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044 少しばかりの本音

 

 杏奈が母親を迎えに行くのを待って花音がゲームに熱中する間、潤はベッドの上でスマホをじっと眺めていた。

 操作をしても画面の内容が頭に入って来ない。状況的に何かしている風に装っていないと落ち着かないためである。


「(これ、付き合っていたら俺達どんな感じになるのかな?こんな感じで特に変わらないのかな?)」


 付き合った時のことを想像し、そのまま、ふと手に持つスマホから視線をベッドに向けた。

 友人関係から恋人関係になった際、確実に変化をもたらすであろう出来事を、その卑猥な妄想をしてしまった。願わくばそんな関係になりたいという願望は隠すことなく持っている。



「ねぇ?」


「…………」


 花音が振り返り声を掛けている。しかし妄想を膨らませている潤は花音の声に気付かない。


「ねぇ、潤ってば?聞こえてる?」


 床に手を着き、覗き込むように潤を見る。視界に入って来たことでやっと花音が何度か声を掛けて来たであろうことを理解した。


「あっ!」


 しかし、考えていたことの内容から思わず花音の唇を見てしまう。その柔らかそうで微妙に厚みのあるその唇に。


「(……キスしたいな。ってあほか俺は!) なんだ、どうした?」


 膨らむ気持ちに正直になるのだが、そんなことできるはずがない。即座に膨らんだ欲求を振り払う。


「何ぼーっとしてたのよ?」

「なんでもないって、それよりどうした?」

「結構そのコンボ?っていうのできるようになったからちょっと杏奈ちゃんの真似をして相手してくれないかな?もうじき帰って来る頃でしょう?」


 床に手を着いた状態、前かがみの姿勢から片手で髪をかき上げて潤を見る。


「ちょ!」


 声が漏れ出つつ、花音から視線を逸らせてしまう。


「どうしたの?」

「……いや、見えたから悪いと思って」

「見えたって何が?」

「……その……胸が…………」


 花音は胸元に視線を向けると、前かがみになっていることでシャツがうっすらと重力の力を借りて垂れている。

 髪をかき上げたことで、ベッドに腰掛けていた潤の位置からだとちょうど花音の胸元がまっすぐ見えたのだった。

 普段ならもう少し見ていたのかもしれないのだが、妄想が膨らんだ今、色々とまずかった。思わず視線を逸らせてしまい、なんとかして欲しかったので視線を逸らせた理由を花音に伝える。


「…………(あれ?)」


 もう少し反応があってもいいのではないかと思ったのだが、花音は無言で身体を起こしている。

 しまった、さすがにこの状況で言うことではなかったのかと思いつつ、恐る恐る花音を見た。


「もう、へんたい」


 目が合った瞬間に胸元を両手で隠している花音は、恥ずかしそうにして頬を赤らめながら視線は少し下を向きつつも上目遣いになり、しっかりとそう小さく呟いた。


 今まで感じたことのない衝動に駆られる。欲求が抑えられそうにない。だが、ここで抑えなければ全部終わる。


「……別に、いいわよ?」


「は?」


 何だ?何がいいんだ?まさか今考えている妄想を全て現実にしてしまってもいいのか?けど、どうやってやったらいいんだ?


 妄想が飛躍する。



「別に海で水着姿を見られてるし、そもそもその水着を買うのに付き合ってもらったんだから、ちょっと胸元を見られたところで変わらないでしょ?」


「(なんだ、そういうことか。っていやいや違うだろ!?それだいぶ危うい考え方だからな!)」


 男の、というか潤の勝手な解釈だが、環境や状況が違い過ぎる。


 海で水着姿の女性が大勢いるのは当たり前だ。花音がその中にいたとしても見えるものは見える。だがそれをまじまじと直視するなどということはできないまでもそこにある羞恥心はそれほど大きくないだろう。

 しかし、見えているのと見てしまうのでは大きく違う。もっというなら見せられるのは嫌いだし、そういうこととは少し違う。

 ただの気持ちの問題かもしれないが、今この家には二人きりでさっきまで卑猥な妄想を膨らませて、目の前には好きな女の子が恥ずかしそうにしているのだから。



「はぁ」と溜め息が漏れ出た。なんとか妄想を抑え込んだ。自分でも頑張ったと思う。



「あのな、ちゃんと言っておくぞ?」

「何を?」

「今の発言に関すること全部だ」

「全部って?」


 何を言われるのかわけのわからない花音は首を傾げる。


「(くっそ、ほんと可愛いな)」


 いちいち花音の動作が気になって仕方ない。


「まず、男は見てしまうもんだ。例えそれが見るつもりがなくてもつい見ちまうこともある。それに、海で水着の女性の胸を見るのは普通というか、女性の方もよっぽどじゃなければそんなに恥ずかしくないだろ?」

「まぁ、そうよね。言おうとしていることはわかるわ。それがどうかしたの?」


 持論ではあるが一般論を言っているつもりなので、花音も同意する。


「ただ、俺は花音が危ない目に遭ってほしくないんだ」

「どういうこと?」


 未だに首を傾げる花音は潤が言おうとしていることを理解していない。


「だからぁ!」


 花音の両肩を掴む。

 それなりに力を込めているのは花音が逃げられないようにするためだ。


「こんな風に男と二人っきりでこうやって迫られたらどうすんだ!ってことだよ!」


 実際の状況を想定した行為、花音の前に顔を近付ける。

 潤にその気があれば強引にキスもできるほど近付いた距離、視界はほとんど花音の顔で埋め尽くされる。

 そして勢いそのままに、右手は掴んだ肩から後頭部に回して手の平でしっかりと覆う。


「えっ、いや、その………………ご、ごめんなさい」


 花音は数秒目が合った後に、潤が何を言おうとしているのか理解した様子を見せる。


 花音の謝罪を聞いたところで後頭部に回していた右手と、肩を掴んでいた左手を離した。


「なら良い。気を付けてくれ」


 思っていた以上にドキドキしなかったなと思うのは、割と真剣に花音のことが心配に思っての行為だからだということだ。

 自分が花音と付き合えなくても、あほな男に引っ掛かって欲しくないという勝手な願望だ。少しでも花音が危機感を持ってくれればそれで良かった。


 無言で俯いている花音を見て「(しまった、やり過ぎたかな)」とは思うものの、後悔はない。事実心配になったのだから。


 それでも、この状況をどうしようかと思うのだが、やってしまったことは仕方ない。というか実際にはまだ何もしていない。


「あ、あのさ!」「ねぇ?」


 声が重なった。

 俯いているのでどういう表情なのかわからないのだが、声の調子から怒ってはいない程度にはわかった。


「どうした?」


 何か言おうとしたので、花音からの言葉を待ったのだが、言葉が続いて来なかった。どうしたのかと声を掛けたら花音が顔を上げる。


「あ、ありがと、心配してくれたんだね。 そういえば水着を選ぶのに付き合ってくれた時もそうやって心配してくれていたよね」


 その表情は潤から見ても明らかに真っ赤になっており、見ている潤も恥ずかしくなる。


「いや、ほんと、その、あの、なんだ。か、花音は可愛いんだから色んな男が寄って来るだろ?中には強引な奴もいるかもしれないからな」

「そっか、そうだよね。 ねぇ、潤は……キスをしたことあるの?」


 そして唐突な質問が飛び出した。


「ね、ねぇよ!なんだよいきなり」


「……して……みる?」


「えっ!?」


 どういうつもりでそんなことを聞いてくるのか理解できない。

「(まさか冗談で言ってるのか?それとも強引に誰かにされる前にせめて知っている奴にファーストキスをとか?あほか俺、んなわけないだろ。じゃあもしかしてただの興味本位?)」


 同級生で、興味本位でキスをする奴の話を聞いたことがある。その場の勢いやらなんやら。

 もしかして花音もそうなのかもしれない。雪の時には即答で断ったのだが、今回は相手が相手だ。自分の好きな相手だと自分勝手に都合の良い解釈をする。

 なら、これはさっきの強引に迫った時とは違って同意の上で何も悪いことではないはずだ。


 花音と目が合う。


 そこに言葉はない。チクタクと刻んでいる時計の秒針の音がやたら気になるし、外では雨の降る音が聞こえる。どこか集中出来ないのだが花音からは目を離せない。


 ただただお互いじっと見つめ合った。目を見たあとは唇にしか視線を向けられない。柔らかいのだろうがどれぐらい柔らかいのか。妄想だけが先走る。


 本能と衝動のまま床に手を着いてそのままゆっくりと花音に近付く。

 床に着いている手が同じように床に手を着いている花音の指先に微かに触れた。

 花音が「んっ」と小さく息が漏れるように声を発して、すっと目を瞑る。



 いくしかない。



 これは神様がくれた誕生日プレゼントかとか一瞬余計なことを考えてしまい、意外に冷静な自分がいるものだと思う反面、思考と反比例するように動悸が激しくなる。


 先程とは違う肩の掴み方。両手で優しくそっと包み込むように肩を掴む。右手を後頭部に回す必要がないのは、逃げられることがないのを知っている。


「(いくぞいくぞいくぞ!)」


 徐々に、ゆっくりと近付きながら覚悟を決める。


「(中学の時も思ったけど、ほんと、綺麗な顔してるな。でもあの時はもっとこう、奥深くにその綺麗さが隠れていたんだよな)」


 まるで深い森の中に美しい妖精がいるような、とか考えたことあったっけと思うのは高校で疎遠になっている間に綺麗になった花音と比較して中学時代の花音をそう表現していたことを思い出した。


 そうして、もう目の前にいる。あと一息踏み込めばキスが成立する。



 だが―――。


「あのさ!」「ごめん!」


「「えっ?」」


 再び声が重なった。目を閉じていた花音と目が合った。その距離は目と鼻の先。


「たっだいまー!」


 階段を駆け上がってくる音が聞こえる。その声と音だけで理解できる。


 杏奈が帰って来たのだった。



 そこそこに勢いよくドアが開かれる。


「あれ?どうしたの?二人とも黙ってじっとして?」


 杏奈が部屋に着くと、黙っている二人、微妙に距離を取って座っている二人。

 テレビからはただただ操作をしていないゲームの音しか聞こえてこない。


「杏奈!は、早かったな!」


「えっ、すぐに帰って来るって言ったじゃん?」


 潤の間抜けな問いに対して、何を言ってるんだとばかりにそのまま返す。


「どうしたの?」

「う、ううん!なんでもないの!そ、それより、私強くなったんだからね!」


 杏奈の登場で誤魔化すのは二人して変わらなかった。


「へぇー、そんな付け焼刃で杏奈様に勝てるわけないでしょ!?」

「あっ、言ったなぁ!覚悟してよね」

「ふふん、掛かってきなさい」


「……お前ら、いつの間にか立場逆転してるぞ」


 上手に出る杏奈に対して立ち向かっていく花音。先程までのどこか緊迫した空気が杏奈の登場で一気に吹き飛んだ。

 ゲームに関して先輩と後輩が入れ替わっていることに言及しても二人とも特に気にしている様子を見せていないので、そのまま黙って見送った。



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