049 覚悟
「今の花音だったよな?」
「み、見間違いじゃないですか?」
「いや、絶対に見間違えなんかじゃないって!」
もう既に人混みの中に消えて行った花音の後ろ姿にその横顔、見間違えの可能性もあるのは承知しているのだが、断言できる。もう何度となくその横顔を中学からこれまで、そしてこの四か月半隣の席や近くで見て来た。
「はぁ、やっぱり彼氏いたんだな」
「まだわからないじゃないですか!」
「いいよ、気を遣わなくて」
「……そんなわけじゃないんです」
項垂れる潤に対して声を掛ける瑠璃は複雑な表情をしているのだが、潤は全く気付いている様子を見せない。
ほとんど目が合うことなく帰りの駅に着く。
会話もほとんどなく無言が瑠璃の胸を締め付ける。
楽しかった花火大会の雰囲気はまるで、弾けて大きく輝いた後に一気に夜空の闇に溶け込んで消える花火と同じようにどこかに消えていった。
潤と瑠璃の最寄り駅に着いてやっと潤が重い口を開いた。
「なんか、ごめんな。俺のせいでせっかくの花火を台無しにしちゃったみたいで」
「先輩は勘違いしていますよ?」
「えっ?」
「私は花火を楽しみにしていたんじゃなくて、先輩と花火を見に行くことを楽しみにしていて、そして実際楽しかったんです」
「――っ…………けど」
「先輩が決めるんですか?私が楽しかったかどうかを?」
「いや、それは……」
瑠璃に謝罪をするのだが、返って来た言葉に対して口を噤んでしまう。
「それを決めるのは私です。だから今日私は楽しかった。はい、これでおしまいです」
瑠璃は笑顔を潤に向ける。その笑顔に儚さを感じ取るのは気のせいでもなんでもなかった。そしてその理由を潤は知っている。申し訳なさと困惑が混同する。
「…………そっか、なんかごめんな。これじゃどっちが先輩かわかんないな」
ただ、この状況にだけは謝罪しなければならなかった。
「いいですよ。それに覚悟はしていましたから」
「じゃあ、家まで送るよ」
「お願いします」
笑顔のまま応える瑠璃に申し訳なさが増すばかり。
まだ振り切れたわけではないのだが、ここまで気を遣わせた以上せめて普通にしておこうと思う。
そこから瑠璃の家まで歩いて向かい、取り留めのない話をそこそこに話す。
「送ってくれてありがとうございます」
「ああ、じゃあ次は学校かな?」
「そうですね、でもその前に先輩に見てもらいたいものがあるんですけど、ちょっといいですか?」
「見てもらいたい物?別にいいけどなにを?」
瑠璃を送り届けて帰ろうとする潤に対して、瑠璃は引き留める声を掛けた。
「ちょっと持って来れないので家の中に入ってもらってもいいですか?」
玄関のドアを開けながら潤を招く。
「まぁ別にいいけど持って来れないものって?」
瑠璃の後を付いて家を見上げながら中に入るのだが、不思議に思うことがある。
「あのさ、いつも家の電気消してるの?」
前に送った時との違いを朧げに感じ取りながら問い掛ける。
「あっ、言ってなかったですか?今日うち両親いないんですよ」
「えっ!?」
唐突に想定していなかった事実を聞かされる。
「(親がいないのに上がっちゃったのか……)」
妙な焦燥感に駆られるのだが、過る考えを否定する。別にやましいことは一つもしていないし、する気もない。
そもそも自分の家にも親がいなくとも瑠璃ちゃんは遊びに来るじゃないか、杏奈のところだけどと掛け違える状況を微妙に誤魔化すことにした。
そんなことを考えながら玄関で靴を脱ぎ、瑠璃の背中を追うように案内されるのは二階の瑠璃の部屋の前だった。
「ここ、瑠璃ちゃんの部屋?」
「はい、ちょっと見られるの恥ずかしいから目を瞑ってもらってもいいですか?」
「じゃあ俺下で待ってるよ? あっ、そうか、持って来れないって言ってたな。 はい、瞑ったよ」
恥ずかしそうに照れる瑠璃の表情を見ながら目を瞑る。
「(けど、持って来れない見て欲しいものって、なんだろな?重さ?大きさ?)」
全く思いつかない内容を考えるのだが、わからないまま。
そこに手を握られる感触があるのだが、握られるのは瑠璃の手だということはわかる。前にも繋いだことのある小さな女の子らしい手だった。
「ゆっくり歩きますよ」
「中にあるの?」
「はい、ですので、気を付けて歩いてくださいね」
部屋の中に入るのなら部屋の中を見ることになるんじゃないのかな、と微妙に矛盾を感じながらも、まじまじと物色するように見るつもりもないので言われるがまま瑠璃に手を引かれる。
そうして10歩も満たない内に瑠璃が足を止める。一瞬目を開けそうになるのだが、瑠璃の言葉を待ってから目を開けることにした。
繋がれた手はそのままだった。
「もうちょっと待って下さいね」
「ああ」
そこで深く吐く息、深呼吸の息遣いが耳に声なき音として入って来た。そんなに緊張して見せるものって想像もできない。
どこか緊張混じりの声に聞こえたのだが、状況がわからない。これから何を見せられるのだろうと思っていると、繋がれた手が少しだけ下に引っ張られた。思わず態勢を崩して膝を折るのだが、目を開けるなと言われたのでなんとかふらつくのを押さえるのだが床に膝を着いてしまう。
「ちょっと、急に引っ張るとさすがにバランスを取れないよ。目を開けるよ?」
「まだっ!」
瑠璃にしては珍しく大きな声が発せられたので、少しだけびくっとしてしまう。
一体何がどうなってこんな状況になってしまっているのか意味がわからない。
しかし、瑠璃の声より先に薄目を開けてしまっていたので、眼前に瑠璃の顔が迫ってきていることをはっきりと認識できた。
「えっ?」っと思考の中では何かと思ってしまうのだが、思考が追い付くよりも状況の変化がめまぐるしい。
視界の大半を埋めるように迫った瑠璃の顔、その恥ずかしそうにしていることでより可愛らしさを引き上げる容姿、目を瞑っている瑠璃の顔が普段見ている以上に女子というよりも女性に思えるほどどこか精神年齢を上回られている感覚。
今何が起きているのか外面的な状況はわかっていても内面的な状況はわからない。
思考が追い付かないまま、瑠璃の唇がそっと触れる。
初めて感じる柔らかなその唇の感触を、いけないこととわかっていてもずっと感じていたい。だが、数秒の感触を得ながらそっと瑠璃の唇が離される。まだ、と内心では思ってしまう辺りがそもそも間違っているとは思うものの、それでもその感触が名残惜しい。
「―――いい、ですよ?目を開けても」
もう一度深く深呼吸する息遣いが聞こえてきた直後に目を開けていいと言われた。
薄目で見えてしまっていたのだが、瑠璃は顔を離すと同時に俯いてしまっていたので潤が薄目を開けている、もしくは見えているのではないのかという可能性に気付いている気配を見せていない。
そうしてゆっくりと目を開ける。
ゆっくり目を開けたことが相まって視界がほんのりとぼやけてしまう。すぐに多少は見えるようになるのだが、灯りが点いていないことは視界がぼやけるのを自覚することよりも早く本能的に理解している。
数秒の時間を要してやっと目が慣れるのは、暗い瑠璃の部屋の中。どこに何が置いてあるのかは目を凝らさなければはっきりと見えないのだが、そんなことはどうでも良かった。
「……瑠璃、ちゃん?」
「えへへっ…………びっくり、しました、よね?」
「いや、それは、まぁ…………」
未だに手は繋がれたままだった。潤の片手をしっかりと瑠璃の両手は握っている。
「このまま話を聞いてもらっても……いいですか?」
「それはいいんだけど、せめて電気だけでも」
「点けると恥ずかしくて上手く話せる自信がありません。大事な、大事な話なんです」
発せられる瑠璃の言葉に思わず返事ができないのは、いつも潤のことを持ち上げてくれる瑠璃のことを、もう知らない仲ではない。
絶対に何もないのにこんなことをする子ではないということを知っているのだから。




