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宇喜多との密約

永禄十年(1567年)二月

松永殿との約束で柳生宗厳を借りていたが返す時になった。

「宗厳殿、長い間助かった。礼を言わせてくれ」と頭を下げる。

「拙者も、良き勉強になり申した。これからも門弟を集め鍛えるつもりにございます」

宗厳はそう言うと

「義久様、山中幸盛と秋上久家の二人はこのまま鍛えれば剣豪の域に達すると思います」

と言った。

そう言われた二人はなんだか嬉しそうにしていた。

「御願いがございます、二人もしくはどちらか一人を連れていきたいと思いますので許可を頂きたい」

宗厳が伏して御願いしてきた。

俺は悩んだ。二人とも、尼子になくてはならない存在だから。

「二人とも尼子家になくてはならない存在だ。何年かかる?」

と聞くと

「五年ください。五年あればその域まで至らせてみせます」

「久家、幸盛、その方らどうだ?」

と、二人に聞くことにした。

「願わくば行く許可を頂きたく存じます」

と久家が頭を下げる。

「必ず戻りますゆえ私も御願い致します」

と幸盛も、頭を下げる。

「宗厳殿、二人を頼む。五年後必ず返してくれ」

「ははぁ!ありがとうございます」

こうして、久家と幸盛は宗厳について行くのであった。


永禄十年(1567年)三月

宇喜多直家

「尼子のお陰で半分は減った。残りも問題あるまい。これなら予定より早くことを進められる...フフフ」

一人不気味に笑うのであった。

宇喜多直家は一気に行動に出た。

姻戚関係にあった金川城主の松田元輝・元賢親子、さらに岡山城主・金光宗高などを没落させ、その所領を自己の知行とするなど勢力を拡大し、浦上家で随一の実力者となった。


そして

永禄十年(1567年)八月

裏では尼子と結び、堂々と西播磨の赤松政秀と結び主君・浦上宗景を倒すべく反旗を翻した。


尼子家

「殿、直家より援軍を求める書状が届きました」

誠秀がもってくる。

「毛利との約束で表だって援軍は出来ん。何か方法は無いか...」

俺が、思案していると

「旗指物や家紋がついてない鎧などを身につけて宇喜多兵としていけばどうでしょうか?」

誠秀が言う。

「それはありだな」

となぜか納得してしまう。

「誠秀、鉄砲隊二千、槍隊三千人弓弩隊千五百人を率いて行ってみるか?」

と言うと驚いていた。

「私が率いてもよろしいのですか?」

誠秀は、聞いてきた。

「他の者は毛利に顔が割れてるし、お前自身大軍を扱う練習には丁度いいだろ。ただ、直家の指示には従っておけ。一応宇喜多兵として動くからな」

「はっ!必ずや成し遂げてみせます」

と意気込んでいた。

「ついでだ、名前も、偽名を使い、塩屋誠久と名乗っておけ。」そう言われて誠秀は驚いた。

「父の名前を使っていいのですか?」

「今回だけだがな。思いっきりやってこい」

と言うと気合い十分に援軍として向かっていった。

永禄十年(1567年)十月

正保、城戸、道順の三人が帰って来た。しかし、雑賀衆はいなかった。

「雑賀衆は何があった?」

と聞くと、正保が書状を渡してきた。なんだと聞くと、重秀からの書状と言ってきた。

書状には、松永、三好、畠山の影響で雑賀郷が脅かされているので戻れないと書いてあった。

「はぁ、仕方ないか。正保、また雑賀まで書状を持って行ってくれないか?」

「わかりました。行ってまいります」

とまた雑賀まで行くことになった。

書状には、「近年の状況を考えれば仕方がない。どうせ傭兵業も続けてるのだろうからその時は松永殿についてやれ。もし、雑賀郷が滅ぼされることになったらうちに帰ってこい。領地は残してある」と書いておいた。


永禄十年(1567年)十二月

三村攻めをしてる久綱から書状が届いた。

なんでも、備中高松城と備中松山城を落とせないでいるそうだ。高松城が粘るのは清水がいるから納得できるけど、なんで、松山城まで耐えてるんだ?

と不思議に思っていた。

書状には三村一族全員の保護を条件なら降伏すると言ってきたと書いてある。松山城は、もうじき落ちるが高松城は落とせそうにないと書いてあった。

俺は悩んだが、三村一族全員の保護を認めた。

「これで、来年には備中は我らのものだな。後は宇喜多のいる備前か」

と援軍を率いた誠秀が心配だった。

縁側で「正永、いるか?」

と言うと

「ここに」

といつものようにどっからか出てきた。

「すまないが忍び衆を何人か連れて誠秀の様子を見てきてくれ。危なくはないと思うがもしもの時は助けてやってくれ」

「ははぁ!直ぐにまいります」

と言い直ぐに出ていった。

「お主の父はどこにでもおるな~」

と後ろにいる小姓に言う。

この小姓は最近入った者だ。

「父上はいつも護衛しているからでしょう。夜間は別の者がついているそうですが」

と説明してくれた。

「お前はもう十一歳だが忍びの修行はしなくてもいいのか?」

「殿に付いてない時にやっています。藤林様や望月様にも習っています」

もうこの小姓が誰だかわかっただろうが、後の伊賀三上忍が一人百地丹波だ。正永が来た時はまだ乳飲み子だったが今は立派に小姓をしている。たまに、気配を消して後ろを着いてくるので恐ろしいこともある。

「まぁ、いい。仕事に戻るか」

といって山積みになっている書類を片付けたのであった。

これからどんどん動きがあるはずです。

百地丹波の幼名が見つからなかったのがくやしいです

感想などありましたらよろしくお願い致します

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