侵攻と防衛
永禄五年(1562年)四月
出雲に帰って来た俺は七老中を集めた。そして、京であったことを伝えた。
「以上の事から我らは幕府との関係を断つ。代わりに朝廷に対して支援を行い繋ぎをつける。これは秀綱と久綱に任せたい」
「お任せください!」二人は言う。
「しかし、公方がそのような考えだったとは絶対に許せん!!」
そう言って、激怒しているのは石見を任せている常光だった。
「まさか、そのようなことを言われるとは...」
秀綱も意気消沈している。何かと幕府に関して任せていたことが大きいだろう。
「さて、京での話しはこれくらいにして、こっちの様子はどうだった?」俺が聞くと
「毛利からの調略は未だに来ています。何人かの国衆に接触はしましたがいまいちのようだったようです。間者は発見次第全員始末しています。特に多かったのは石見です」
と弥之三郎が説明する。
「伯耆国ですが、謀反などの動きは余り無くなり始めており、少しずつ国衆を家臣として引き込んでおりますが全員を家臣にするには今しばらく時がいるかと」
久綱が言う。
「因幡の国衆に接触し、寝返りを起こさせようとしましたが、色好い返事はあまり返っては来ません」
倫久が申し訳なさそうに言っている。
「倫久、その国衆全員が反対してるのか?どこか意見が割れてるところはないか?」
俺が聞くと
「兄上が八ヵ国守護を得たので割れてるところがほとんどです。しかし、反対もいるので寝返られないのが多い感じがしました」と言う。
「忍び衆と鉢屋衆、何人動ける?」と聞くと
「全員動けます」と答えた。
「鉢屋衆、お前達の得意分野だ。狩れ」と聞くと弥之三郎はニヤリと笑い
「ははっ!!」
凄い張り切っているのがすぐにわかった。
「忍び衆、今回は鉢屋衆の補佐に回ってくれ。倫久、久兼と清宗と一緒に因幡に攻め込み、山名を滅ぼしてこい。降伏すれば命だけは助けても構わん。任せる。鉢屋衆に反対する国衆を始末させ始末したところの国衆は味方に加えていけ」
「わかりました」
「承知しました」三人とも返事をする。
「幸清、久包、盛清」
「はっ」
「美作に出陣し三村を叩け。滅ぼせそうなら滅ぼしても構わん。」
「仰せのままに」二人は頭を下げた。
「常光は石見の防衛の確認と強化をしておけ。いつでも毛利が来ていいように。援軍がいる時は俺の部隊を出す」
「承知しました」
「今回は初めての侵攻だ、無理せず確実にやっていけ」
全員「ははぁ!」
これで、毛利が動かなければ楽なんだけどな。と思っていたが七月にやはり石見を攻めて来た。しかも難攻不落の山吹城にだ。
それと同時に石西の国衆と伯耆にいる三浦が裏切った。
毛利の数は二万三千人。石西の国衆が約四千人。山吹城には今七千の兵士が入っている。常光は勝つために援軍を求めた。
俺は久家と幸盛に九千五百人の兵士を持たせて援軍に向かわせた。そのうち二千五百人は俊通の鉄砲隊だ。ちなみに幸盛私兵は二千人だ。
俺は大友に使いを出し、門司城に侵攻してもらうことにした。
毛利の軍二万三千
総大将は元就だった。
主な武将は、吉川元春、福原貞俊、宍戸隆家、口羽通良などだった。
対して尼子側は
兵数一万六千五百
総大将本城常光
主な武将、秋上久家、山中幸盛、遠藤秀清、俊通兄弟
久家に伝言を頼んでいた。徹底防衛と。恐らく元就が撤退するとき襲い掛かってもこっちがやられるだろう。二度目は効かないと思っていた。
俺が絶対防衛戦として定めていた矢筈城、矢滝城、高城、温泉城のそれぞれにも毛利兵が押し寄せていた。どの城も兵士は千~二千の兵士が入っており、改築もし、兵糧を運び込んでいたので少なくとも籠城では半年は持つ予定だ。皆に任せて俺は三浦討伐の準備をした。
数ヶ月過ぎた。
毛利陣営
「まさか、ここまで固いとは」
毛利陣営内は暗くなっていた。鉄砲隊が援軍に入ったと報告にあったが事細かい詳細は得られなかった。そして、攻め上がると鉄砲隊によって味方にだけ被害が出ていた。鉄砲は一発撃てば再装填に時間がかかり十分に落とせると考えていた。しかし、実際には連続で撃ってきていた。
石央の国衆に調略を仕掛け寝返らそうとしても皆、
「山吹城が落ちなければ寝返らない。落ちたなら寝返る。少なくとも山吹城攻めには参戦しない」
と返答されていた。国衆が参戦してない分と本城軍は人数は少ないが鉄砲隊が邪魔だった。
「大友が再度門司城を攻めてきましたが隆景様と児玉殿が対応してくださってます」
大友がまた仕掛けてきた。前回の反省から隆景を残し、もしもの場合に備えさせておいた。
「父上どうしますか?」
元春が珍しく聞いてきた。
「約定を破っての侵攻、尼子と再度不可侵を結ぶことなど出来まい。なんとしても落とさなければ」
そう言いつつも落とせる気がしないのである。
「あの鉄砲さえ、何とかすれば落とせるものを」宍戸はそう呟く。
ただ包囲し無駄に時間だけが過ぎていく。
永禄六年(1563年)一月
あれから数ヶ月。幾度となく降伏の使者を送るが本城常光は降伏しなかった。他の矢筈城、矢滝城、高城、温泉城についても同じだったがそちらはそろそろ限界の感じがしていた。
「後、三ヶ月もしたら、兵士達を返さなければ、今年の米に影響します」福原が言う。
そんな中、最悪の知らせが入ってきた。
「申し上げます!小倉山城、落城!松尾城から救援が来ております!!」
「申し上げます!猿掛城から救援要請!尼子義久本人が攻めてきております!」
「なんじゃと!!」元就は驚き周りはその報告に一気にざわめいた。
「俺の居城が落ちただと!!猿掛城だと吉田郡山城の目と鼻の先ではないか!間違いではないのか!」
元春は怒鳴ったが伝令は間違いないと言った。
「吉田郡山城、隆元がおるはず。なにをしておるのか?」
元就が聞くと
「隆元様は猿掛城に尼子が来たと聞き救援に向かわれましたが、向かう途中敵の襲撃にあい銃弾を受け落馬し、吉田郡山城に戻り治療を受けております。国司元相様の命で至急大殿に伝え指示を仰げと命を受けました」
元就は顔面蒼白になった。隆元の命がわからないことと、尼子に猿掛城を攻められているからである。
「敵は何人おるんだ!」
元春が慌てて聞くと、
「松尾城には四千人。大将は尼子秀久と思われます」
「猿掛城には約七千人総大将尼子義久です!」
松尾城は、約千人、猿掛城には千五百人ほど残っていた。今戻ればなんとか間に合うはず。元相の判断は間違いなかった。
「元春、至急七千の兵を率いて猿掛城に迎え」
「しかし、父上それではここの人数が少なすぎます」元春は反対する。
「周りの城を囲んでおる者達を呼び戻すから心配いらん」元就はそう言う。
「貞俊、幕府に向かってくれ。大友と停戦出来るようにしてくれ」
そう、指示をし皆を動かした。
「まさか、居城を狙ってくるとは...」
元就は一人呟くのだった。
毛利との戦が始まります。伯耆の三浦は単独での謀反です。...何考えてるのやら。
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