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032 恥ずかしさの上書き

 

「(それにしても、あの笑顔の意味ってなんだったんだろう?)」


 人の少ない場所に着いた後、花音を前にして泳ぎ方を教わるのだが、実は潤はそれほど泳ぐのが苦手ではなかった。人並み程度には泳げるので、花音が泳ぎ方を教えてくれるのだが言葉が入って来ない。

 ナンパ男に絡まれた後に向けられた笑顔について考えていた。


「―――ねぇ、ちょっと?ちゃんと聞いてる?」

「えっ?あ、ああ、ごめん、もっかい言ってくれるか?」

「もう、ほんと仕方ないわね。昔っからそういうところ変わらないんだから」

「まぁ、そら浜崎に比べたら変わってないけどな」

「私?私は……まぁ、確かに中学の時に比べると多少は変わったわね。自覚しているわよ」

「……そっか」


 会話の流れで自然と見た目の変化を口にしたのだが、前はそれに伴ってモテるようになったことを追求してしまって結果怒らせたのだった。理由はわからないが、これ以上聞いてしまうとまた怒る可能性があったのでこれ以上のことは聞けないでいた。


「それでね、深沢君別に泳げないってほどじゃないじゃない?」

「そうか?」

「ええ、それなら二学期の水泳のテストも大丈夫だと思うけど?」

「ならいいか。じゃあそろそろ戻るか?」

「……そうね、じゃあ浜辺まで競争ね!負けた方は罰ゲームね」


 花音に泳ぎ方を教わる以上に進展はなかったのだが、二人きりの時間が作れたので今日のところはこれでいいかと満足してしまう。

 ある程度時間も経ったのでみんなのところに戻ろうと提案すると、花音も少しの間を置いて了承したので海から上がって浜辺を歩いて戻ろうとすることにした。

 そんな中で突然の花音の提案に驚いたのだが、花音は先に浜辺に泳いでいく。


「お、おい!卑怯だぞ!」

「男子と女子の差のハンデよ!」

「ったく!何がハンデだよ」


 花音の方が今の水泳の練習にしても明らかに潤を上回るほどに得意だろうと思う。仕方ないなと潤も花音の後を追うように泳ぎ始めた。


「―――痛っ!」

「おい!どうした!」


 前を泳いでいた花音が突然痛みで声をあげる。慌てて花音の下に泳いでいき、沈みかける花音を抱きかかえた。


「だ、大丈夫、ちょっと足を攣りそうになっただけだから」

「なんだ、良かった。けど、海で足を攣るとか危ないじゃねぇか。急に激しい泳ぎ方したからだぞ」

「う、うん、ごめんね」

「ああ、気にすんな」


「…………」

「…………」


 花音が危ないと思い、慌てて抱きかかえたのだが、その距離はすぐにキスできるぐらいに近かった。お互いすぐに顔を逸らす。しかし、腕に感じる生肌の花音の柔らかさはこれまで感じたことがない程に心を掻き立てるほどの気持ちに襲われる。


「(女子ってこんなに柔らかいんだな)」

「……変なこと考えてないよね?」

「あ、当たり前だろ!?ただ、男として思うところがあることだけは一応伝えておく」

「それは、仕方ないわね。 私が悪いんだし……」


 無言で花音の肌の感触を堪能していると、花音は訝し気に潤を見る。潤も全く考えていないことはなかったのである程度正直に伝えた。


「それにしても、まさかナンパじゃなくてこういう形で抱き寄せるなんて思ってなかったな」

「そ、そうよね。ごめんね」

「ほら、もう足がつくだろ。歩けるか?」

「うん、ありがとう。大丈夫みたい」


 それほど遠くに行っていたわけではないので、軽く泳いですぐに足が着く位置に辿り着いて花音と離れるのだが、柔らかな感触を手放すのが名残惜しかった。だが必要以上に接触して気持ち悪がられても仕方ない。諦めて帰ろうかと思い、腕に残った感触を振り払うように花音の少し前を歩いた。



「―――ねぇ!?」

「ん?」


 花音に呼び止められる声がしたので振り返り花音の方を見る。


「あ、あのね」

「うん?どうした?」


 花音に呼び止められたのでどうしたのかと思うのだが、言葉に詰まっている様子を見せている。何を言おうとしているのか言葉が発せられるのを待つのだが、花音は中々口にできないでいた。


「なんかあるんじゃないのか?」

「う、うん、急な話なんだけど……」

「言いにくいことなのか?」

「言いにくいとかじゃなくて、恥ずかしい……かな?」

「なんだそれ?」


 話の内容が見えてこない。花音から潤に話すことで話しにくくはないけど恥ずかしいこと。一体なんなんだと思う。


「えっとね、凜や野上君って私のこと花音って下の名前で呼んでくれるじゃない?それに杏奈ちゃんや瑠璃ちゃんもそうだし」

「そうだな、まぁ。女子達はともかく、真吾はああいうやつだから凜はもちろん浜崎のことを下の名前で呼んでも気にしないだろうしな」

「それ! 深沢君、凜のことも下の名前で呼んでるじゃない?」

「まぁ、真吾と知り合ったあとに凜と知り合ったから自然と、な」

「そ、それでね、今更なんだけど、もし深沢君が良ければ、わ、私のこと下の名前で、呼んでくれない、かな?」

「えっ!?」


 微妙に視線を彷徨わせながら潤の方に顔を向ける花音の表情は明らかに紅潮している。決して太陽の光が反射しているわけではなかった。


「あ、それは、その、は、浜崎がいいなら、そう呼ばせてもらう、けど、さ。……いいのか?」


 突然の提案にドキドキする気持ちが隠せない。上手く言葉を繋げられなかった。確かにこれは恥ずかしい。


「う、うん、だって、深沢君が一番知り合って長いはずなのに、他の人が下の名前で呼んでくれるから深沢君だってと、そう、思ったから」

「そ、そうだよな、俺が浜崎と一番古い知り合いだもんな。あっ、いや、違った、じゃ、じゃあ、呼ぶぞ……」

「う、うん」

「か……『花音』」

「は、はい」


 なんとか勇気を振り絞って花音の名前を口にする。これまで慣れ親しんだ呼び名から急に呼び方を変えることのむず痒さといったらこう、心の中を掻きむしりたくなる衝動に駆られる。

 一言口にして、なんとか言葉にはしたものの、この気持ちをどう表現していいものかわからなかった。


「―――ダメだ」

「えっ!?」


 花音の名前を呼んで、地面に視線を向ける。頭を掻きむしりながら慣れない名前呼びをして羞恥心が上回る。


「あのさ、やっぱ恥ずかしいわ。これまで呼んでいた呼び方から急に変えるなんてな。それがわかっていたから言いにくそうにしていたんだよな?」

「そ、そうよね。うん、わかっ―――」

「―――だからさ、か、かかかか花音も、俺のこと、じゅ、『潤』って、呼んでくれないか?」

「…………えっ?」


 潤の言葉を受けて明らかに沈んだ表情をする花音なのだが、潤は花音の表情の変化に気付かずに考えていたことを口にする。

 潤としては、どうして自分だけこんなに恥ずかしい思いをして花音の呼び名を変えなければいけないのか。花音に対する有り余る気持ちはあるにせよ、花音にもこの言葉に表せない気持ちを少しでも味わってもらいたくて同様の提案をした。


 潤の提案を受けた花音は想像していたこととは真逆のことを言われたのだが、何を言われたのかと思い、一瞬固まってしまう。


「ほら、どうした?俺だけこんな気持ちになるなんてずるいだろ?ほら、言いなれない呼び方で俺のことを潤って呼んでみな?」

「えっ、いや、その……」

「ほらほら、どうした?自分だけ要求しといて俺のことは潤って呼べないのか?」


 潤は一度言葉にすると胸の中のつっかえが取れたかの様に気持ちが楽になる。花音がしどろもどろになっている様子を見て楽しくなった。


「あー、仕方ないな……花音は。なんだ、呼べないのか?ほれ、俺は呼べるぞ?花音?なぁ花音さん?どうしたのかな?」

「よ、呼べるわよっ! じゃあ……よ、呼ぶわよ!」

「おう、ほら、呼んでみな?」


 先に花音のことを下の名前で呼んでいたので潤の方にはいくらか余裕があった。潤に小馬鹿にされたことで花音も膨れっ面になって決心する。

 静かな、無言の時間が流れるのだが、その無言がまた緊張を誘う。


「じゅ…………潤?」

「…………ん」


 花音によってゆっくりと声に出されるのだが、その名前が呼ばれる柔らかそうな唇をじっくりと見ていた。

 そして潤と呼ばれるのだが、恥ずかしそうに呼ぶ花音の顔を見て潤もまた恥ずかしくなり小さく返事をすることしかできなかった。


「な、なによ!そっちからバカにするように言っておきながら返事もちゃんとできないなんて!」

「ち、ちげぇよ。声が小さかったからだよ!」

「ふーんだ、もう変なこと言わなければ良かった」


 潤の返事に納得できなかった花音は少しばかり拗ねた様子を見せて潤に背中を見せて腕を後ろに組む。水着を着た肌を見せるその背中は包み込めるように可愛らしいのだが、例え拗ねたからといって抱きしめることは叶わない。

 また失敗したのかと思い、追い縋る様に声を掛けようとしたのだが、花音は背中越しに顔だけ振り返る。


「早く行くわよ、『潤』」


 腕を後ろに組んで、足は交差させて片足をつま先で立つ。そして意地悪く笑う花音の顔に思わず見惚れてしまうのだが、その美しい顔に意地の悪さが交わった表情が天使にも悪魔にも見えた。


「お、おう、わかってるよ、か・の・ん!(くっそ、こいつ前以上に可愛くなり過ぎだろ!)」

「ふふっ、もうそう呼ばれることにちょっとだけ慣れたわ」

「ああ、そうだな、あとは皆のところで自然に言えるかどうかだけどな」

「私は言えるわよ?」

「お、俺だって言えるわ! (あー、でも瑠璃ちゃんには先に言っておきたいな。なんか気を遣わせそうだし)」


 潤の脳裏には自分に好意を寄せてくれる少女の顔がチラついたのだった。



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