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長秀の帰還 新たな人材探し

元亀元年(1570年)三月中旬

長秀が京に帰って来た。

「ただいま戻りました」

「それで、どうだった」

信長は尼子の領地について情報が聞けると思っていた

「はっ、上洛に関しては毛利と話し合って決めたいと。上洛の是非は使者を送り伝えると」

「それはどうでもいい!尼子の領地についてはどうだった」

信長はやっと尼子の情報が手に入れられると期待したが

「申し訳ありません。義久自身が因幡に来た為、因幡までの様子しか分かりません」

「なぜ、因幡なのだ?」

「それがしが領内に入ってから監視をされておったようで忍びに捕まり、鳥取城に連れていかれ客人としてもてなされました」

(どれだけ警戒されているのか...)

信長は久秀が言っていたことを思い出した。

「では捕まるまでに見たことを話せ」

「はっ、領民は皆平穏で裕福に暮らしており、農地に関しては四角く整備されており南蛮の野菜なども育てられており、井戸には見たこともない道具が取り付けられており簡単に水が出てきました。領民から聞いた話だと全て義久の手によるものだと言うことです。また、城下は楽市楽座をしており織田家と変わらない発展をしておりました」

「城はどんな感じだった。」

「正直に申し上げます。尼子家とは同盟なされた方が良きにございます」

「城は稲葉山城よりも堅牢で兵糧攻めをしたとしても落とすのに何年もかかると思います」

長秀は見たことを細かく説明していった。

「そこまで攻めづらいのか?」

「我らが攻めてくることを想定して作ってあるとしか思えませんでした。」

信長は長秀からの報告を聞き考えていた。

(同盟して最期に押し潰すか...もしくは呼び出して始末するか...)

信長が考えていると長秀がとんでもないことを言ってきた。

「それと織田家に、多くの間者が紛れ込んでいると思われます」

「何だと!」

信長は威圧しながら聞いた。

「間者が多く紛れているとはどう言うことか?」

「はい。我が方の機密である朝倉攻めが尼子に流れておりました。尼子義久と弟尼子倫久が言っていたので間違いありません」

「長秀、すぐに流出元を探し出せ。これ以上情報を奪われるな」

「ははぁ!」

もうじき朝倉攻めをすると言うのにこんなことではまずいな...。

信長など一人思い悩むのであった。


月山富田城

尼子義久

(そろそろ、また人材確保をしたいけど中々いないよな~ 今引き抜くとしたら島左近辺りは欲しいな~)

一人考えていると歩き巫女からの報告書が来た。まず、伊勢の北畠具教きたばたけとものりが政務から外され完全に隠居させられたこと。四国の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が土佐国東部を制圧。武田信玄が三増峠(みませとうげ)の戦いで北条家を撃破したこと。筒井の島左近が同僚との不和のため出奔したことなど報告が来ていた。

俺はすぐに人を呼び出して島左近の行方を探させるのと勧誘に向かわせた。

「これで来てくれるといいけどな...」

「北畠具教って確か塚原卜伝の一之太刀を伝授されていたよな。どうせ、乗っ取った織田に殺されるはずだから引き抜いてみようかな」

と縁もない北畠具教に書状を書いてみた。それを、正永に渡し、直接渡すようにさせた。


元亀元年(1570年)六月

信長敗戦の知らせが入った。

史実通り、朝倉を攻めた信長を浅井家が裏切り、袋のネズミにした。信長はすぐに撤退を開始し殿に羽柴秀吉と明智光秀を残したそうだ。

しかし、史実と違いそれほど酷い撤退戦ではなかったらしい。浅井軍にまとまりがなく、散発的な攻撃しかしてこなかったと書いてあった。

その為、織田はなんなく撤退することが出来たらしい

「長政が指揮をしたのではないのか?」

疑問に思ったが、まぁいいやと気にしないことにした。

信長は京にいるが近いうちに帰国すると書かれていた。

「まぁ、善住坊がここにいるから狙撃されることはないか。」

と、安易に考えていたがこの後とんでもないことになるとは思いもよらなかった。


一方その頃

大河内城一室

北畠具教

まさか、織田だけではなく具房に一部の家臣まで政務からワシを排除しようとするとは思いもよらなかったな。

「尼子から誘いの手紙が来たが如何するか...」

書状には、尼子家に来て剣術指導をしてくれないか。織田に勝っていたのに和睦させられて完全に隠居させられるくらいならうちで再起を図る最強の部隊を指揮、訓練してはみないか...

とあった。

「確かに、織田のせいでこんな目におうておる。やり返す機会は欲しいが国と家を捨てねばならぬか...どうするか...」

具教は一人悩み、数日考えた結果この話に乗ってみることにした。

八月末、具教は子の徳松丸・亀松丸と大橋長時・松田之信・上杉頼義らを連れて尼子領に向かった。

これにより父から解放された具房は喜んだが家臣達は不安しか残らなかった。


元亀元年(1570年)九月

俺は上洛することを決めた。反対も多く出たが今回六万を越える大軍勢で行くことにした。今回の目的は上洛し、尼子の力を他国に見せつけるのと、朝廷との繋がりの強化と石山本願寺の顕如との対談が目的だ。時間があれば久秀のところに寄るつもりだ。

今回の上洛に着いて行くのは

相談役、宇山久兼、

七老中から立原久綱、佐世清宗、本城常光

若年寄から、横道正光、中井久家、牛尾久信、鉢屋久経

と俺の家臣と忍び衆だ。

毛利家は福原貞俊が代理で行くことにしたそうだ。

まぁ、織田と若干敵対状態になってるから仕方ないか。


俺は、使者を出し来年四月に但馬を攻め落として上洛することを伝えた。

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