055 遅刻の結果
「なぁ、別に俺一人だけで大丈夫だけど?」
「どっちにしろもう遅刻するから同じよ」
自転車を押して歩く潤の横を同じようにして歩く水前寺響花。
もう数回目にもなるこのやりとりだが、一向に譲る様子を見せなかった。
「(はぁ、ほんとにいいんだけどな) そうか、二学期早々から迷惑をかけちまったな」
「気にしないで、私もよく見てなかったのがいけなかったから。それにさっきからお互い謝ってばかりなのでもういいじゃない、どっちも悪かったってことで」
「そっか、まぁそっちは怪我してなくて良かったよ」
見た感じと水前寺響花の様子から見て怪我はしていないだろうと思う。
「あー、でも正直に言うと、実は眼鏡が歪んでしまっていたりするのよね」
「えっ?そうなの?ごめん、気付かなくて。弁償するよ!」
「えっ?別にいいわよ。元々古かったし、予備の眼鏡もあるしね」
怪我はないとは言うものの、落とした際に歪んでしまったらしい眼鏡を軽く触って予備の眼鏡が入っているらしい通学鞄をポンと軽く叩いた。
「けどさ――」
「じゃあ、貸し一つってことで?」
「貸し?」
「ええ、だからもし今後あたしが困った事やお願いがあれば貸しを返してもらうってことで」
貸しって言ってもそんな貸しを返すタイミングなんかあるのかとは思うのは一学期の間一切関わり合いがなかったのだ。
しかし、冗談で言っているようには見えないのは眼鏡の奥の瞳がそれなりに真顔で言っているように見えたからだった。
「んー、わかった。それでいいなら。えっと、水前寺さん」
「呼び捨てでいいわよ」
「そうか?わかった。 じゃあ俺のことも呼び捨てにしてくれ。水前寺」
「えっ? えっと、深沢? 深沢君……深沢。 うーん、それはなんかしっくりこないから深沢君は深沢君よね」
水前寺響花はとりあえず苗字を呼び捨てで呼んではみるものの、馴染みがないのか何度か確認する様にブツブツと口にして首を傾げていた。
「はぁ!?じゃあ俺だけ呼び捨てっておかしいだろ」
「でもしっくりこないのはこないのよねー」
「うーん、けど俺だけ呼び捨てってのはちょっと気が引けるな」
「別に気にするようなことじゃないでしょ?あたしがどう呼ぶかなんて」
「まぁ確かにそうだな」
まぁ例え呼び方を決めたところで今後どれだけ絡むことになるのかわからない。これで多少知った仲にはなるのだろうけど、急速に仲が良くなるわけではないのだから別に気にする必要もないかとそのやりとりを終えた。
そうして特に会話が目立って発展するわけもなくお互い口を開かないまま学校に着いた。
当然遅刻しているのだから校門に立っている教師に遅刻の理由を話す。指導の対象にはなるのだが、潤は遅刻の常習犯ではないのでその場は軽く済んだのだが水前寺響花は違った。
「おい、水前寺。お前の遅刻にこいつを巻き込んでやるなよな」
「はーい、すいませーん」
「(そっか、こいつ教室の入り口側だったな)」
教室の中を思い出す。そういえば窓際近くの潤と対角に位置する水前寺響花の座席だったか。確か割と遅刻が多いやついたなと思うのはこいつだったかと思い出した。
「(だから遅刻することになってもあんなに余裕だったんだな)」と学校に着くまで余裕の態度で潤に付き合う姿に納得がいった。
「じゃあ保健室に行くわよ」
「はいはい」
「?」
声の掛け方が既に馴染みを見せる水前寺を、普段教室で見せている物静かな姿とのギャップに微妙に戸惑いつつも、同時に遅刻の常習犯という見た目に反して意外とだらしないのなという印象を抱く。潤の勝手な印象でしかないのだが、多少呆れてしまう。
「ほら、大したことなかっただろ?」
「そうは言っても消毒しておかないと」
目の前では水前寺響花が屈んでおり、潤は椅子に座っている。傷自体は擦り傷程度なので保健室の先生は不在だったが勝手に消毒液を借りていた。
そうして保健室でズボンの裾を捲り水前寺響花に消毒をしてもらっているのだが、自分でできると言ったにも関わらずこうして消毒処置をされているのは彼女が譲らなかったからだ。
「(それで頑固な一面がある、と)」消毒されながら上から眺める水前寺響花の性格をなんとなく分析しながらその外見を眺める。一番近くに見えるその髪の毛は、艶のある綺麗な黒髪。髪の毛が綺麗だというのはそれだけで美点だろうと思う。
「これでよしっと」
「ん、ありがと」
「じゃああたしも今の内に眼鏡を交換しとこうかな。歪んだままもなんだし」
潤がズボンの裾を下ろしているのと同時に水前寺響花は立ち上がり置いてあった鞄を開けて予備の眼鏡を取り出す。
予備の眼鏡を机に出して、今掛けている眼鏡を外すと頭を振って前髪を横に流した。
「(やっぱり前髪邪魔なんじゃねぇかよ。 しかしまぁ―――)」
水前寺響花の行動を観察していたのだが、そこでふと疑問が浮かんだ。
「あのさ」
「なに?」
予備の眼鏡を掛け終えて前髪を触って先程と同じように眼鏡の前に持って来る。邪魔なんだろと思うと同時に浮かんだ疑問をそのまま投げ掛けた。
「水前寺って、ちゃんとすりゃすげぇ可愛くなるんじゃねぇの?」
「…………えっ!?」
「(なんだよ今の間は)」
そう思うのは、眼鏡を外して前髪を除けた水前寺の目は大きくはっきりとしており、顔立ちは悪くないと断言出来た。髪の毛も綺麗な髪の毛をしているんだからもう少し気を使った方がいいんじゃないのかと思ったのだった。
「えっ!?えっ!?」
「何をきょどってんだよ?」
「えっ、だって急にそんなこと言うから……」
「ふーん、まぁ俺も水前寺と今こうして初めて絡んでただそう思っただけなんだけどな」
潤の疑問を聞いて明らかに戸惑いを見せているのだが、その様子がなんとも面白かった。どこを見たらいいのかわからいで視線を彷徨わせ続けているのだから。
別に嘘をついたつもりはない。実際そう思ったのだ。これまでそう思わなかったのは間近で水前寺の顔を見ることがなかったからだという風に思う。
「……嘘じゃないの?」
「嘘じゃないって」
「どうしてそう思うの?」
「いや、大した理由じゃないさ。女子って意識一つで大きく変わるよなっていうことを知ってるし、実際水前寺みたいなやつがめちゃくちゃ可愛くなったことを知ってるからさ」
脳裏に浮かべて想像するのは花音のことだということを潤は知っているのだが、水前寺は知らない。わざわざ言う必要もないので濁して話したのだが、事実である。
「知ってるわよ」
「えっ?なんだって?」
小さく呟いた声は潤には聞こえていない。
「ううん、別に」
「まぁ別にそうしろってわけじゃないよ。もしそういうことにチャレンジしたくなったらそう思ってるやつがいるって程度に覚えててくれ」
「……わかった」
「よし、じゃあ行くか」
「うん」
少し考え込む様子を見せた水前寺に対して悩ませてしまったのかと思ってしまう。そうは言ったが実際に変化を自分に求めるのは相当な勇気がいるだろうと考えるので声を掛けたらとりあえずは納得した様子を見せた。
あんまりのんびりもしていられないので足早に保健室を出て教室に向かう。
時間は丁度始業式を終えて各教室にてホームルームをしているところだった。
「すいません、遅れました」
「二学期早々に遅刻するとはやるな。まぁいいから早く座れ」
「はい」
教室の後ろから二人で同時に入るとクラスメイトの視線を一気に集めた。水前寺はいつものことなのか慣れた様子で入り口にある自分の席に何事もなかったかの様に座った。周囲のクラスメイトも特に気にする様子を見せない。
潤も窓際の席に向かって歩いて行く。遅刻自体したことなかったので微妙に視線を感じたのだが仕方なかった。それも二学期の初日に。無言で見送られる中を歩いて行く。
「珍しいな遅刻なんて」
「ちょっとな」
通り掛けに真吾に声を掛けられるのだが、あんまり話していられないので一言だけ返した。無言の中なので真吾の言葉は思ったよりも大きく聞こえる。
そうして着いた席はもう慣れた花音の横の席。
「おはよう潤。どうしたの?遅刻するなんて珍しいわね」
「おはよう花音。まぁ、ちょっとな後で話すよ。それより今何してんの?」
「あー、今席替え――」
花音と潤が会話を交わした瞬間、教室の中が微妙にざわついた。遅刻していなければこれほど視線を集めることもなかっただろうからこうはならなかったのだが―――。
「えっ!?今浜崎さん深沢のこと『潤』って呼んだ?」
「一学期の時からそう呼んでたか?」
「いや、苗字で呼び合ってたぞ?」
「まさか夏休みの間に何かあったのか?」
小さな声だが口々に聞こえてくるその内容。
「(あっ、そうか、忘れてた。そういやそうなるよな……)」
夏休みの間に何度も口にしていたのでもう一切気にならなかったのだが、クラスメイトは聞き慣れないそのやりとりがそうではなかった。




