035 シャンプーの香り
「良かったわ、親御さんみんな了承してくれて」
雪は安心した様子を見せていた。
「まぁびっくりはしていましたけど、雪さんが丁寧に話してくれていたおかげもありますよ」
「そう言ってくれると多少救われるわ」
民宿の一室に集まって話している。
それぞれが各親に電話にて連絡をするのだが、電話口には雪が直接出て各親に丁寧に謝罪をしていた。叔父が話すと言ったのだが、責任を感じた雪は自分でその役割を務めた。
その甲斐あってか、どの家庭も特に目立って問題になるということはなかった。
車が動かないと聞いた最初は驚いたのだが、夏の楽しみと言えば海やプールといった水関係なのはもちろんのこと、こういう合宿めいたことも醍醐味にあるので一同は思わぬ副産物として最終的にこのトラブルを満喫することにしたのだった。
「けど、本当に宿泊代を払わなくていいんですか?」
「いいのいいの、これで宿泊代もらったらどんな悪徳業者なんだって叔父さん言ってたし」
花音が気に病んでいたのは思いがけないこととはいえ、民宿に一泊するのだ。まさかただで泊めてもらうわけにはいかないという姿勢で話すのだが、そこに凜が割って入る。凜はまるで問題なしとばかりに話していた。
「そう?ならいいけど……」
「それでさ、せっかくだからさ、みんなで花火でもしない?まだ開いてる店がこの先にあるんだよねー」
「あっ、いいねぇ。さすが凜ちゃん、わかってるぅ!」
「でっしょー?夏といえば花火、これ定番だからね!」
そうして凜の提案で花火をすることになったのだが、買いに行くのは誰にするのかをトランプで決めることになった。
―――そうして。
「くっそ、絶対あいつら俺をハメやがった」
「負けた文句をいつまでもぐちぐち言わないの」
潤と花音は薄暗い夜道を二人で隣り合って歩いていた。
トランプの結果、潤と花音が負けて買い出しに出かけることになったので不満を漏らすのだが、実際はそう不満でもなかったりする。むしろ微妙に気持ちは浮ついていた。
「(花音のシャンプー、良い匂いするな。同じシャンプーを使ってんだよな?)」
夜風に乗って匂うのは花音のシャンプーの香り。
前もって民宿の浴場を使わせてもらえることを聞いていたのでシャンプーなどの荷物はこだわりがない限りは余計な荷物になるから必要ないと聞いていたので持って来ていない。
状況がそう思わせるのか、妙に変な感覚に襲われていた。
そんなことを思いながら凜から説明を受けた店に向かっているのだが、街灯はそれほど多くはなく、道路を多少照らす程度だった。
「思っていた以上に暗いわね」
「まぁそうだな、俺達のとこよりは家の灯りもないし、街灯の数も少ないしな。けど、ほら」
花音が少しばかり薄暗い夜道に怖気ている姿を見せているので潤は何事もないように装い、空を見上げた。
もう完全に夜の闇に溶け込んでいるのだが、潤に釣られて花音も空を見上げる。
「綺麗ね」
「だろ、ちょっと夜道は怖いかもしれないけど何も悪い事ばかりじゃないんだって」
「……ふふっ」
「な、なんだよ?急に何を笑ってんだ?」
「んーん。やっぱり潤って優しいなぁって思ったら思わず笑っちゃった」
空を見上げると星空が煌びやかに輝いている。潤達の街では星は見えてもこれほどの星空が夜空に広がることなどありえないのだった。
名前で呼ばれることに最初に呼ばれてから時間が経っていたこともあって改めて呼ばれることに気恥ずかしさを感じるのだが、それよりも気になることがあった。
「やっぱりってどういうことだ?」
「ほら、覚えてる?中学の時のこと」
「中学って……体育委員か?」
中学の時のことを覚えているかと問われて思い出すのは二点。良い思い出と悪い思い出。ただこの場面で悪い思い出を話しだす様には思えなかったので恐る恐る確認する様に体育委員だろうと声に出した。
「ええ、私が声を掛けたことがきっかけで潤に仕事がいっぱい回っちゃったじゃない?」
「まぁそうだな」
「えっ!?そこ否定しないの!?」
「だって事実だからな」
潤が確認する様に言った体育委員ということを花音が肯定する。その言葉を聞いて内心ではほっとした。そのまま調子に乗って受け答えするのだが、その感覚が懐かしく思う。
中学の時はこれだけ気軽に話していたよなと少しばかりの回想をしてしまっていた。
そんなやりとりを花音も膨れっ面になるのだが心地よさそうに笑顔で応える。
「あの時、結構口ではブツブツ文句を言っていたよね」
「それはわるうござんした」
「何よその言い方! けど、絶対途中で投げ出さなかったし、態度は嫌々やっていなかったじゃない?」
「そうかぁ?」
潤の記憶の中では確実に嫌々やっていた。女子一人に任せて抜けるなんてことはできないので最後までやったのは自覚がある。それでも嫌々やっているように見えないのだとしたら「(花音、お前と一緒だったからだよ)」と心の中では思うのだが、言葉には出来なかった。
声に出して伝えたい。けど声に出して伝えることでどんな変化が起きるのか。せっかく名前で呼び合えるまで進展したのだからここでまた失敗したくはなかった。妙に冷静になる自分を自覚する。
「あっ、凜が言っていたお店ってここね」
「そうだな、どう見てもここしかねぇよな」
そうして勇気よりも怖気が勝ってしまい、結局本心を伝えられないまま凜が話していた店に着いた。
「あらっ、こんな時間にお客さんかい。それもこんな若いカップルが」
「そ、そんなおばさん、私達そんな関係じゃないですって!ね、ねぇ潤!?」
花火は置いてあるが小さな駄菓子屋も兼ねている店のおばさんに声を掛けられた事で花音は慌てて否定する。潤も花音の顔を見る事が出来ずにいた。もしこの時点でその表情を見ることができていたら何かが変わったかもしれなかったのだが。
「ああ、そうだな。俺達友達ですから」
「そう……です」
これで良い。今はこの関係のままで良いんだ。そう自分に言い聞かせる。変にまたこじらせるわけにはいかない。まだ幸いにも花音には特定の親しい男はいないのだから焦っても仕方ない。
そんなことをずるずる考えている潤は隣に立つ花音が潤の言葉を受けて表情と声の調子を落としていることに全く気付いていなかったのだった。
「まいどあり」
「じゃあ帰ろっか」
「そうだな。こんだけあれば十分だろ」
駄菓子屋で売られていたのは昔ながらの小さな花火、袋詰めされた手持花火と個別に売られている線香花火やねずみ花火。その他にロケット花火やパラシュートが落ちてくる花火など見る人が見たら懐かしく思えるものばかりだったのだが、潤達にとっては新鮮だったのでそれらもいくつか買っていく。
―――帰り道。
「ねぇ、夏といえば花火だけど、潤は花火見に行くの?」
「えっ?花火って隣町のか?」
「うん」
「まぁ……一応行くつもりだけどな」
「そう」
花音はそれ以上何も聞かなかったのでどういうつもりで聞いて来たのかわからないのだが、潤としても安堵していた。仮に誰と行くのかと聞かれたら正直に言うべきか、嘘をつくのか迷ってしまっていたのだから。
潤の方からも必要以上にその話題を広げたくはなかったのだった。
ぼーっと考え事をしていると後ろから車が通り過ぎようとしている気配を感じ取る。
「お、おい!」
「えっ!?」
花音は背後から車が迫って来ている事に気付いていなかった。




