信長の日常 新たな戦の前触れ
天正三年(1575年)十二月
信長の面会は怒号は聞こえず静かに終わったようだ。
ちなみに、信長のいる屋敷は元々俺が使ってきた屋敷だ。なので本丸の敷地内にいることになる。
始めは反対する者が多かったが、一番監視しやすく逃しにくい所がここだと説明したら表面上は納得していた。
ちなみに、帰蝶はと言うと何故か本丸内を自由に動いていた。「監視は何をしていたか」と怒鳴ったが、監視はしており自由に動いてるのは秋が許したからだと言った。
俺は秋に問いただしたら
「おなごを恐れるとは殿も小心者ですね!信長殿は許すことは出来ませんが帰蝶殿くらい認められたらよろしいではないですか!外に逃がす訳ではないのですから!」
と、何故か逆に説教された...。
結局押しきられてしまった。
今では台所で料理を摘まんでいくまで自由になっている。
うちでは俺が覚えている範囲で料理を教えた料理人達が作っている。日々新しい料理を研究しているので結構料理の種類は多い。
サトウキビや試作的にテンサイを育てているので砂糖を使った料理も多い。
信長にカステラを出したら屋敷から抜け出そうとして監視に捕まったのは見物だった。
抜け出してどこに行こうとしていたかと言うと、俺の元だったそうだ。話を聞くとなぜ貴重な甘い菓子を出してきたかと言うのと砂糖をなぜこんなにも持ってるのかということを問いただす為だったらしい。
なのでサトウキビ畑を見せて食わせたら目の色を変えていた。
他にも貿易で最高級品の胡椒にも挑戦したがやはり気候の問題で栽培は断念した。ハウスとかこの時代にない為温度管理が出来なかったからだ。
信長は普段何をしているかと言うと屋敷の敷地内で小姓を相手に片手で戦う方法を考えてるのと屋敷内でのんびりしているそうだ。
正直物凄く羨ましい...。それにここまで自由にさせているのも尼子家くらいだろう。
今一番恐れているのは秋が結構帰蝶と仲が良くなっているので城下に出ないかが心配だ。
帰還して一年経ったが今のところ京や各領地で大きな問題は起こっていない。まぁ、起こされても困るんだけどな...。
毛利は伊予を完全に領地としたので讃岐を狙っているようだ。しかし土佐を統一した長宗我部と九州の大友の様子が気になって動けないようだ。
御手紙公方は俺達が使者を殺しかけて以来なんの手紙も使者も来ない。平和でいいのだがある意味怖い。
なにか裏で仕掛けてきてるのではないかと思い、大友に忍を派遣していたのだが、よく馬鹿騒ぎをしているらしい。毎日と言う訳ではないがかなり、宴を開いているそうだ。
立花道雪など重臣が宗麟に苦言したそうだが受け入れてもらえなかったようだ。
天正四年(1576年)一月
石山本願寺の顕如殿から明け渡しを承諾すると言う書状が来た。
条件は
明け渡しは移転先が完成した後とすること。
浄土真宗を保護すること。(僧兵は全員まっとうに僧となり、戦力を持たない代わり)
雑賀衆を復活させること。(我々のせいで滅んでしまったため)
だった。
「頼廉殿、顕如殿の英断に感謝しますと伝えてくれ。後雑賀衆の頭領は孫一でいいのか?」
「はい。孫一殿で間違いありません」
俺は一抹の不安を覚えた。
(今の孫一は織田への復讐でいっぱいのはず。もし信長に会わせるようなことになったら...)
「孫一に伝言を頼めるか?」
「何なりと」
「信長を殺したいだろうが信長が尼子の元にいる間は我慢してくれ。もし殺すことになった場合は必ずお前に殺らせるからと。後、停戦した織田家には尼子家としては、敵対できないからな...。後は好きにすればいい」
「分かりました。必ず伝えます」
(これでたぶん伝わるだろう。信長、お前の息子の命、孫一次第になったぞ)
「それでは、今年中には工事を始めたいから担当者と設計師をそちらに送るので話し合ってもらいたい」
「分かりました。ありがとうございます」
頼廉に、孫一宛に一つ荷物を頼み帰っていった。中身は試作品の狙撃銃だ。射程は半里程だが、まだ誰も当てたことがない代物だ。
形としてはデグチャレフのような形だ。しかも、南蛮で手に入れた遠眼鏡もつけている。しかし銃身が従来の火縄銃よりも三倍くらいなので取り回しは最悪だ。ただ一発で仕留めるなら最高の銃だ。
天正四年(1576年)二月
意外な所から使者が来た。
「お初に御目にかかります。島津家家臣島津歳久と申します」
「同じく家臣、島津家久と申します」
島津一門が目の前にいる。
「私が尼子義久だが一体何用か?」
「わが主、島津義久の次女玉姫と義久様の嫡男、又四郎様との婚姻同盟をお願いしたく参りました」
俺は開いた口が塞がらなかった。
「殿」
側にいた直景が声を掛けてきた。
「その同盟に我らに利が無いのだが?」
俺には何の利があるか分からなかった。
「あります。こちらをご覧下さい」
そう言って側においていた紙の束を、出してきて
「大友宗麟が勅命を破っている証拠です。これがあれば直ぐに大友を攻める口実になります」
「知ってるから必要ない」
その一言に歳久と家久は驚いた。
「知っているなら何故、勅を賜り動かないのですか!」
「動きたくても、織田との戦の影響で動けなかったからだ。来年には元に戻るから、帝に報告するつもりだが」
そう言うと二人が見合い困った表情をした。
「既に朝廷に報告しに言っています」
「......は?」
俺は一瞬止まってしまった。
「ですから、先に朝廷には出しております!」
歳久は再度言った。
俺は頭を抱えた。まさか他の大名にやられるとは思わなかった。
「さて、我らに利が無くなったがどうするのだ?」
歳久は悩んだが賭けにでた。
「大友攻めの先陣を島津に任せていただきたい!我らだけで大友に、一撃与えて見せます」
「それで、大友の領地を取った後、龍造寺と我らを倒して九州を統一か?やらせると思うか?」
歳久と家久は兄弟でしか、話していない夢を言われて動揺した。
「図星だな」
(しまった!適当に言ったのか!)
歳久は自分達の表情に出てしまったので悟られたと思った。
「南九州は認めよう。龍造寺の領地も我々に従属しなければ好きにしていい。ただし、豊前、豊後、筑前、筑後は認めない。それでいいなら先程お主が申した条件で認めよう。それと毛利に手を出せば我らが、全力で行くと思え..」
「ははぁ!それでは必ずしてみせますので同盟の方よろしくお願い致します」
歳久と、家久は帰っていった!
道中
「兄上、勝手に決めていいですか?本当なら尼子や龍造寺が、攻めた所を掠めとる予定じゃ...」
家久は歳久に言うがそれどころではなかった。どうやって一撃を食らわせるか、どうやって島津を守るか考えるのに一生懸命だった。
(大友を誘い込めれば我らに勝機はある。問題はどうやって引き込むか...大友には道雪など優秀な将も多い。島津が生き残るにはなんとしても大友に一撃を加え、同盟せねば...)
島津一行が帰った後金衛門が来た。
「三河まで済まんかったな。綿花の品質が一番分かるのがそなただったのでな。所でそこのおなごと子供はなんじゃ?お主の子か?」
と冗談を含めて言った。
「そうなんですよ、実はこの子は私の隠し子...などではございません」
と冗談を含めて返してくれた。こうやって冗談を含めて返してくれるのは金衛門くらいだ。
「それで、真面目に誰の子だ?」
「徳川家康殿の子とその母親にございます。書状を預かっております」
俺は直ぐに書状を読んだ。そこにはもし徳川が滅ぼされた時の為の保険として、また今回密約での人質として差し出しますとあった。
「その方、名は?」
「万と申します。この子は次男の於義丸と申します。歳は二つになります」
於義丸。史実の結城秀康だ。家康から嫌われていたとも言われる子である。
(勝手に送りつけておいて...)
「分かった。屋敷を用意しよう。ゆっくり休まれよ」
そう言って直景に案内させた。
「面倒なものを拾うて来たのう...」
「先を考えれば良い投資かと...」
恐らく先を予想しているのだろう。
「それだけの先見の明があるお主を武士にして相談役にしたいくらいだ」
「申し訳ありませんが、それはお断りさせていただきます。私は商人が合っておりますので」
(まぁ、商人としては最高だろうな)
「分かっている。さて、綿花を紡績場に運んでおいてくれ」
「分かりました」
金衛門は行ってしまった。
「さてと、長旌。上洛するから留守を任せる。今回は直ぐに戻ることになるだろう」
「かしこまりました。お気をつけて」
島津のせいで上洛することになった。




