表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/171

鬼兵隊と、軍神の力 虎の進軍

訓練所では鬼兵隊と斬り込み隊、常備兵が訓練をしていた。常備兵は五人組手、鬼兵隊は十人組手をしているところだった。

武器は木刀等だが鎧兜を着て実戦さながらの訓練に、来た者は驚いた。牛尾や本城も、初めて見に来たので驚いていた。

「常備兵は一人で五人相手に出来るように鍛えてます。鬼兵隊と斬り込み隊の者は最低十人を相手にしても勝てる者を選び、更に多くの相手が出来るようにしています」

それを聞いて更に驚いていた。

「これはいいな、参加させてもらおうか」

そういうと謙信は行こうとしたので、

「謙信殿、鎧兜はこちらにありますよ」

「無用じゃ」

そういうと木刀と木槍を持っていってしまった。

鎧兜をつけていないのを見て具教は困って俺を見てきた。

「鬼兵隊三人が相手して差し上げろ」

俺が言うと

「いや、十人で構わん」

謙信が要求してきた。

俺は景綱に確認したが

「あのお方のことだ、我らの言うことなど聞かれないだろう」

と諦めていた。

具教は、鬼兵隊十人に相手をさせた。

「始め!!」

具教が合図をすると十人が一斉にかかった。鬼兵隊は連携を大事にしているので互いが邪魔になることはなかったが...

一瞬だった...。

謙信が見えなくなったと思ったら全員吹っ飛ばされていた。

この場にいた全員が唖然とした。

「ふむ、こんなものか...今度は二十人できなさい」

と更なる人数を要求してきた。

具教が確認してきたので俺は許可した。

次の二十人が用意する。

他の鬼兵隊員や斬り込み隊員が注目する。

「始め!!」

具教の合図で始まった。

始めに五人がかかったが全て避けられ三人が脱落。その五人を盾にして裏から奇襲しようとした五人は、木槍で一蹴された。

これに驚いた残りの者が二の足を踏んでいたら謙信の方から攻めかかり、一人、また一人とやられていった。最後には残った五人が一斉に仕掛けたが簡単に捌きながら一人また一人とやられて二十人組手をやり遂げてしまった。

「ふむ、次は五十人でいいぞ」

これには流石に全員が反対したが押しきられてしまった。

「鬼兵隊!謙信殿は五十人を希望されている。我こそはと言う者は出て参れ!鬼兵隊の底力を見せてやれ!!」

俺は言うと鬼兵隊でも強い者が自ら出てきた。

「謙信殿には条件一つ付けさせて頂きますぞ」

「構わん、早く申せ」

「鎧兜を着けておられないので、鬼兵隊の木刀か木槍が服に触れたら終わりとさせていただきます。判断は具教に任せます」

「あい分かった。早く始めよ」

謙信は帯を締め直すと早くやりたがった。

「具教始めよ!」

「それでは、全員かかれ!!」

具教の合図で全員謙信に向かっていった。

謙信は確実に捌き、かわし、一人また一人と隊員を倒していった。中には、隊員を盾がわりに使ったりしていた。鬼気迫ると言うか、凄く楽しそうにしていた。

半刻後、残りは十人になっていた。

周りには倒された仲間で埋め尽くされていた。

これに恐怖した三人が取り乱してかかったがあっさりやられ、残りの七人も謙信に攻め込まれてやられた。

五十人組手をやりきっていた。

これには全員驚き、何も言えなくなっていた。

俺は途中から見に来ていた久家と幸盛に聞いたがどちらも無理だと答えた。

景綱に

「越後ではあれが普通なのですか?」

とつい聞いてしまった。

勿論、答えは謙信様のみだった。

「義久!、この訓練はいいな!越後でもしようと思う」

戻ってきた謙信は凄い笑顔で言ってきた。

謙信は余裕の表情だった。

俺は直ぐに救護班を呼び、謙信...いや、軍神に立ち向かった計八十名の勇士を治療させた。

軍神とは殺りあってはいけないと心からそう思った。

その後、謙信が湯浴みをしている間に、景綱殿と同盟についてと越中の完全制圧、越後平野開拓について話をした。

越中平定と能登攻略は尼子の常備兵一万、鉄砲隊五千、具教の斬り込み隊五千人計二万の兵士が行くことになった。越中平定には越後からも柿崎達五千人が共に行くとのことだった。

次に越後平野の開拓は黒鍬部隊五千名と越後の民と兵士を使い総勢四万人ですることにした。


夜には宴を用意したがまさか、宴用に多く備蓄していた清酒が空になるとは思いもよらなかった。

どんだけ飲むんだよと本気で泣きたくなった。

帰る時には清酒を何樽も持って行ってしまった。

越中攻めは七月として、開拓は九月を過ぎてからとなった。それまでに黒鍬部隊の為に長屋を用意すると言っていた。


元亀三年(1572年)六月

越中、能登攻略の為に出軍した。総大将を秋上久家、副将を北畠具教とした。本当は具教を大将にしようとしたが、斬り込み隊を指揮するからと言う理由で断られた。なので常備兵をまとめる久家に任すことにした。

一応越中の一向宗が相手になるので顕如に確認したら問題ないと帰ってきた。それよりも上杉の参戦を心待ちにすると言って来た。

越中と能登を落とせば織田包囲網が完成する。


そんなことを考えている頃、甲斐ではついに虎が動き出した。

甲斐の虎こと武田信玄が足利義昭の要請を受けて上洛を開始したのだ。

武田勢は諏訪から伊那郡を経て遠江に向かい、山県昌景と秋山虎繁の支隊は徳川氏の三河へ向かい、信玄本隊は馬場信春と青崩峠から遠江に攻め入った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ