわれた評価だから、別に作家の創作に介入しようとしているわけじゃないし、なによりその批判文・批評文自体もある種独立した作文になるわけで、評価される側にまわるのだから)
・知識的な準備
こっちのが大事かも。これができていないで、「なんでもいーからアドバイスちょーだい」なんて言えないですよね。せっかくいいアドバイスがもらえても、自分の作品に活かせないんじゃしょうがない。
アドバイスって、じつはする側より受ける側のほうがはるかに難しい。というのも、する側は自分のキャパシティのなかから引き出しさえすればいいだけだけど、受ける側は、自分じゃない人の引き出しから出たものを自分のキャパシティで解釈しないといけないわけだから。それには、自分のキャパシティをおっきくしとく必要があるわけで。それには、いろんなものを読んでなきゃならないわけで。
たとえば、シェイクスピアも読んでいない段階で演劇のハウツー本を読んだり指導を仰いだりしたって、なにを言われているのかわからないわけですよ。それは体系化された構造や内包的な概念を学ぶだけだと理解できないもので、自分のキャパシティのなかにある外延的な例やら実体験やらがあってはじめて、「ああ、こういうことを言われてるのか」と解釈できるものだから。……え、これは筆者の演劇サークルでの実体験かって? ……ノーコメントで。
まあ、心の準備はどーでもよいけど、知識的な準備がない状態で、なんとなーくアドバイスを求めたり指導を仰いだりするのって、やっぱり相手にも失礼だし、よくないなーと思ったりする。
親切なアドバイザさんなら、受け手のレベルを見定めてその人に合った適切なアドバイスをくれたりもするんだろうけど、まあなかなかそうもいかないよね。アドバイスする側だって勉強中だったりするんだもの。
それから、アドバイスされて気づくよりも、自分で考えて発見できたほうが喜びがおっきいよ! とも思います。
「つまんない」という一言は一見すると不親切だし、感想欄では具体的に書くことがマナーになってはいるけれど、「こーするとよくなるぜ」って、あまりに具体的な指摘をもらってしまうと作家が自身で考えることをしなくなる。言われたとこだけ素直に従っときゃいいか……となると、自分で勉強する意欲もなくなっちゃいますよね。
人から言われて気づくのは恥じゃないけれど、やっぱり、何回も書いて、書いて、読書して勉強して、また自作品書いて……書きまくってから、「あ、ここダメじゃん。だからつまんねーんだよ」って気づけたほうが、絶対にいいし確信も持てる。たとえそれが間違っていたとしても、人から受けたアドバイスで路頭に迷うより断然いいし、自分で考えた結果ならしょうがないかって納得いくんじゃないかしら。
そう考えると、アドバイスってある種のネタバレみたいなもんですね。「それ、先に言わないでよぉ、あんたに言われなくても、書きつづけてたら二年後くらいに自分で気づくことだったのにぃ」って。創作の世界って、ある程度えらくなってからも発見の連続なんでしょうから、初心者ならなおさらだと思います。
はい。下地ができていないうちには、不用意にアドバイスを受けるのも考えもんですよ、って話でした。