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武田の進攻 家康の決断

元亀三年(1572年)七月

武田が遠江と三河を攻め始めた。

家康はすぐに援軍を要請したが来たのは佐久間信盛、平手汎秀らと五千の兵士だけだった。


「同盟国の危機なのに織田はこれしか送ってこぬのか!」

「金ヶ崎でも我らを置き去りに逃げた癖に」

「徳川は織田家の家臣ではないぞ!!」

家康の家臣から怒声や罵声が飛んでいた。

「殿、ここは織田と手を切り武田に付きましょうぞ」

と、とんでもないことを言い出した。


「もはや武田が我らを認めると思うているのか?」

本多正信が指摘する。

「しかし、味方は援軍含めて三万ですが、三河の防衛も考えれば二万しかいませんぞ」

「武田は全てが集まれば四万にも届くのだぞ。最低でも三万以上いるのだぞ」


そんな中、知らせが入った。

「報告します、二俣城が落城!」

「なんだと!!」

この知らせに驚愕した。二俣城は遠江の要所であるからだ。


「早い、早すぎる、何故こんなにも早く落ちたのだ!」

家康は大声で言ってしまった。

「それが、水の手を切られたそうです」

と報告を受けた。


家康と信盛は、武田軍の次の狙いは本城・浜松城であると考え、籠城戦に備えていた。

予想通り信玄は三万の兵で浜松城に攻めてきた。はじめの二日間は力攻めをしてきたが落とすのが難しいと判断すると包囲した。


それから五日後

武田軍が浜松城の包囲を解いて、堀江城を目指した。

これに対して家康を含めた家臣から追撃を行おうと言う声が上がった。

本多正信達数人は誘い出す為の罠だと主張したが聞き入れられなかった。


「こうして閉じ籠もっているだけなど三河武士にはできない!」


こうして三方ヶ原から祝田の坂を下る武田軍を背後から襲う策に変更し、織田からの援軍を加えた連合軍を率いて浜松城から追撃に出た。そして三方ヶ原台地に到着するが、武田軍は魚鱗の陣を敷き万全の構えで待ち構えていた。

「クソ、罠だったか!!」

家康は正信の進言を聞いておくべきだったと後悔した。

眼前にいるはずのない敵の大軍を見た家康は鶴翼の陣をとり両軍の戦闘が開始された。しかし、不利な形で戦端を開くことを余儀なくされた連合軍は武田軍に撃破され、二刻後連合軍は多数の武将が戦死して壊走した。


織田、徳川連合軍は死傷者三千人のほか、鳥居四郎左衛門、成瀬藤蔵、本多忠真、田中義綱といった家臣をはじめ、先の二俣城の戦いでの恥辱を晴らそうとした中根正照、青木貞治や、家康の身代わりとなった夏目吉信、鈴木久三郎といった家臣を失った。


武田は狙い通り誘い出して織田徳川軍を蹴散らすことには成功したが、本多忠勝などの武将の防戦により家康本人を討ち取ることはできなかった。


武田はそのまま、浜松城に攻め込もうと軍を進めた。


その頃家康は浜松城に辿り着いていた。

「全ての城門を開いて篝火を焚け!それと太鼓を準備し、武田が、来たら一斉に鳴らせ!急げ!」


城兵に指示をして、部屋に戻ってしまった。

家康は空城計に全てを賭けた。


半刻後

浜松城まで追撃してきた先陣の昌景は異様な光景に足を止めた。

「なんだこれは...」

城門は開かれており、うちと外に篝火が焚いてあり太鼓の音が聞こえていた。


「これは罠かもしれん。全軍撤退!本隊に合流するぞ!」

こうしてこの日はなんとかやり過ごすことができたのであった。


翌日、武田から使者が来た。

「武田家家臣、山県昌景と申す。此度参ったのは降伏か停戦を申し入れるために参った」

その発言に家康を始め家臣は驚いた。

「降伏は出来ん。停戦とは条件はどのようなものか?」


「遠江からの完全撤退、三ヶ月の停戦。また、三ヶ月後、我らを素通りさせるなら三河は攻めない」


「何を馬鹿な!遠江を捨てろと言うのか!」

「三河を素通りさせろだと。我ら三河武士を嘗めておるのか!」

と、家康の家臣が勝手に文句を言う。

「申し訳ないが、家臣と話し合う為に少し時間を頂きたい」

「分かりました。半刻程、待ちましょう」

昌景は、そう言うと部屋を出て小姓に連れられて別の部屋に行った。


「さて、此度の申し出どうするか?」

「殿、ここは断り三河武士の生き様を見せつけましょうぞ!」大半の家臣が三河武士なので最後まで抵抗しようと言う意見が多かった。

「落ち着かれよ、ここは三河に落ち延び再起を図るのが良いと存じます」

正信が言うと周りから罵声が飛んで来た。

「静かにせよ!」

家康は皆を黙らせた。

「ここは屈辱に耐えて再起を図る」

「殿!」

「遠江を明け渡す。そして三ヶ月後、三河にて我らの粘り強さを見せつけるぞ」


こうして、家康は遠江を明け渡し、三河に撤退した。この知らせは浅井家攻めをしている信長を激怒させたが政秀が時間を稼げたことを強調し、なんとか収まったのであった。


一方の浜松城に入った信玄は床についていた。

実は織田徳川連合に勝利した後、持病が悪化し、吐血して倒れたのであった。


「昌景。此度の交渉見事であった。徳川にワシの容態は知られてないな」

「ははぁ!そのようなことは全く知られておりません。三河で再起を図ろうしておるようです」

「三ヶ月後、ワシの体調が戻れば一気に京まで行くぞ」

「ははぁ!」

信玄は体調を回復させることに専念した。

その間、昌景達に遠江の支配をさせていった。


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