075 嫉妬の行方
お互いに気持ちを伝えあって、二年間も両想いだったことを確認した。
そんな中で飛び出した発言は、瑠璃と見に行った花火大会のことだった。
「どうしたの?黙って」
黙ってしまうのも当然だ。
まだ記憶に新しいその出来事。誰とも付き合っていない状態で好意を向けられている相手に誘われて花火を見に行くのは何も悪いことではない。普通とまでは言えなくともあり得る状況だ。
ただ、その後が黙ってしまう理由。瑠璃とキスをしたのだ。一回目は不意討ちをされたとはいえ、二回目は要求されたところで断れたのに自分からした。
妙に生々しく思い出せる出来事。これをどう伝えたらいいものか悩む。そもそも伝える必要があるのかないのか、それすらわからなかった。
「(どうしようどうしようどうしよう)」
焦りが生じる。冷や汗が垂れる。答えが出てこない。
そうなると今こうして背中から抱きしめている行為すらどこか問題があるのではないかとすら思えた。
そんな無言の潤を花音は徐々に訝し始める。
「やっぱり二人で行ったのね?」
「うぐっ!…………いや、まぁ、その……はい」
「それは別にいいわよ。瑠璃ちゃんと付き合っていたわけじゃないのよね?」
「それはない!瑠璃ちゃんには告白されたけど、断ったからさ!」
「ふぅん、告白されてたんだ」
「はっ!?」
問い掛けられる質問に、質問されたこと以上に答えてしまう。
自分の発言にすぐに余計なことを言ったと察して口を噤んでしまうのだが、時既に遅し。目の前の花音は明らかに膨れた表情を見せているのだから。
――――だが。
「でも許してあげる!」
「えっ!?」
「告白を断ったってことは、私のことを考えてくれていたってことでいいのよね?」
「いや、それはもちろん!」
膨れっ面から笑顔に変わる。笑顔を見たことで安堵してすぐに再び問い掛けられた問いに即答で肯定した。
「ふふっ、ありがと。瑠璃ちゃんには悪いけど、私のことを考えてくれていたことは素直に嬉しいなぁ」
「あっ、いや……」
そうして喜んでいる顔を見ているだけで罪悪感が込み上げてくる。
言うべきか言わないべきか。
「どうしたの?何か言いにくいことでもあるの?」
潤のしどろもどろした様子を見て花音は訝しんでいる。他に何かあるのかと。
――――そして。
「ごめん!正直言うよ!ああああのさ!」
「どうしたの!落ち着いて!大丈夫、ちゃんと聞いているから!」
覚悟を決めて口にしようとしても舌が上手く回らない。焦りだけが大きくなる。せっかくお互いの気持ちを確認し合ったのに、伝えてしまうとどうなってしまうのか。
それでも、隠し事はしたくなかった。正直に話すことにする。
大きく、それでいてかなり深く深呼吸する。
お互いの気持ちを伝え合って通じ合えたからこそ隠し事をしたくなかった。真摯に向き合いたかった。
「(ふぅ…………)あのさ、俺、瑠璃ちゃんとキスしちゃったんだよ。あの花火大会の日に――――」
伝えた。話してしまった。結果がどうなるのか恐ろしくて仕方がない。
「――――なんで?」
これまでで一番冷たく問いかけられた問い。胆が冷える。
背後から包み込んでいた腕を両腕で掴まれて身体から離される。そうして花音は身体ごと振り返り、正面から真っ直ぐ潤の目を見た。
「いや、あの、一回目は不意討ちをされて、二回目は…………雰囲気で――――」
「二回もしたんだ?」
段々と後悔が込み上げてくる。言わなくても良かったのじゃないかとすら思えて来た。花音の顔がまともに見れなくなる。
そうして視線を彷徨わせていると、両頬に少しひんやりとした感触を得た。
――――直後、目の前には花音の綺麗な顔があり、それを自覚するよりも先に唇に柔らかな感触を得る。その感触もまた冷たさを伴っている。
すぐに花音にキスをされたのだと理解したのだが、どうしてキスをされたのか理解できない。
「えっ?」
驚きと戸惑いに包まれる。ゆっくりと唇は離されるのだが、潤の頬を押さえていた花音の両の手の平は未だにそこにある。目の前の花音は厳しい眼差しを潤に向けている。
そうして状況の理解が追い付かないまま、目の前の花音の顔が再び近付いて来てもう眼前に迫ったところで花音は瞼を閉じる。そうして再びそっと唇が重ねられた。
二回目に感じる感触は先程よりも長く、それでいて妙な気分になってくる。その柔らかな感触は冷たさをなくし、人の体温をしっかりと感じさせた。
戸惑いつつもその感触を堪能してしまっている。
そうして、小さな音をたててすっと唇が離された。未だに理解が追い付かない。しかし、目の前の花音が口にした言葉で理解することができた。
「これで二回。同じよね。それで、これで三回目――――」
もう一度静かに優しく唇が重ねられる。
三回目は二回目よりも短く、一回目よりも長かった。
そうして離されることになる、遅れて気持ち良さを感じさせたその柔らかな唇よりも花音の表情に自然と目がいく。恥ずかしそうにしつつも強気な表情で見つめてくるのだから。
「これで私の方がキスの回数は上回ったわ」
「いや、そうだけど…………」
「何よ、許して欲しくないの?」
「けど……」
「もう!うじうじ考えないでよ!私は潤と両想いだってわかって嬉しかったのに、いきなりそんな話を聞かされてショックだったんだからね!」
「――ごめん」
申し訳なさしかない。ここまで考えてくれることに嬉しさ以上に申し訳なく思う。罪悪感が少し薄れているのは、ここで罪悪感を持っていても花音は喜ばないと理解しているから。
「潤が納得できないなら…………そうね」
潤の表情からまだしこりがあるのだと感じた花音は思い立ったようにじっと見つめて来た。何を言われるのかと覚悟する。
「じゃあさ、これからは私のことだけ見てくれるって約束できる?」
「は?」
一瞬固まってしまう。
「返事がないけど、約束できないの?」
「も、もちろんできるに決まっているじゃねぇか!二年だぞ!二年ももどかしい気持ちを持ってお前を見ていたんだぞ!」
「わ、わかってるわよ、だからこうして提案したんじゃないの! それにどうしてそんなに偉そうに言ってるのよ?他の子とキスしたくせに」
「ぐっ、それはズルくないか?」
「何よ?文句あるの?」
「い、いえ、ありません」
「ならよし!」
完全に主導権を握られた実感がある。だが、魔が差した自分が悪いことも承知している。
「じゃ、じゃあさ、あのさ、もっかいキスさせてもらえないか?」
それでも同時に物足りなさを感じてしまっていた。一方的にされたキスが三回。まだし足りない。もっとキスしたい。
「だーめっ。そうやってすぐに調子に乗らないの。それにそろそろ戻らないといけないわよ?じゃないと潤、それこそ停学とかになっちゃうじゃない」
「あっ」
話に夢中になっていて気付かなかった。
スマホで時刻を確認すると、既に20時30分を回ろうとしている。ホテルの端から端に移動しなければならないのだ。それもこっそりと。ある程度時間に余裕を持たなければならない。
花音は冷静に答える。
「それに、明日こそ一緒に回るんでしょ?」
そうやって立ち上がる花音は後ろ手に組み、可愛らしくはにかんだ。
「あ、ああ、そうだな」
「じゃあ私先に帰るわね」
「わかった」
我儘は言えない。もうこれだけで十分に満足するぐらいの出来事があったのだから。それに、何も今日全てが終わるわけではない、むしろ今始まったのだ。
「明日、楽しみにしてるね! あっ、それと、凜と真吾君にはとりあえず修学旅行中は黙っておきましょうね!」
「そうだな、あいつら余計な事言いそうだしな」
「ほんとはもっと話したいことあるんだけど、それはまた今度話しましょうね」
「ああ、わかった。また連絡するから」
「うん、待ってる!」
そうして花音はホテルの中に入って行くためにドアに向かい歩いて行く。ただ、ドアを開ける前に一度立ち止まり、振り返った。
どうしたのかと思い見ていると手を首元に持っていく。そうして懐に手を入れて、チャラっと手の平にシルバーアクセサリー、今日贈った誕生日プレゼント、トップに桜の花と花びらに音符が付いたネックレスを取り出した。
「あっ……それ、もう着けてたんだ」
「うん、さすがに学校では無理だけど、今日ぐらいはいいかなって。凄く嬉しかったから…………。じゃあね、また明日」
そうしてドアを開けてそっと中に入る。入る時に振り返り、手の平をひらひらさせた。バイバイだ。
潤もまた簡単に手の平を振るのだが、そこで抱く想いは花音のその仕草が可愛らしくてしょうがなかった。
「っし!やった!やった!やった!――よっしゃ!」
小さな声で力強く呟きそれでいて小さく拳を握るのは、花音と付き合えた喜びなのは明らか。ただ、凜や真吾はもちろん、杏奈や瑠璃にどうやって伝えようかという悩みは残るのだが、今はそれよりもこの幸せを感じていたい。満喫していたい。紆余曲折あったとはいえ、やっと想いが結実したのだから。
何度も噛み締める。待ち焦がれたこの時を。永遠に感じていたい。
潤がそうして感傷に浸っているところ、花音もすぐそこ、扉を背にして唇を触る。
「本当は私だってもっとキスしたかったんだからね」
そう小さく呟いたのち、表情を綻ばせながら、軽快にホテルの廊下をパタパタと小走りにして駆けていった。
花音が中に入って五分ほど後、潤もなんとか見つからないようにして部屋に戻ることに成功すると真吾に声を掛けられる。
「で、なんだったんだ?」
「ああ、すまん。もうちょっと待ってくれ。また今度話すよ」
「(絶対良いことあっただろこいつ。まぁいいか)」
そう思われるのは、明らかに言葉が軽く笑顔なのだから。
それから更に一時間ほどすると、バイブにしていたスマホにメッセージの通知が来る。画面を確認すると『おやすみ、それとこれからよろしくね』と簡単な言葉と可愛らしい猫のスタンプが貼られていた。
そこでやっとどこか夢のようだった世界から現実なんだという実感が湧いてくる。花音が彼女になったのだと。
潤もまた『こちらこそ おやすみ』とだけ返して、お辞儀をした武士のスタンプを返した。
そうして、何かまた通知がこないか待つこと一時間。結局それ以来通知はないままその夜は更けていった。




