鬼吉川の力と講和に向けて
永禄六年(1563年)三月
今だに猿掛城は落ちない。
「まさか、ここまで粘るとはな...」
俺は焦っていた。隆元が鉄砲で撃たれて生死不明と伝えたら、降伏どころか更に粘るようになってしまった。それにいつ援軍が来るかわからないからである。
そんな中、最悪の知らせが届く。
「急報!吉川元春、吉田郡山城に入りました!」
早い!予想よりも早かった!
「猿掛城に使者をだせ。降伏を勧めよ。将、兵士全員の命を助ける代わりに城を明け渡せと言ってこい!」兵士の一人が向かって行った。
「雑賀衆いるか!」
「ここにいるぜ」重秀が言う。
「先に撤退して伏兵として構えてくれ。小倉山城に撤退する」
「わかった」
重秀達、雑賀衆が出ていく。
「久経、松尾城を攻めている秀久に小倉山城まで引けと伝令を出せ。急げ!」
久経はすぐに向かった。
「善住坊、正永、時間を稼げるか?」
俺は二人に聞いたがいい返事は帰ってこなかった。
「恐らく、対策して周囲を確認しながら進むと思われますので狙撃は不可能かと」
善住坊は言う。
「なら、郡山城からここまでどれくらいかかると思う?」
「恐らく、確認しながらで一日、全力で突っ込んできたら二刻で着くかと」正永の指摘に俺は絶句した。相手は武勇の吉川だ。絶対突っ込んで来ると思った。
そんな中、使者が帰って来た。
「申し訳ありません、一日考えさせろと譲らず不調に終わりました」
それを聞いた俺は援軍の話が届いていると確信した。
「直ぐに撤退する。急げ!!」
そんな中、さらに最悪な知らせがくる。
「急報!吉川元春、一万二千の兵を率いて吉田郡山城を出立しました!!」
最悪だ。
「やつらは突っ込んでくる。物資などは火をつけて急ぎ小倉山城まで撤退しろ!!急げ!!」
この時大きな失敗をした。
殿を置かずに撤退をしてしまったのだった。
二刻後、義久達が構えていた陣に元春軍の先陣が着いていた。その数五千。
その四半刻後、本隊が到着し、追撃戦をすることになった。
「やつらを根絶やしにする、皆続け!!」
元春は怒りに任せて追撃を始めた。
撤退をしてると伝令が来た。
「吉川元春の追撃に追い付かれ最後尾が攻撃を受けて崩壊しています!」
この時始めて殿を置かなかったことに気がついた。
「しまった!!クソッタレめ!!」
俺は自分の馬鹿らしさに苛立った。
「味方が伏せているところまで急げ!!」
そういって最後尾を切り捨てることにした。
吉川元春
追い付いたぞ!!兄上をあんなにした報いを受けろ!!
「撫で切りだ!一人も逃すな!!」
元春は大声で指示をした。
「おおぉぉぉぉぉ!!」
士気は最高潮まで達した。
まるで元春の怒りが乗り移ったかのように兵士たち一人一人が修羅の如く暴れた。
待ち伏せの地点に着く頃には三分の一以上は殺されていた。
「今だ!!撃って撃って撃ちまくれ!!」
重秀が叫び鉄砲が一斉に発射された。その後も回し撃ちによる連続射撃で追撃隊の先陣を崩した。
「今だ!!引け!!引け~!!」
重秀は叫び指示をする
「追え!逃がすな!!」
元春は更に追撃しようとしたが、元相に止められた。
「なりません!このままでは犠牲が大きくなりこの後の戦に響きます!」
雑賀衆の回し撃ちによって二千近くの兵が亡くなったり、負傷していた。
「仕方ない、退くぞ」元春はそういって猿掛城まで退くのであった。
小倉山城に着いた兵士は四千人位だが全員が大小の負傷をしており戦が出来る状態ではなかった。松尾城から引き上げた秀久達四千人も合流した。
俺は一人部屋にいた。後悔していた。久家の言うとおり全軍で山吹城に向かい、決戦をしておけばよかったのではないか。援軍を送った後、猿掛城を狙わず、小倉山城までにしておくべきじゃなかったのか..
「兄上...」秀久が来た。
「すまないが一人にさせてくれ。その間俺の軍の指揮権は久経に任せる」
「わかりました...兄上、勝敗は兵家の常、時の運でもごさまいます。余り、思い詰められぬようお願いします」
そういって秀久は出ていった。
「それはわかっている。わかってはいるのだが」
俺に取ってこの敗北は大きかった。
翌日、俺は兵士達を見回る事にした。
領民兵達の所では長く一緒に戦ってくれたもの達もおり心配して声をかけて来てくれた。
今の俺には正直きつかった。
強制徴用した流民兵のところでは
「帰りたい...戦いたくない...どうせ死ぬんだ...」
等、色んな事を言っていた。
俺がいることに気がついたのか、必死に謝罪してきた。
「此度は俺のせいだ。皆すまない」
と、いいその場から逃げた。
皆を集めて評定をした。
まずは現状確認からだ。
今小倉山城にいる兵士は約八千人。それと狙撃隊百名、忍び衆四十名だ。
「幸清と久包を呼び防備を固めるしかないか。」皆納得をする。
「兄上その後はどうします?」
秀久が聞いてきた。
「朝廷に停戦の仲裁をお願いする。誰か、秀綱と久綱の元へ行ってくれ。朝廷に動いてもらうように説得するよう指示してくれ」
「内容はどうしますか?」
久経が聞いてくる
「悔しいが、石西を与え、この城を返すことになるだろうな」皆悔しそうにしてる。
「それでは皆動いてくれ」
一方猿掛城では
「兵士達の様子はどうか?」
元春が聞いてくる。
「はい。隆元様があのようなことになっているためか尼子への怒りが強く、今すぐにでも攻めかかろうとしております」
元相が説明する。
「人望のあった兄上ゆえか..」
「準備を整えて小倉山城を奪還する」
そう指示していた時に伝令がやって来た。
「申し上げます、山吹城で尼子と決戦になり我が方は敗走し宍戸隆家様、口羽通良様お討ち死に!!」
「なんだと!!父上は!父上はどうなった!」
元春は焦った。父上まで何かあれば今の毛利は危ういからである。
「大殿は藤掛城に撤退されご無事にございます!」
それを聞いて安堵した。しかし、負けたとなると父上に援軍が必要となると考えた。
「元相、すまないが四千を率いて父上の元に向かってくれ。小倉山攻めは延期だ。俺は猿掛城で防衛する」
「御意にございます」
そういって急ぎ元就の元に向かったのであった。
永禄六年(1563年)四月
落馬して意識を失っていた隆元が奇跡的に目を覚ました。
その為吉田郡山城で大騒動となり各地に伝令が向かった。一番近くにいた元春は直ぐに向かった。
「兄上!気がつかれたのか!大丈夫か!!」
隆元がいる部屋に飛び込んだ。
「元春、すまんかった。俺の代わりに猿掛城を救ってくれて助かった」
と言い起き上がろうとするとその場に居た医師に止められた。
「隆元様は目が覚めてまだまもないです。当面は絶対安静でお願いします。それと、元春様、少しよろしいでしょうか?」
と、元春と二人で話をしようとした。
「なんじゃ、早く申せ」
元春が急かすと、
「隆元様の足の件にございます。申し訳ありません。玉を受けた右足は二度と動くことはないでしょう」
と治療出来ないことに深く謝罪した。
「...わかった。それを父上と兄上にも伝えてくれ」と言った。
それから三ヶ月
永禄六年(1563年)七月
双方睨み合いの中、久綱と一緒に朝廷から使いがやって来た。来たのは山科言継だった。
朝廷からの使者なので、上座を山科言継に座って頂いた。
「その方が尼子義久か?」との問いかけに
「ははぁ、尼子家当主尼子義久にございます」
といい深く頭を下げる。
「そなたらの朝廷にかける忠節見事である。その為此度はその方らから頼まれた停戦の仲裁を行うこととした」
「ありがたき幸せにございます」と、再度平伏した。
「ときに、義久殿、そなた今回の停戦のためなら敵陣の中に行くか?」と問われた。
俺はこの戦を終わらせたかったので、はいと答えた。
「うむ、ならば我と一緒に吉田郡山城に来てもらおうかの」というと周りが一斉に声をあげた。
「敵の居城に行くなど死にに行くようなもの!殿、御断り下さい!」
「そうですよ兄上」と久経や弟の秀久が言う。
「皆静まれ!」
俺は周りを静かにさせた。
「山吹城で本城達は勝ったが犠牲が多いらしい。そして、こちらは負傷者ばかりで犠牲が大きすぎた。終わらすにはこれしかない」
と言い説得する。
「山科様、共に向かいまする。」
といい、言継と一緒に吉田郡山城に行くことになった。
一方その頃吉田郡山城には元就も戻っていた。
隆元が目を覚ましたと聞き最小限の護衛と共に戻ったのである。
そんな中、朝廷からの使者である山科言継と尼子義久がこの城に来ると通達があった。
その為城内は騒然としていた。
「尼子義久が来るなど死にに来たようなもの、望み通り殺しましょう!」
元春を中心に家臣達から義久を血祭りに上げようと言ってくる。
「それをしては朝廷の顔を潰すことになり、最悪、朝敵になってしまいます」
そう言うのは貞俊だった。
福原貞俊は、尼子側の立原久綱と山科言継と共に戻ってきたのであった。
「目的は停戦だったな」
元就は隆元をあんなにした義久を殺したいと思っていたがこれ以上戦で疲弊するのも考えものだった。
「尼子義久をどうみる」
家臣に聞くのであった。全員が
「生かしておいたら毛利のためにならない。悔しいが晴久と同じく強い相手」
など色んな意見が出た。そんな中、福原の一言で一部の家臣が静かになった。
「尼子経久と戦っている気がする相手」これは重臣や元就も含め、経久を知っている者が皆心の隅で思っていたことであった。
「やはり、経久か...」
元就は呟き思い出していた。
「やはり、奴を取り込む事、考えるしかないか」
と悔しいが同盟も考えるのであった。
転生してからの初めての大敗でした。
次回は元就がどんな判断をするのでしょう。
感想などありましたらよろしくお願い致します。
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