058 目算
二学期が始まり早いことに二週間が過ぎている。
学生達は夏の思い出話を存分に語り尽くしており、もう過去のことになっていた。そうして多くの学生達は秋に向けての準備に入っている。
十一月に学校全体行事である文化祭を控えているのだが、二年生はその前、十月に修学旅行が控えていた。まだ九月現在の今から焦ることはないにしても、いくらか気持ちは浮ついてしまっている。
「それにしてもほんとに効果あるのね」
「ねー。花音ちゃんにああやって聞いた時は結構びっくりしたけど、実際一気に減ったもんね」
「これで落ち着いて修学旅行に望めるってものね」
「モテる子は辛いわね」
「もう凜ってば!そんなんじゃないわよ」
昼休み。
屋上で昼ご飯のお弁当を食べ終え、片付けながら話しているのは花音と凜。周囲に他の生徒の姿はもうない。先程までは少なからず見られていたのだが午後の授業まで時間も迫っているので校舎内に戻っていた。
そんな状況なので気を抜いて話すことができたのは、それは二人ともここ最近の変化に想定以上の手応えを感じていたからだ。
「なんでそんな伝説があるのかな」
「昔そうやって結婚したカップルがいるらしいからねー」
「修学旅行で結ばれたカップルは結婚するっていうジンクスかぁ。そんなんなくても私は真ちゃんと仲良くしてるけどね。結婚するかなんてのはわからないけど」
「そりゃあそうでしょ。私達まだ高校生よ?けど、ロマンチックとは思うわ」
「ふぅーん」
「どうしたの?」
「いや、花音ちゃんがそんなこと言うのってちょっと意外だなって」
「そう?」
翌月に控える修学旅行のジンクスについて話すのは、この学校の噂の中でも上位に位置するそのジンクス。凜は花音が異性に対して興味がないのかと思っていたのだがそうでもないらしいということを確認した。
過去、修学旅行中に告白して付き合ったカップルがその後結婚したというなんともありきたりなジンクスなのだが、それがジンクスたる所以はその一組だけに留まらないということからだった。
「でもこれで花音ちゃんに告白する男子は一気に減ったはずだからね」
「まぁ嘘でもああやって言っておけばそういうの減るっていうのは瑠璃ちゃんが実体験で教えてくれたしね」
瑠璃が既に証明している。潤との噂によって明らかに彼氏持ちには基本的にアプローチはされないということを。それによって煽りを受けているのは相方の杏奈であり、それについて結構毒づいていても、けして男子を貶めるものではないので半分は面白おかしく聞いていた。
「けど本当に好きなら例え彼氏がいたとしても強引に奪うつもりの男気ぐらい見せられないのかな?」
「それはちょっとハードル上げすぎじゃない? でも確かにそれぐらい強引ならぐらついちゃうのかな?」
「さぁ?まぁ私は真ちゃんがいればそれでいいからそもそも断るけどね」
「ふふっ、ほんと真吾君のこと好きね」
「うん、もうだーいすき!」
「羨ましいな。そうやって気持ちを伝えられる相手がいるって」
少し不満気に話す凜に対して、どこか複雑な表情を浮かべる花音。
「なら早く彼氏作ればいいじゃない。嘘の彼氏じゃなくて」
「それはいいの。私のことは気にしないで。それよりも真吾君に言ってないよね?」
「言わないって。確かに私も人のこと言えないけど、真ちゃん口軽いから花音ちゃんの彼氏が嘘だってわかればまた男子花音ちゃんに近付こうとするし、修学旅行もそんなんじゃちゃんと楽しめないもんね」
「ならよし、協力に感謝します」
「(にしても最近彼氏作らないのって聞いても怒らなくなったわね)」
凜がこれまで何度となく繰り返して来た彼氏のことについて、最近の花音はそれに触れても怒らないということに変化を感じ取るのだが、どちらかというと良い兆候と判断したので必要以上に追及はしなかった。
キーンコーンカーンコーン
「あっ、予鈴ね。じゃあ戻りましょ」
花音と凜は屋上の扉を開けて校内に入って行く。
「―――嘘の彼氏ねぇ。モテる子は色々と苦労するのね。 さて、と。 私もそろそろ戻らないとどっかの誰かが最近五月蠅いからね。 よっと」
梯子を下りながら床が近くなったところですたんと軽やかに飛び降りたのは髪の長い黒髪の黒縁眼鏡の少女、水前寺響花。
水前寺は昼休み早々に屋上の扉の横の梯子から貯水槽がある場所に上って一人で読書をしていたところ、後から花音と凜が来ていたのだった。
別に話の内容を聞くつもりはなかった、ただ聞こえて来ただけなのだから仕方がない。それに、花音と凜の二人と水前寺は話したことがない。学年一の美少女がわざわざ嘘の彼氏を作って男子を遠ざけたのは修学旅行中に男子から告白されないようにするためだということはわかった。その偽彼氏を作った理由も、告白されても断るのが前提なのだが、そもそも告白されること自体が煩わしい上に恐らく修学旅行をそんなことで時間を無駄にしたくもないということも理解した。
「聞かれたのがあたしで良かったわね、浜崎さん。もうちょっと周りには気を付けておいた方がいいわよ。とは言っても関係ないから別にわざわざ忠告もしないけど」
そうして遅れて水前寺も校舎に入って行く。
水前寺が教室に入ると潤が少しばかり不貞腐れていた。
「おい、水前寺!今日は図書室にいなかったじゃねぇか!」
「女の子の事情を遠慮なく聞くところがデリカシーないわね」
「ちがっ……」
不躾な言い方に少しばかり言葉を返したら潤は慌てる様子を見せる。
「ふふっ、うそよ。別に深沢君なら気にしないわよ。何か用事でもあったの?」
「ああ、お前に教えてもらったやつすっげぇ面白かったからすぐに読み終えちまってな」
安堵の息を吐き、本の感想を簡潔に伝える。
「それはようござんした」
「だから次のおススメを教えてもらおうと思ってだな」
「あー、それなら…………そうね、あたしが家に持っているやつ貸しましょうか?」
「マジで!?助かるよ。図書室だと時間が限られるし、ラノベ貸し出し禁止だから家で借りて家でゆっくり読めねぇし」
潤の態度に呆れながらも、自前の本を貸し出すことを提案したら潤は目を輝かせる。
「まぁ悪いことする人もいるし仕方ないわよ」
「くだらねぇことするよな」
「まぁそういうのはどうしても一定数いるものよ。それよりもこれであたしの気持ちがわかったでしょ?」
「んー、まぁ、な。けどそれとこれは別の問題だ。ルールがあるならそれに従わないとな。そこに対して反発するならその枠から外れて生活しねぇと」
水前寺の気持ち、読書に夢中になって時間を忘れる感覚だということは理解しているのだが、それでもルールはルールだということを強調すると水前寺は眉をひそめた。
「むぅ、至極真っ当な意見ね」
「当たり前だろ」
隣り合った席になった潤と水前寺は図書室でラノベについて教えてもらって以降、こうしてよく話していた。
そこに男女の感情を抱くような掛け合いは一切見られない。話している内容も共通の趣味についてだ。
クラスメイトはそんな水前寺を遠目に見て意外と話す子なんだなという印象を軽く抱いているのは、潤がこうして話し掛けている姿に応えているのを何度も見ていた。これまで水前寺響花に積極的に話すクラスメイトなど男女問わずいなかったのだから。
―――放課後、潤が帰り支度をしているところに真吾が潤に話し掛ける。
「それにしても意外だな。もっと暗い奴だと思ってたぜ」
「話してみると案外普通の奴だぞ?」
「まぁそうみたいだな」
「真吾もおススメ紹介してもらうか?」
「いや、遠慮しておく。あんまりどっぷり浸かると凜が許してくれねぇんだわ」
「縛りはキツイな」
「いや、そうでもないぞ。他にも色々と一緒にやれることもあるしな」
「そっか」
一緒にやれることというのは男女の間柄であっても楽しめる共通の趣味を持つということだということはわかっている。多少羨ましいとは思うものの、それによって自分の趣味を制限されるのをそれはそれでどうだろうなのかと考えた。
「(花音はどうなんだろうな。水前寺なら―――)」
ふと想像してしまうその内容なのだが、すぐに振り払った。そんなことになるならそもそも瑠璃と付き合っているだろうと思ったのと同時に「(瑠璃ちゃんなら優しいからきっと俺に合わせてくれるよな)」とまた違う視点で妄想が膨らんでしまっていた。




