073 交差
――――数時間前、二日目の自由行動後。
花音はホテルの部屋のベッドにうつ伏せで寝転び、スマホを片手に枕に顎を乗せていた。
女子と男子で違いがあるのは宿泊する階が違うのみで、ホテルでの夕食を終えたあとの過ごし方は似たようなものであり、各々好きに過ごしている。
凜も含めた同部屋の女子達は本日出掛けた場所の話をしてそれに伴って恋愛話に花を咲かせていたのだが、響花だけは窓際で本を読んでいた。
花音もまた変わらず部屋で過ごしているのだが、他の女子達との違いがあるのは思い悩んでいるということ。
ある程度普段と変わらない様子を装い、同じ部屋のクラスメイトにはその振る舞いで悩んでいるという風には見せていなかったのだが、頭の中は混乱が埋め尽くしている。
「(どうしようどうしようどうしよう)」
頭の中で何度も反芻しているのは、これから潤に対してどうやって向き合っていったらいいのかということ。想定していなかった思いがけない展開が起きてしまい、どうしたらいいのかわからない。
その理由は単純で明白である。
「(……絶対にそう思うよね? お兄ちゃんは潤が私のこと好きだって言ったけど、そんなのわからないじゃない!なのにお兄ちゃん、私が変わったのは潤のために変わったって断言したのよ?絶対に潤を困らせたに違いないわ)」
悶々と悩み考え込んでしまう。決まったことはもう兄とは当分口を利かないということだけ。
あの場、あそこで兄の言葉を聞いた潤の反応を見ても明らかにあの場を早く立ち去りたかったという風にしか見えなかった。つまり、花音の気持ちを知ってしまったことが潤にとって迷惑だったのではないかという可能性が頭の中を過る。
「(これじゃ中学の時と一緒じゃない!ううん、もっとひどいわ!)」
今にも泣き出したい。
「(あの時は本当にショックだったからどうやってもう一度話したらいいのかわからなかったし、それに潤もあれから話し掛けてこなかったのよ)」と、そう思い出すのは中学の時の花音が潤のタイプじゃないと偶然にも知った時のこと。
中学の時は、お互いに馬鹿なことを言い合いながらも軽妙な掛け合いをしていることで潤ももしかしたらという風に思い始めていた矢先の出来事だった。勇気がなくて連絡先を交換する前に体育委員が終わってしまって話すきっかけがなくなってしまったのだが、体育祭担当の教師から潤と一緒に映った写真を預かった。
その写真を渡す時になんとかしてせめて連絡先の交換ができたらと考え、それからまた少しずつ話をするつもりだったのだ。
そうして何度かやりとりをして、二人でお出掛けなんかしてみたいなって思っていたのだが、結果それが叶うどころか、地味なことを指摘されただけでなく、興味がないということを公然と断言されてしまうことになったのだから。そんな私と一緒になんて出掛けてくれるはずなんてない。と、そう思ってしまう。
けれども、進学先が一緒だと知って、決心する。高校で変化を求めるのはなにも自分だけではない。潤の好みがどういうものかなのかわからないが、それでも地味な自分を変えるためにやれるだけのことはやってきたつもりもある。
今では自然とそのスタイルを自分自身だと受け入れることができているが、最初は困惑した。周囲の反応が、対応が変わったことで潤にどうやって声を掛けたらいいのかわからなくなる。
高校一年でも同じクラスにはなれなかったが、一緒の高校に通っているのだからもしかしたらいつかきっかけが訪れるかもしれない。
そうして待つことやっと訪れた転機。凜と真吾が付き合ったおかげで偶然にも巡って来た再会。凜を通じて潤に彼女がいないというのは聞いていた。興味のないフリをしていたが、内心では嬉しかった。
約一年振りに会話をすることになったのだが、最初はその態度に不満があったので自分でも下手を打ったと思ってしまう。溜め息しかでなかった。
それでも再び巡って来たのは同じクラスだということ。
それから紆余曲折あったとはいえ、ここまではなんとか悪くない関係を築けているのではないのかという風に思えて来た。
今回の修学旅行でまた何か進展が、潤の気持ちを知る何かがあればと考えていた。ここまで待った。やっとここまで来たのだから焦るわけにはいかない。
そうした中、兄から修学旅行中にちょっと顔を見れないかというのは前もって連絡は受けていたのだが、せっかくの修学旅行でどうして兄と会わなければいけないのか。それも誕生日に好きな人と過ごせるのに。そう思って断っていた。
それに、誕生日だということを正確には伝えてはいなかったけれど、凜が言っていたのを聞いていたはず。自分で催促することはできなくても潤のことだから何かあるのかもしれないと淡い期待を持ってしまっていた。
そんなせっかくの修学旅行を楽しみにしていたのに、潤が規則違反をしたということで別行動になってしまう。時間を少し過ぎた程度で厳しすぎるとは思った。いくらか納得いかない気分にもなった。
しかしそんなこともあるだろうと割り切ることに決めたのは怒っても結果は変わらない。実は教師に掛け合ってみたのだが結果は変わらなかった。別に潤を責める気もなかったが、それでも一緒に過ごせないことにがっかりはした。
そんな折に再び兄から連絡があったのだ。
響花も体調を崩して休んでしまったというので、せっかくだから凜と真吾を二人にさせてあげよう。それでちょっとだけなら兄の顔を見に行こう。なんかしつこいぐらい連絡来てたし。
そうして兄と待ち合わせた。
それがどういうわけか、潤がその場に姿を現すことになった。それも兄を蹴り飛ばして殴りつけた。事態の把握が全くできなかったのだが、無意味にするはずがない。落ち着いた時に潤の行動の理由を聞いて嬉しくなった。私のために行動をしてくれたのだと。今までも言葉でそうして心配してくれていたのを実際の行動に起こしてくれたのだと。
いくらか行き違いがあったとはいえ、それが最大限に功を奏したと思ったのはプレゼントをもらった時。その時は功を奏したという風に冷静に見られるほど余裕はなかった。感情が先走る。本当に嬉しかった。もう少しで抱き着いてしまうところだった。
昂る感情を必死に抑え込んでいつもの自分を振る舞った。それでもその素直な気持ち、感謝と幾らかの好意は素直に伝えようとして言葉にした。
けれども、けれども、その全てを兄によってぶち壊された。今まで積み重ねて来たことを根元から壊された。
いつかタイミングを見計らって自分の口でそれを伝えるはずだったのに――――。
「――――花音ちゃん?」
「…………」
「かーのーんちゃん!おーい!」
「えっ?な、なに凜、どうしたの!?」
「花音ちゃんもこっち来ない?」
「えっ?あー、そうね…………」
凜から声を掛けられ、これ以上考えても仕方ないかと小さく溜め息をつき身体を起こしたところで、手に持っていたスマホが鳴った。ふと画面に視線を落とすと、通知された相手に驚き戸惑ってしまう。
「!?」
「どうしたの?」
「う、ううん、なんでもないわ。それで、今何の話をしているの?」
既読は付けたが返信はしていない。
本当ならすぐに返事をしたかったのだが、どうしようか悩むのではなく、どうやって顔を合わせたらいいものかわからなかったからだ。
そうして夕食と入浴を終える。夕食時に潤の姿が視界に入ってくることはあるのだが、それとなく目で追うことが精一杯だった。向こうも見ることはあるのだが目を合わせられない。
夕食後、再び部屋に戻ったところで考える。修学旅行が終わってから、これからも学校生活は続くのだ。それどころか、潤の規則違反が解除されれば明日にでも行動を共にすることになる。
このまま何もなかったでは終われない。
「ねぇ、凜?」
「なに?」
「ごめん、ちょっと用事が出来たから行って来るわね」
「わかった」
スマホを手にひらひらとかざして声を掛ける。他の女子が「浜崎さんどうしたの?」と聞かれるのだが、「たぶん電話でもしに行ったんでしょ」と答えた。女子達はすぐに「あっ!」と反応して電話の相手が彼氏だという風に理解して黄色い声を上げていた。
凜は事情はわからないまでも、いつもと違う花音の表情から何かしらの決意を読み取ったのだがここは聞かないでいたのだった。
そうして花音は部屋にあった浴衣をこっそりと持ち出し、ロビーのトイレで着替えて出て行った。
向かう先は地図が示された地点。潤が待つ非常階段まで。
――――そして、現在。
「それで、もし良かったら花音の気持ちを聞かせてもらえないかな?」
「…………うん、うん、うん!」
潤の目の前の花音は両手で顔を覆っていた手の平を下ろして、真っ直ぐに潤を見る。その顔を紅潮させており、両目に涙を溜め込んでいた。
それでも涙で滲む中、潤の顔をしっかりと見つめる。想いは既に、いや、とっくに重なっていたのだと。




