最後...
寛永元年(1624年)7月
出雲 月山富田城
尼子義久
隠居して早19年。もう、85だ。最近は体も思うように動かなくなってきた。
側室の真貴は先に逝ってしまい、正室の秋は病がちになりながらも今も一緒に暮らしている。弟達もそうだ。倫久、秀久、二人とも先に逝ってしまった。秀久なんか家督を息子に譲った翌日に死によった。隠居すらしなかった。
方久は将軍になったと思えば、政宗(伊達)を七老中に入れ、信勝(武田)を七奉行に入れよった。
相談役になった久経は問題ないと言っておったが...。孫の宗久は伊達から正室を貰った。方久が進めたそうだ。あの二人(方久、政宗)は竹馬の友と呼べるくらい仲がいいそうだ。
しかし、北方開拓奉行か...。蝦夷地の更に北に大地があることを伝え地図を見せたらすぐに奉行を作りよって。総責任者を政宗にしたのはある意味正解だったかもしれん。あれは儂や信長に似て外の世界に興味を持っておる。開拓に熱中しているから打倒幕府はしないだろう。
南は島津を中心にまとめておる。高山国や呂宋には海軍の拠点を作り要塞化させておるし、そう簡単には破れまい。
蒸気船の数も増え、スクリュー型の開発も成功した。今度は潜水艦の開発も始めたそうだ。物作り大国日本の技術への探求心は半端ないな。
技術開発局も設立したりして日々、新しい技術を見つけたり改良したりと失敗と成功を繰り返しているそうだ。
そう言えば外国から何人か技術者が来ていたな。中には方久が引き抜いた者もいた。一番驚いたのはガリレオ・ガリレイが居たことだ。地動説を唱え異端審問されたところを引き抜いたようだ。
一度会って話し地動説を説明してくれたがこの時代にこれほどまで説得できる説明をしていたのには驚いた。本物の天才とはこういう人物だと思った。
方久に一筆書き、ガリレオの天文学や地動説を証明する為の援助をしてやるよう伝えた。
ガリレオは泣いて喜んでいた。きっと功績を残してくれるだろう。
朝廷と幕府の関係は良好だ。まさか、後陽成天皇が俺より先に亡くなられるとは思っても見なかったが、息子の後水尾天皇はしっかりとされた方で朝廷内をまとめられた。
しかし、猪熊事件は本当に肝が冷えた。後陽成天皇は関係者全員を死罪としたが、幕府としては公家諸法度に則り流罪にしようとして対立した。結局、あまりにも酷い醜態を晒し朝廷の権威を落とした大罪人として、男は全員死罪とし、女は全員硫黄島に流罪とすることで収まった。
史実では恩赦で免れた烏丸光広は今回も細川幽斎から古今伝授を受け継いでいたので死罪とはならなかったが、後陽成天皇から勅勘をくらい、官位剥奪と蟄居が命じられた。
蟄居に関しては後陽成天皇が亡くなられるまで続き、後水尾天皇の即位による恩赦で許されるのだった。
それからの彼は以前とは別人と思うくらい後水尾天皇の為に働いて、今では信任が厚い人物になっている。
幕府の七老中も七奉行も世代交代している。
七老中は筆頭を北畠久具に、伊達政宗、毛利秀就、島津久保、百地正高、宇喜多方家、立原充忠だ。
あの謀将も息子が幕府の重役になったと知ればどんな顔をしただろうか...。少し見てみたかった。
七奉行も松平方康を筆頭に武田信勝、武藤信繁(史実の真田幸村)なども選ばれており一新された。その中には尼子十城だった松田等の一族も選ばれていた。
相談役は勿論、鉢屋久経だ。
儂と共に戦場を駆けた者達もほとんど逝ってしまった。
生き残っているのも、相談役になってる久経や七老中だった本城隆光の弟の本城春政、後、遠藤直景くらいだろう。
春政も直景も既に隠居している。
久経は隠居を許してもらえないそうだ 。
儂と同じで方久が逃がすことはないだろう。もう少し苦労して貰おう..。
さて、死んだ者の中には祀られている者が二人いる。
一人は北畠具教で、晩年幕府の作った学舎で剣術指導をしていたこともあり、塚原卜伝や上泉信綱のように剣聖、又は剣鬼と呼ばれ武道場に木像が置かれ剣を極めたい者達から崇めらている。
もう一人いる。山中幸盛だ。まぁ、幸盛に関しては生きている時から変な噂が付いていたが、とうとう神格化された。
・・・まるでキリストだ。
幸盛の木像の前で自らの罪を懺悔し、その罪と同等以上に周りの者を助け、善い行いをすれば許されると言われ、連日かなりの人が懺悔しに来るそうだ。
あぁー、忘れてはいけない人物がいた。
松永久秀だ。
なんと、100歳まで生きたのだ。しかも、90の時に子供まで作りやがった!
そのせいで息子の久通は色んな意味で苦労していた。
ただ、最期は何とも静かな最後だった。
茶室で一人死んでいたのだ。
ただ、その茶室の様子は誰かをもてなした様な雰囲気で久秀の顔は満足そうな顔だったそうだ。
平蜘蛛茶釜、九十九髪茄子、そして、滅多に出すことがなかった曜変天目茶碗が使われていた。
最後に使ってるのを見たのは三好長慶殿と語った時だけだろう。
そう考えると誰が来ていたか分かった気がした。
・・・恐らく迎えとしていらっしゃったのかも知れないな。
寛永元年(1624年)8月
ワシは侍女に酒肴と盃を四つ用意して貰った。
部屋には誰も入れないでくれと伝え、一人部屋に居た。
辺りは既に暗く、蝋燭の火が揺らめいていた。
しばらくすると風が吹いていないのに蝋燭の火が消えそうになった。
「・・・やっと来られましたか...父上...」
俺の目の前に並べられた三つの膳の前に三人の男がいた。
三人やって来たが知ってるのは二人だけだ。
「義久、よく我らが悲願を叶えたな」
目の前の老人はそう言うと、俺の持っている盃に酒を注いだ。
俺はそれを呑みながら目の前の老人が誰か考えていた。
老人の左右に父(晴久)と義父(元就)が座っていたので目の前の老人が誰か分かった。
「そうですか、あなたが曾祖父様(経久)ですか?」
そう言って改めて老人の顔を見たが何処と無く緒形◯に似た人物だった。
老人は笑顔で頷いていた。
「..私は地獄行きですね。多くの者を殺しました...」
俺がそう呟くと三人は顔を見合せ首を横に振った。
「義久、死ねば皆逝くところは同じじゃ。皆お主を待ってるぞ」
父(晴久)はそう言うと頭を撫でてくれた。凄く懐かしく思え、涙が出てきた。
「父..上...私は...」
「さて、もう時間が無いな...。後は向こうで話そうか。義久、娘(秋)のことも聞かせて貰うぞ!」
「そうじゃ、上洛した時のことを聞かなくてはな!」
義父(元就)は秋とのことを言うと笑っていた。元就を仇の様に思っていた父(晴久)は上洛の話を聞きたいと言い、元就を認めていた曾祖父(経久)は同じ様に笑っていた。
「はい!では、皆で語り合いましょう!!」
俺は涙を腕で拭って三人と共に皆が待っている所まで逝くのだった..。
「...父上(元就)?」
秋は侍女から義久が酒肴と盃を四つ準備してくれと言われたと聞いて不思議に思い義久のいる部屋にやって来たのだが、部家の前の廊下を父である元就が通った気がしたのだった。
「殿、膳を四つとはどなたかいらっしゃったのですか?」
秋は部屋の戸を開け中に入ったが返事はなく、中には義久一人だった。義久の前に置かれた三つの盃に酒が入れてあり、義久の持っている盃は空だった。
「殿?」
秋は返事の無い義久に近付いて、涙が溢れていた。
「そう..ですか...父上(元就)が迎えに来られたのですね....」
秋は涙を零しながら義久を抱き寄せ、静かに泣き出した。
義久は亡くなっており、その顔は満足そうに満ち足りた顔していたのだった。
尼子義久、ここに生涯を閉じるのだった....。




