016 バレンタインデー(後編)
「もうっ!20時には帰って来るって言ってたじゃない!」
「いや、そうだけど、だからってわざわざ店にまで来なくてもいいじゃねぇかよ」
「けど今日は帰る時に連絡してって言ったよ!?連絡がないから心配したんだから!」
杏奈は潤の自転車の後ろに乗りながら杏奈はぶつくさと文句を言っている。
「すまんな。そらそうだけど、予想以上に忙しかったんだって。連絡する暇なんかなかったって!」
「罰として夜風の風除けになってよね!」
「いやいや、もう既になってるから!めちゃくちゃ寒いんだぞ!」
「知ってるよ!私も待ってる間寒かったんだから」
潤が何を言おうとも不貞腐れた様子を崩さない杏奈に対して「(はぁ、もう何を言っても同じだな)」と溜め息を吐き諦める。
「それで?そもそもなんで店にまで来たんだ?」
「それは帰ってから話すよ!だから早く帰ってってば!時間ないんだから!」
「ったく、なんだよそれ。わぁったよ、じゃあ飛ばすからしっかりと掴まっとけよ!」
「えっ?って、―――きゃああああああ!」
店に来た理由を杏奈に聞いても返って来る言葉は家に帰ってからだと言う。訳も分からない状況だけを説明してくる癖に早く帰れと急かすので、少しばかりの腹いせに潤は自転車を立ち漕ぎに切り替える。
途端にスピードが上がり、潤の後ろに乗っていた杏奈は格段に上がったスピードに驚き潤の背中に抱き着くようにして掴まる。
しばらくして家に着いた。
「はぁ、はぁ、はぁ、つ、着いたぞ」
「も、もう、ほんとに、バカじゃないの!?」
息を切らせて自転車から降りる潤に対して、恐怖心からやっと解放された杏奈は安堵して潤を罵倒する。
「いやいや、お前が早く帰れって言ったんじゃねぇか!」
「限度ってもんがあるでしょう!? あー、もういいわよ。とりあえず間に合ったんだから」
「間に合ったって?いい加減理由をだな―――」
何をするにしても文句を言う杏奈なのだが、切り替えて家に帰って来ることの目的を果たせるとばかりに言うのだが、潤には覚えがない。
何を言ってるんだと思うのだが、自転車の鍵を抜くと同時に玄関の扉が開いた。
「……杏奈ちゃん?帰って来たの?」
玄関からそうっと覗き見るように、確認する様にして顔を出したのは瑠璃だった。
「えっ!?瑠璃ちゃん?どうして?」
「……こんばんは」
「ああ、こんばんは……」
「いいから早く中に入ってよ!寒いんだから!!」
「ったく、今日は文句ばっかりだな。って、こら押すな!」
玄関で立ち止まりドアの取っ手を持ったまま固まってしまった瑠璃と軽く挨拶を交わすのだが、杏奈に後ろから押し込まれて中に入る。
「っとと、ご、ごめん!」
「い、いえ、だ、大丈夫です」
杏奈に押されたことでバランスを崩して瑠璃に密着して思わず両手で肩を掴んでしまう。
「あらあら~、潤にぃったら玄関でそんないちゃつかなくていいじゃない」
「ばっ!ばか!お前が押したからだろ!」
「いやいや、不慮の事故だよ。それにほら、瑠璃ちゃんも嬉しそうだからいいじゃない」
「えっ?」
杏奈の言葉に対して慌てて返すのだが、振り返り瑠璃の方を向くと、俯いて恥ずかしそうにしている瑠璃の姿があった。潤から見てもその仕草は明らかに恥ずかしそうにしている姿が容易に見て取れた。
「(いやいや、そんなに可愛い顔されるとさすがに…………)」
その控えめな姿を見て心臓の高鳴りを感じるのだが、高鳴る気持ちを抑えることに必死になる。
「(なんか、こういう姿を見ると瑠璃ちゃんに俺には好きな人がいるって言ったものの申し訳なくなるな)」
「ちょっと、いつまでそうしてるのよ、瑠璃ちゃんも時間もうあんまりないんでしょ?」
「だ、だって、杏奈ちゃんがあんなこと言うからじゃない!」
「そうだった、瑠璃ちゃん、どうしたの?―――って、もしかして今日だか、ら?」
玄関で無言のまま立ち止まっている潤と瑠璃に対して杏奈は靴を脱ぎながら呆れたように声を掛ける。
瑠璃は慌てて杏奈の方に寄っていくのだが、そこでどうして瑠璃がいるかの疑問を思い出した。しかし答えを聞くよりも頭の中を過ったのは今日がなんの日かということを思い出したので口にすると瑠璃は再び恥ずかしそうに無言で浅く頷いた。
「そっか、じゃあ時間がないってのは、もしかして門限?」
「はい、21時までに帰らないといけないので」
「今が20時40分だから……もうすぐに帰らないといけないじゃん」
「そうだよ!だから迎えに行ったんじゃない!」
状況を冷静に分析するとなんとなく事情を察するのだが、知らされてないのだから無理を言うなと思う。
だが、何れにせよとにかく早くしないといけないので思うところはあるのだが、杏奈と瑠璃に付いてリビングに向かう。
リビングに入ると可愛らしく包装された箱が机の上に置かれていて瑠璃はその箱を手に持ち潤の方を向き直る。
「あの、これ」
「うん、ありがとう。それとごめんね、こんなに急ぐことになって。もう少しゆっくり話したかったね」
「い、いえ、私が勝手に来て勝手に作っただけなんで」
手渡されたバレンタインチョコを受け取り同時にお礼と謝罪の言葉を口にするのだが、瑠璃は両手を振り潤のせいではないと慌てふためく。
「とにかく間に合って良かったね」
「うん、ありがとう杏奈ちゃん。じゃあ私そろそろ帰るね」
「あっ、瑠璃ちゃん」
「はい」
帰り支度をする瑠璃が玄関に向かうところで潤が瑠璃に声を掛ける。
「俺送るよ」
「えっ!?そ、そんないいですよ!」
「いやいや、チョコをもらったお礼にそれぐらいはさせてくれ。それに夜道1人だと危ないしね」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて」
困った顔をする瑠璃だったのだが、すぐに潤に送られることを受け入れて嬉しそうに笑顔になる。
「私はか弱い女の子1人で暗い夜道の中お兄ちゃんを迎えにいきましたけどねぇー」
「お前はしつこいな」
「ふーんだ。ちゃんと瑠璃ちゃんを送って来てよね!」
「当たり前だろ!じゃあ行ってくるよ」
微妙に棘のある言い方をする杏奈に対して少しばかり文句を言いながら家を出るのだが、家を出てふと疑問が浮かぶ。
「あれ?そういや瑠璃ちゃん自転車は?」
「あー、杏奈ちゃんが『潤にぃが帰って来た時に自転車があったらばれるから』って言ったので置いてきました」
「……そっか」
家の前に見慣れた瑠璃の自転車がないことでどうしようかと思うのだが、一応提案することにした。
「じゃあ…………後ろ、乗っていく?」
「えっ?」
時間がないのは確かなのだが、瑠璃の家までならまだ歩いてぎりぎり間に合う程度に時間はある。
瑠璃は少し迷う様子を見せるのだが、こくんと小さく頷いた。
「そっか、じゃあ乗って」
潤は自転車に跨り、荷台を軽く叩く。
瑠璃は荷台を少し見つめてそうっと腰を下ろした。
「じゃあ行くよ」
「は、はい」
自転車を漕ぎ始めるのだが、潤も微妙に緊張してしまう。それは後ろに乗っている瑠璃が明らかに緊張をしている様子を見せているのがわかるからだ。
それというのも、瑠璃は潤の脇腹に手を回しているのだが、潤の身体に触れないように服を摘まむ様にしている。
だが、揺れる度に微妙に接触してはすぐに離されるということを何度も繰り返していたからだった。
「(これはこれで微妙に意識してしまうから恥ずかしいな。しかしなぁ……)」
こんな摘まむような掴まり方は危ないと思うので本当ならもう少ししっかりと掴まって欲しいのだが自分のことを好きだと言う子に変な気を持たせてしまうのもなんだと思い、直接何か言えるわけではないので我慢してそのまま進んだ。
「あ、あの、ここで大丈夫です」
5分程経ったところで瑠璃が声を掛ける。
「えっ?けど瑠璃ちゃんの家ってこの公園の裏だよね?」
「はい」
小さな公園の前に着いたところで自転車を停めて不思議に思い振り返り瑠璃を見る。
「もしかして家の前までだと嫌だったかな?親御さんとか?」
「い、いえ、そんなことはないんですが、自転車に乗せてもらったおかげでまだ時間があるのでちょっとだけ話しませんか?」
「あー、そっか、別にいいよ」
瑠璃は自転車を降りながら潤に提案するのだが、スマホの時計を見てもまだ21時まで10分ほどある。歩いても1分程度だから特に問題もない。
「ありがとうございます。じゃあ念のためにアラームをセットしておきますね」
潤が了承したことで瑠璃は笑顔になり嬉しそうにスマホを取り出してアラームをセットする。
そうして公園のベンチに2人で腰掛けて話し始めた。
「そういやどこの高校に入学するか決めたの?」
「えっ?杏奈ちゃんから聞いてませんか?」
正月の時点ではまだ悩んでいる様子を見せていたのだが、時期的にもさすがにもう決めているだろうと思い確認すると、瑠璃は驚いた顔で潤を見た。
「いや、何も言ってないよ?杏奈は俺の学校にするらしいけど」
「そこです、私も先輩の学校にするんですよ?もちろん杏奈ちゃんも知ってますよ?」
「は?」
寝耳に水の話だ。驚き過ぎて変な声が出てしまった。
そういえば杏奈の進路の話をしていた時に妙に不気味な笑顔をしていたのを思い出して「(あいつ~)」と思い、同時に微妙に変な考えというか、少しばかりのもしかしたらという可能性が頭の中を過るのだがどうやって確認したらいいものかと思う。
「あ、あの」
「ん?」
深刻そうな表情を察した瑠璃が心配そうに潤に声を掛けた。
「べ、別に先輩がいるから決めたわけじゃないですからね?」
「あ……、あ、そう?」
正に潤が聞きたかった答えを先に瑠璃が答える。潤としても『俺がいるから?』などといういかにも自信過剰な質問をするほど自分に自信があるわけではない。
「先輩の学校の制服って可愛いじゃないですか」
「まぁそうだな、悪くは無いと思うな」
「それに近くの学校に通うよりもせっかく高校生になるんですから電車通学をしたいですし、親も高校を卒業したら電車を使うことも増えるからって賛成してくれたんです」
「そっか、杏奈も似たようなこと言ってたな」
確かにうちの制服は近隣の学校に比べても比較的可愛い方だと思う。潤は花音のことを思い浮かべながら「(2割増しぐらいには可愛いよな)」と考えてしまっていた。
「受かりそうなの?」
「まぁ、たぶん問題ないと思います」
「なら心配なのは杏奈の方だな」
瑠璃の様子から恐らく本当に問題はないのだろうと思うのだが、杏奈のことを浮かべて苦笑いすると、瑠璃も同様の表情をしていた。
「ま、まぁ杏奈ちゃんも勉強ができないわけじゃないから大丈夫ですよ!」
「だといいけどな」
そこで瑠璃のスマホのアラーム音が鳴り出した。
「あっ……」
「もう時間か。話してるとやっぱ早いな」
瑠璃がすぐさまスマホのアラームを停める横で潤はベンチから立ち上がるのだが、瑠璃はまだ座っている。
「まだ話していたかったな」
「えっ?今なんて??」
小さく呟く瑠璃の言葉を受けて確認する様に聞き返してしまう。
「あっ、い、いえ、なんでもないです! じゃ、じゃあ帰りますね!」
潤に聞き返されたことで瑠璃も聞こえてしまったのではないかと慌ててなんでもないと装いながら立ち上がり公園の出口に向かう。
その背中を見ながら「(聞こえていたんだけど、思わず聞き返してしまった。あー、瑠璃ちゃん可愛いよなぁ)」と思いながらも瑠璃を追う様に歩き始めた。
そのまま無言で家の前まで自転車を押しながら歩く。
「じゃあ、入試頑張って」
「はい、また先輩の後輩になれるように頑張りますね」
瑠璃は可愛らしい笑顔を再び潤に向ける。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
「…………いいよ、先に入って。もう時間だろ?」
「先輩を見送ってから入ります。もう家に着いてますし」
その言葉や表情に仕草だけで思わず照れてしまうのだが、このまま押し問答になっても仕方ないので潤は自転車に跨った。
「そっか、じゃあまたね」
「はい、また遊びに行きます。 あっ、も、もちろん杏奈ちゃんのところって意味ですけど!!」
「ははっ、わかってるよ。じゃあおやすみ」
「は、はい!おやすみなさい」
瑠璃に見送られながら自転車を漕ぎ出すのだが、数メートル走り肩越しに振り返ると瑠璃はまだ玄関の前に立ち潤を見送っている。
そのまま潤が公園の角を曲がるのを確認してから家の中に入っていった。
家に帰り杏奈に瑠璃の進路を言わなかったことに対して文句を言うのだが、杏奈は杏奈で「あちゃー、聞いちゃったか。入学してから知ったら驚くかなとおもったんだけどな」と言っており、よからぬことを考えているのが透けて見えた。
まったく、こいつはと思いながらも風呂に入り自分の部屋のベッドに寝転がり、おもむろにスマホを取り出して画面に映し出された日付に目を送る。
「……今日、バレンタインだったんだよな…………」
スマホの交友アプリをタップして、あるはずのない花音の名前を探す様に画面をスクロールする。
「ここにあいつの連絡先があればどうなっていたかな?」
と、あるはずのない可能性を妄想していた。
―――同じ時刻―――
花音もまた寝間着のままベッドに横になり、スマホの画面に目を向けながら溜息をついている。そして片手に握りしめられている小さな包み紙から一口手に取り口の中に運んでいた。
そうして一月経ち、入学試験の発表日になる。




