045 落とし穴
「じゃあ私そろそろ帰るね」
「また勝負しましょうね!」
「ええ、あんな一回勝っただけじゃ満足できないわ。もちろんこのままじゃ終わらせないわよ?」
「ふふん、こっちには潤という稽古相手がいることを忘れてはいけないですよ?まだまだレベルは上がりますので」
「あー、卑怯よっ!でもまぁいいわ、それならこっちにも考えがあるんだから」
「?」
帰り支度を始める花音に杏奈は再戦の約束をする。
今回のゲーム対決は初回ということもあって圧倒的に杏奈に軍配が上がった。当然と言えば当然の結果なのだが。
しかし、意外と花音も負けず嫌いな様子を見せて、短時間でもある程度コントローラー捌きも上達する。そして杏奈が不在の間に潤に伝授された対杏奈用のコンボで一勝をもぎ取った。
花音が拙いながらも杏奈の弱点を突いた攻撃を繰り出して負けた後、潤は杏奈に睨まれることになる。睨まれる理由をすぐに察したのだが、潤は素知らぬ顔で口笛を吹いて誤魔化した。「むぅー」と不貞腐れる杏奈だったのだが、それからはそれこそ付け焼刃だ。経験が段違いで対杏奈用のコンボも繰り出すことが出来ずに見事に惨敗したのだった。
だが、一度も負けるつもりのなかった杏奈に対して、一勝することを目的にしていた花音とのテンションの差は歴然でどっちが勝者かわからないほどだった。
そんなこんなの出来事の後の再戦の約束だ。
「じゃあお邪魔しました」
「またいつでも遊びにおいで」
「はい、お母様もありがとうございます。晩御飯までご馳走になって」
「いいのいいの、気にしないで」
玄関で潤の前に立ち花音を見送るのは杏奈と母親の小乃美。杏奈が母親を迎えに行った後、食事になったのだが、杏奈のお願いもあって花音は夕食の席に同席した。
潤と花音というよりも、杏奈と花音の関係によるものだというのは食事の席で潤がほとんど発言しなかったことからもわかる。まるで姉妹のように接していたのだから。
それに、これまでに光汰や瑠璃もよく食事に同席していることから花音が居たとしても何も特別なことではないのはこの家がそれぐらいオープンな家だからだ。
「こら、潤、何してんのよ?早く行きなさい!」
「何が?」
「花音ちゃんを送ることに決まってるでしょ?」
花音が玄関のドアを開けたところで、小乃美は振り返り動かない潤を見る。
潤としても女の子が一人で帰る夜道だ。当然送りたかったのだが、花音とはキスをしそうになってそのままうやむやなままこんなすぐに再び二人きりになるとどうしたらいいかわからない。どこか恥ずかしさと困惑を感じていた。
だが、幸か不幸か小乃美のアシストによって送らざるを得ない状況が発生した。自発的な行動ではなく、流れに身を委ねることにする。
そして帰ろうとしている花音も潤が送ることを聞いて「じゃあ送るよ」「お願い」と遠慮せずに声を掛けるのだが、その声にどこか緊張が入り混じっていることに気付いているのは潤と花音だけだろう。
そうして二人して玄関を出る。
雨はまだ降っており、音を立ててアスファルトを激しく打っている。当分止む様子を見せない。
花音は傘を持たずに自転車で来ていたのでどうするのか話した結果、潤の家の傘を借りて歩いて帰ることにした。
歩いても三十分程度だから歩けないほどではない。自転車はまた取りに来るのだという。
必然的に潤も花音に付き合い、歩いて送る。だが、少しの間は無言の空間が二人の間を取り持つ。思うところはあるのだが、時々花音の綺麗な横顔を眺めるだけに留めた。
そうした中、先に口を開いたのは花音の方だった。
「ごめんね、やっぱりさすがにこの雨の中だと悪い気がするんだけど」
「いいって別に気にすんなよ。それにそんなに気にするような距離じゃないしな」
キス未遂の尾を引いていないやりとり。お互いそのことについて触れないようにしているのはわかっていた。
歩いて送るにしても、そんなに距離があるわけではないことが多少残念に思うのは、こうして何度も二人きりになれるわけじゃない。
「(まぁ付き合ってたら普通のことなんだけどな)」
傍から見ればこうやって雨の中若い男女が二人で夜道を歩いていれば交際関係にあるかもしれないと思うのは他人から見ればの話だ。潤と花音のように友人関係や杏奈との兄妹関係などそれぞれ多様な関係はあるだろう。
実際、杏奈と二人でいる時は交際関係に見られることの方が多いし、めんどくさいのでわざわざそれを否定しないかった。
「(まぁ外から見れば付き合っているように見られるってのはそれはそれで悪い気しないしな)」
今の位置でも少し満足してしまう。そう思うと笑みがこぼれる。
「なに笑ってるの?」
「ん?いや、別に気にすんな。それよりも良かったのか、自転車持って帰らなくて」
「うん、いいの。この雨じゃ自転車を押してるとびしょびしょになっちゃうしね」
「……そうだな」
濡れると聞いてふと花音を見ると、傘を差しているにも関わらず傘から垂れる滴や風に吹かれた雨が肩や背中を濡らしている。意識すると少し冷えるのを感じるのだが、視線の先には雨に濡れたことで少しばかり透ける肌に視線が集中してしまった。
そうして思い出すのは数時間前に掴んだ肩に細い身体。細いにも関わらず指先に触れただけなのだが妙に柔らかかった二の腕。その柔らかさがどこか気持ち良かったということさえ思いだす。
「(って、ばかか俺!)」
悶々とする邪な考えを振り切る。
あのままキスをしなくて良かったと思うのはこんな程度でここまで妄想が膨らむと、キスをしていれば今以上に妄想が飛躍するだろうと考えてしまう。
「で、どうするんだ?自転車は」
「それはね、ちょっとお願いがあるんだけど」
「?」
再度尋ねた自転車の扱いを問うと、ねだる様に微笑みながらお願いをされた。
「ごめんね、雨、止んじゃったね」
「いや、いいよ。まぁちょっとした散歩だって思えばいいし」
花音の家に着く頃には雨はぽつぽつとしか降っていない。雨雲もまばらになり星空も見え始めているのでこれ以上は降らないだろうという見解が立つ。
それに、雨のおかげで今後の展開にわくわくしてしまう。嬉しさを誤魔化すことに精一杯で、花音の家に着くまでのこの道中ある意味必死だった。
「じゃあ、また行かせてもらう時、連絡させてもらうね」
「ああ、いつでも来てくれ。杏奈の相手をしてくれると俺も助かる。あいつ暇だ暇だ、相手しろって五月蠅いからな。」
「あー、それひっどーい!杏奈ちゃんにも私にも凄い失礼なんだからね!」
「事実だよ」
花音のお願いというのはまたゲームをさせてもらいに行くということだった。その練習に潤に付き合ってもらうということをお願いされる。だから自転車は置いておいてもらって、次行かせてもらった時に乗って帰るということだった。
「それじゃあね。今日はありがと」
「いやいや、俺の方こそありがとうだって。誕生日を忘れられないものにしてくれたんだからな」
「えっ!?それって――」
家の中に入ろうとする前に送ってもらったお礼を言われるのだが、礼を言いたいのは潤の方だった。
普通に話せてしまったばっかりにうっかり本音が漏れ出たのは、誕生日にこんなにも一緒に居られたことに対する満足感から自然と口にしてしまっていた。
自然と口にしてしまったからこそ、花音がどうして頬を赤らめて俯いてしまったのかわからず数瞬考えてしまうのだが、花音の指先が唇に持って行かれたことでやっと理解した。
「あっ、いや、違うぞ!サプライズプレゼントのことだからな!」
違わないことはない。むしろそっちの気持ちの方が強い。ただ事実としては何もしていない。
だが、否定しつつ辻褄が合うことはサプライズプレゼントのことなので慌てて口にした。
「そ、そうよね!杏奈ちゃんもお兄ちゃん想いよね。ほんと仲良いよね」
「そ、そうだな、だから次杏奈の時には手伝ってくれよな!」
「ええ、もちろんよ」
話が杏奈のことにすり替わったので内心では安堵する。
「花音ー?帰って来たのよねー?」
「あっ、はーい!」
奥から女性の声が聞こえてきて、花音は振り返り返事をした。
「ごめん、お母さんが呼んでるからもう入るね」
「ああ、いいよ」
母の声に慌てて家の中に入ろうとするのだが、その背中をただじっと見ていたら花音が振り返り笑いかけて来た。
「じゃあ、またね」
「…………」
花音の言葉を聞いて無言になってしまう。言葉を噛み締める。
「どうしたの?」
「いや、じゃあまたな!俺も帰るわ!」
「うん、バイバイ」
ドアが閉まる。
花音の声が遠ざかりながら恐らく母親と会話しているだろうという程度に聞こえた。
帰路に着くのだが、どこか表情が緩んでしまう。
「バイバイ……か。またこうやって聞くけど、あの時の【バイバイ】とはまた違うもんな。今度は次があるし」
帰り道、まだ雨が水たまりとなって地面に残る中、潤の心は今見えている夜空の星のように晴れやかな雨上がりのような気分になった。
嬉しくて走り出してしまう。途中公園を見て滑り台を全力で駆け下りてしまうほどに興奮してしまう。
「そっか、また会えるんだもんな。しかも学校以外で」
そうやって家に着いた頃にはズボンがびしょびしょになってしまっていた。
「……潤にぃ、なにやって来たの?」
「いや、ちょっと雨に濡れた滑り台ってどれくらいよく滑るのかなって思ってつい興味本位で滑っちまってな」
「バカじゃないの?」
「……だよな」
我ながらアホな言い訳だよなと思いつつも、苦し紛れに思い付いたことを口にした。
そのまま、花音の自転車のことと、これから花音が杏奈のゲームの相手をしてくれることを伝えた。
「あー、でもいいのかなー?」
「何がいいのかなんだ?」
「えっ、花音先輩よ」
「花音がどうかしたのか?」
「いや、だって潤にぃとゲームを練習する約束したけど、好きな人にバレたらどうなるんだろうって―――あっ、ごめん、今の聞かなかったことにしててね」
「いや、もう遅いだろ(マジか……)」
最後の最後にとんでもない話を聞かされた。




