信玄の死 情勢の変化
天正元年(1573年)四月
三河 長篠城
武田信玄
三河に入ってから徳川の防御が固すぎる。
まさに「三河武士これにあり!」
と言っていいほど粘っている。
三河に入ってから落とした城は長篠城のみだ。
しかも落とすのに半年も費やしてしまった。
長篠城の兵士の誰一人降伏せず最後は突撃してきて全員死亡した。
儂も先が長くない。ここは徳川と停戦し後を勝頼に任せるか...。
「誰か、源四郎を呼べ」
信玄は山県昌景を呼び出した。
数日後、昌景がやって来た。
「御館様、お呼びとのことで参りました」
「昌景、徳川と停戦せよ。期間は五年とする。後の内容は任せる。その後甲斐へ帰還する」
「ははぁ、すぐしてきます」
昌景は徳川へ使者を送った。
内容は、長篠城の返還と五年の停戦だ。しかし、徳川は受け入れなかった。徳川は五年の停戦の条件は二俣城までの返還を要求してきたからだ。
交渉を始めて一ヶ月
五月に徳川と武田の停戦が結ばれた。
内容は、長篠城の返還、三河への不介入、三年の停戦となった。
武田軍はすぐに撤退をした。しかし、信玄の体調は悪くなり、浜松城に入ってから動けなくなっていた。
信玄は四天王と重臣を集めた。
「儂の死を3年の間は秘匿し、遺骸を諏訪湖に沈めよ」
信玄は今後の指示をした。
「勝頼、太郎(信勝)継承までの後見として務め、越後の上杉謙信を頼れ」
「ははぁ!」
「昌景、信春、昌秀、昌信」
「これに」
四人は信玄の側に来た。
「太郎が継承するまでは勝頼と共に武田を盛りたてろ。それと、遠江を固めておけ。徳川は儂が死んだのを知ればすぐに攻めてくるだろう。遠江は信濃と同じく甲斐の民の為にはなくてはならない土地だ」
「ははぁ!」
「大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流」
信玄は辞世の句を詠んだ半刻後にこの世を去った。
武田家は遺言通り信玄は隠居し勝頼を当主とした。武田家は上杉と同盟を結ぶ為に高坂昌信を送った。
昌信は出来れば越後、甲斐、相模の甲越相三国同盟を結びたいと思っていた。この同盟の利点は上杉は蘆名や伊達、加賀などに集中でき、北条は佐竹に集中でき、武田家は織田、徳川に集中できることである。
しかし、問題がある。
北条氏政は上杉との同盟を破棄し武田と再度同盟し上野へ攻め上がっている。武田家は上杉に対して越中で一向一揆を誘発して武田が上洛戦を出来るようにしていたので関係は最悪だ。
その越中は尼子の援軍を加えてわずか一ヶ月で平定したそうだった。
「なんとか、しなければ...」
昌信はどんな手を使ってでも同盟をなし得るつもりだった。
一方、織田徳川家は武田と停戦を結べたことに安堵していた。
徳川家は武田の猛攻を防ぎきったが国全体がかなり疲弊しており立て直しには時間を要した。
織田としては守る箇所が1つ減り、滝川一益と織田信忠が奪還した岩村城を死守すればいいだけになったことにより軍を他の所へ移動が出来るようになったからだ。
「丹羽殿、羽柴殿、長い間援軍かたじけのうございました」
家康は援軍に来た二人に頭を下げていた。
「家康殿、徳川家は大事な同盟相手。無下にするようなことなどありません」
丹羽は同盟が大事なことを伝えた。
「しかし、何故に撤退をしたんでしょうな?あのままではこちらが不利でしたのに...」
秀吉は武田が撤退したのが気になって仕方なかった。
「恐らく、兵糧の問題ではないでしょうか?駿河や遠江から強制的に徴収していたと報告が来ておりますし」
家康は遠江と駿河に忍を派遣し情報を集めていた。
「家康殿、我らは帰還致すがよろしいか?」
長秀は一揆が各地で起きているので鎮圧する為に早く戻りたかった。特に、長島では織田一門も死んでいたからである。
「はい。分かっております。こちらはいいのでどうぞお戻り下さい」
「忝ない。それではごめん」
長秀と秀吉は織田領へ帰還していった。
「正信、織田は滅ぶと思うか?」
「現状なんとか拮抗していますが、尼子が本気で動けば危ういかと...」
「織田についていたせいとは言わんが三河のみになってしまった。これでは今川が織田になっただけだ」
家康は織田の盾として残されているように感じていた。
「...織田を裏切るおつもりですか?」
正信はもし裏切ると言えばなんとしても止めねばと思っていた。
「そんなことはせん。裏切ったところでどこにつく?武田なんぞには絶対つかぬぞ」
家康も分かっていた。今は耐えるしかないと...。
「今は...国を立て直すことしか出来ぬ」
家康はこの停戦の間に立て直すことにした。
天正元年(1573年)六月
これまでに情勢は大きく変わっていた。
越前朝倉は勝家の援軍が加わったのち裏切りが相次ぎ降伏。しかし、信長は許さず朝倉一門を撫で斬りにし、一乗谷を燃やした。
勝家はそのまま加賀に進攻、大聖寺城を瞬く間に落とし、尾山御坊(金沢城)を囲んでいた。
信長は長秀と秀吉を加えて長島城を囲んで兵糧攻めをしていた。
一方、明智光秀は細川藤孝と共に信長の命で丹波の宇都城と亀山城を攻めていた。これに対して波多野は丹波の赤鬼と青鬼が対抗していた。
石山本願寺を攻めている織田軍は九鬼水軍を呼び、本願寺への兵糧搬入を目的とした毛利水軍・小早川水軍・村上水軍を中心とする瀬戸内の水軍を阻止せんと摂津木津川河口で激突した。
戦闘では毛利方の水軍の使用する焙烙玉・雑賀衆の使用する焙烙火矢の前に織田方の水軍は壊滅的な打撃を受け、石山本願寺への兵糧など物資の搬入という当初の目的を毛利方が果たす結果となっていた。
備前でも情勢が大きく変わっていた。
尼子は総勢二万三千の兵で備前に攻めかかった。
尼子軍は総大将 多胡重盛
副将 宇喜多直家 秋上久家
武将 山中幸盛 清水宗治
などである。
宇喜多直家の調略により浦上の武将の半数がこちらに流れた。
その中には、重臣、明石景親もいた。
ほとんど戦をすることなく浦上宗景は播磨の小寺政職の元へ逃げた。
そのまま播磨に攻め込ませようとしたら浦上宗景を捕らえて小寺政職が従属しにやって来た。
「小寺政職にございます。浦上宗景を引き渡しますのでどうか所領安堵をお願い致します」
「認めん」
多胡重盛は所領安堵を認めなかった。
「所領安堵を求むには遅かったな。我らが浦上に攻め込む前なら認めていた」
「そ、そんな!」
政職は慌てたがどうすることもできなかった。
「今の所領の半分なら条件次第で認める」
その言葉に政職は光を見た。
「何でも聞きます!なのでどうか、お願いします!」
そう言って頭を地に伏せた。
「そなたの嫡子小寺氏職を、人質として差し出すこと」
それを聞いた政職は絶望した。織田からも人質として要求されたが断り、代わりに孝高の子松寿丸を人質として出したくらいだ。
「な、何卒、他の条件に..」
「この条件以外は認めん。嫌なら即刻帰られよ。我らは播磨へ進攻する」
政職は折れた。
「わ、分かりました。差し出しますのでどうか..」
「うむ。では認めよう。すぐに連れてこられるがよい。時間稼ぎは敵対として見なすので考えられぬように..」
政職は泣き顔で戻っていった。
尼子家陣幕には浦上宗景が一人取り残されていた。
「さて、宗景。殿からそなたに二つの道が与えられた。一つは当主らしく立派に切腹されること。もう一つは出家し高野山へ隠居されること
だ。しかし、領地からは永久に追放とする」
宗景はすぐに答えた。
「出家し高野山で隠居致します」
糞が、武士らしく最後を全うすればいいのに、と重盛は思った。
二日後、氏職を人質として連れてきたのでこれで播磨まで押さえたかと思ったが籠城し抵抗する者がいた。
姫路城の小寺職隆だった...。