越中平定 尼子家動乱
元亀三年(1572年)七月
秋上久家
今、殿の命令で越中にいる。
上杉軍と合同で越中一向一揆と加賀一向一揆と戦をしている。
「どうして、こうも敵陣に突っ込む人しかいないのだろうか」
目の前の戦場を見て溜め息しか出ない。
尼子軍副将、北畠具教と上杉軍大将、柿崎景家が部隊ごと突っ込んで一向一揆を蹂躙しているのだ。
「織田と対決する前の肩慣らしだ!!斬って斬って斬りまくれ!!」
そう言って突っ込んでるのが北畠具教。
「俺達は上杉最強の突撃隊だ。全員突っ込め~!!」
そう叫ぶのは柿崎景家。
二人の軍を合わせて一万足らずなのに、一向一揆衆三万を蹂躙している。
「鬼だ~鬼が来たぞ~」
「ここにいては殺される!は、はよ逃げろ~」
「誰か助けてくれ~お、鬼に殺される」
...戦場はまさに阿鼻叫喚の地獄だ。
地獄が始まる一刻前。
「なぁあんたの兵って謙信様を相手にしたあの兵士達だよな!」
景家は、謙信にはぼこぼこにされていたが、確かに強い兵士達が来ているのに興味を持っていた。
「彼らと同じ訓練をし、更に、ワシが剣術を教えた強者達じゃがどうかしたかな?」
具教は、対織田の為に鍛え上げていた。
必ず信長の首を取る為に。
「俺達は上杉軍最強の突撃隊だ!そこで勝負しないか?」
景家は、競ってみたいと心の底から思っていた。
「勝負だと?興味がない」
具教は、さっさと片付けて織田に備えて鍛えたいと思っていた。
「なんだ、負けるのが分かってるのか。最強の部隊とか言って実は見せかけの軍隊か~」
「なんだと...」
具教は景家の挑発に乗ってしまった。
「いいだろう、そこまでいうなら斬り込み隊の力を見せてやろう。して、どうやって競う?」
「簡単なことだ、一向一揆を潰した方の勝ちでどうか?」
「いいだろう、 我らの強さその目に焼きつけるがいい!!」
と、そんなことがあった。
時間は戻り現在。
相手の崩壊した中から白い旗を持って歩いてくる集団があった。
「二人に止まるように伝令を出せ」
久家は降伏してくるのが分かったので止めさせることにした。
「はぁ、止まってくれたらいいけどな...」
と半分諦めていた。
降伏の使者が来た。
全員がガタガタ震えている。無理もない、あんな地獄を目の当たりにしたのだから。
「我らは降伏し今後は従いますのでど、どうか、命だけはお助けを...」
久家は上杉家が決めることなので、景綱殿を呼ぶことにした。
その間、地獄を作った二人は止まっていた。
血で真っ赤に染まって帰ってきた二人を見て使者が気絶してしまったので丁度よいと思って放置しておいた。
二日後、景綱殿が来て戦場を見て絶句していた。
「久家殿、どうすればこんな風になるのですか?」
戦場が血で真っ赤に染まっていて死体の山が出来ていたからである。
「それは、あの二人に聞いて下さい。こうしたのはあのお二人なので」
と仲良くしている二人を指した。
どうやら互いに認めあったようだ。
景綱は溜め息をついて、降伏を言いに来た使者の元に向かった。
こうして、越中は僅か数日で完全に平定されたのであった。
この戦以降越中では、
「一揆を企てれば鬼に殺され地獄に送られる」
と言うおかしな噂が流れるのであった。
ついでに加賀一向一揆とは不戦の約定を取り付け、我らの邪魔をしないことを約束した。
元亀三年(1572年)八月
但馬 竹田城
「もはや、殿にはついていかれん」
「毛利は敵なのにあれだけ関係を持たれるとは我慢ならん」
「盛清も準備をしておるはず。織田からも援軍を出すと言われた。」
「そりゃ、出してもらわねば困る。何の為に従属したのか分からなくなる」
「しかし、本当に勝てるのか?殿の軍は尼子でも最強なのだぞ」
「誠秀殿、いえ尼子誠秀様、最早後戻りは出来ませんぞ!」
「幸清、清宗、お前達に説得されて今回の件に参加したが他に味方がいるのか?」
「赤穴盛清はこちらについております」
「決起すれば常光も恨みを持ってるので、こちらに着くはずです。そうすれば挟撃出来ます」
幸清と清宗は説明する。
二人は亀井誠秀を頭にし、尼子家に反旗を翻すことにした。
なぜ、誠秀が尼子家一門と分かったのかと言うと幸清は亀井家を継いだ誠秀を調べていたからだ。
「分かった。殿に反旗を翻し尼子家を作り変えよう」
誠秀は決意した。元々恨みは持っていた。しかし、家の再興を優先したかったから仕えていた。今回二人の提案は嬉しいものだった。
何せ、どちらも叶うからである。
同年八月中旬
但馬で亀井誠秀改め尼子勝久、牛尾幸清、佐世清宗が反旗を翻し織田に従属したことを広めた。これを聞き、出雲の赤穴盛清の赤穴城、佐世清宗の居城佐世城が反旗を翻し周囲に動揺が走った。
石見の本城常光は動かなかった。
常光は
「此度の反乱に一定の理解は出来るが私は亡き晴久様に恩があり、現当主の義久様には石見全てを任せて頂いた恩がある。此度は一兵たりとも動きはしない」
と中立を宣言した。
多胡重盛もそれに同調した。
牛尾城の牛尾久信は何故か、「謹慎する」と言って城門を閉じた。しかし、兵士を集めたりはしていなかった。
これにより反乱軍の数は
反乱軍
尼子勝久 一万五千
牛尾幸清 一万
佐世清宗 一万
赤穴盛清 八千
計四万三千にも及んだ。




