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015 バレンタインデー(前編)

 

「ねぇ潤にぃ、今日もバイトに行くんだよね?」

「ああ、今回はバレンタインが終わるまでって話だからな」

「潤にぃがそんなに使えると思わないけどなー。どこを気に入ったんだろ?」

「ばっか、俺の仕事ぶりが評価されたことを素直に喜べよ」


 バレンタイン当日、昼前から外出着に着替えて支度している潤を横目に潤のベッドに寝転がりながら暇そうに不貞腐れている杏奈がいた。


「まぁ私としてはケーキが食べれて満足なんだけどねー」

「ならなんでそんなに不満そうなんだよ?」

「んー、べっつにー。で、今日は予定通り20時には帰ってくるのよね?」

「まぁそうだな、なんもなければ普通に帰ってくるよ」

「じゃあ帰って来る前に連絡してね」

「はいはい」


 不満そうにしている妹の理由がわからないのでなんとも言えない気持ちになってしまう。しかしこのままだと遅刻してしまいかねないので「まぁなんか買って来るからさ」と一言だけ掛けて部屋を出るのだが、杏奈は尚も表情を変えない。

 身に覚えのない杏奈の不機嫌さを気にしつつも潤は家を出る。


 ちなみに今日は潤と杏奈の両親は2人で出掛けることになっている。潤も杏奈も大きくなったのである程度自立したからバレンタインデーに夫婦でデートしているのだという。相変わらず仲の良い親だなと思っていた。



「……さて、っと」


 杏奈は潤の部屋から窓の外を覗いて潤が自転車に跨り家を出るのを確認すると脇に置いてあったスマホを手に取り、どこかに連絡をしている。


「まぁなんにせよ所在が掴める状態で家を空けてくれるのなら良しとするか。 さぁって、準備準備♪」


 スマホを片手に軽い伸びをして潤の部屋を出て階段を下りていった。




「しっかし、今日はいつも以上に寒いな」


 潤が自転車を漕ぎながら向かっているのは冬休みにアルバイトをした高校の同級生、凜の父親の経営するケーキ屋ル・ロマンだった。

 先日、凜の姉である雪から連絡があったのは、クリスマスの時のアルバイトが評価されバレンタインでも店を手伝ってほしいというものだった。冬休みの時と違い、今回は事前に連絡をもらったので1週間程度店を手伝うことになり、今日がその最終日に当たる。

 潤としても特にしなければいけないことがあるわけでもないので、短期のアルバイトならいいかと思いそれを了承したのだった。



「お疲れ様です。今は休憩時間ですか?」


 店の横の路地に自転車を停めて裏口から勝手知ったる様にして入って行く。


「お疲れ様。まぁ今しか休めないしね。今日はバレンタイン当日だけど、今日も忙しくなるわよ」

「はい。けど前日の方が忙しいイメージでしたけど?」

「通常14日が平日なら前日が一番忙しかったりするんだけど、今年は土曜が14日でしょ?日中通常の営業もあるからその分やっぱり忙しくなるわ。まぁそれでも夜にはさすがに手が空くようになるかな?」

「わかりました、とにかく気合入れて頑張りますね!」

「ええ、よろしくね」


 店の中の従業員用の休憩所に入るとショートの綺麗な黒髪の雪が居ていくらか会話をする。

 その内容から昨日の忙しさを思い出して辟易するのだが、潤からしてみれば今日が最終日だと思えばいくらか気が楽になる。

 同時に「(普段からこんな仕事してる雪さんは凄いよな)」と感心するのだった。そのまま慣れた様子で業務に入っていく。




「はぁー、どこが昨日と同じぐらいだよ!昨日よりも忙しいじゃねぇか!」


 そうして覚悟はしていたものの、その忙しさは文字通り目が回りそうな程だった。4時間働いて再び休憩室に戻ると同時に机に突っ伏した。


「ねぇ深沢君は彼女いないの?」

「そうっすね、いれば今日入っていないっすよ」


 潤と同じように休憩に入った他のアルバイトの女子が潤に話し掛ける。


「えー、そうなんだ。かっこいいのにね」

「ねー。もしいないなら私と付き合わない?」

「何をバカなこと言ってるのよ。あんたこの間別れたとこでしょ」

「だから言ってるんじゃない!?別れた直後って妙に人恋しくなるのよ」

「あっ、それはわかるなー」


「ははっ、そうっすか」


 潤よりも年上の女子二人、女子大生らしい二人の軽いノリに付いて行けずに潤は苦笑いしかできなかった。


「(これぐらいの感覚なら俺も瑠璃ちゃんと付き合ってたんかな?)」


 正月の出来事を思い出すのだが、瑠璃は杏奈と遊ぶ時に潤と顔を合わす。ついこの間フラれたとは思えない程これまで通りどころかそれ以上に潤に話し掛けて可愛らしい笑顔を向けて来る瑠璃の様子を見て潤は内心ではドキドキしてしまっていた。

 その度胸というか心の強さがあれば潤も花音との距離をもう少しなんとかできるのではないのかと思ってしまい羨ましく思う。


「あっ、もう時間じゃない」

「さーて、もうひと踏ん張りね。深沢君もがんばろ!」

「はい」


 そんなことを考えていると、時間を見た先輩たちが足早に休憩室を出て行く。


 それから先も日が暮れ始めるまで店の出入りは止まることはなかった。


「はぁ~、疲れたー。まさか一時間残業することになるなんてなー」


 陽が完全に沈んだ頃、外はもう暗くなっているのだが店のガラスの向こうには街灯や店の明かりにより多少通行人の姿が見える。

 店のあまりの忙しさに退勤することが叶わず、そのまま残って作業していたのだった。店の方から頼まれたわけじゃなく、潤の方から申し出たことである。


「お疲れ様。けどまだ終わってないから最後まで気を抜かないで!」

「はっ!?はい!すいません!!」



 店の中に今は客の姿がないので溜息と疲労を合わせた息を吐く潤に対して後ろから声を掛けられた。

 慌てて振り返ると雪が腰に手を当てて立っており、少し怒った表情を見せていた。


「ふふっ、ウソウソ。そこまで神経質になってないわよ。むしろありがとね、助かったわ」


 すぐに謝罪をして振る舞いを正すのだが、途端に雪の表情が綻ぶ。


「えー、びっくりするじゃないですか!」

「えへっ、ごめんね」


 潤に綺麗な笑顔を向ける雪なのだが、その笑顔を見て「(こんな綺麗な人に彼氏がいないんだもんなー。世の中不思議なもんだ)」と、そんなことを考えてしまっていた。


「どうしたの?あたしの顔にクリームでもついていた?」

「い、いえ、なんでもないです!何も付いていませんよ!」

「ほんとにー?なんかあたしの顔を見ていたみたいだけど?」

「本当ですって!(こんな失礼なこと直接言えるわけないじゃねぇか)」


 じっと雪の顔を見つめてしまっていたので雪の方が不思議に思い尋ねて来た。慌ててその場を取り繕うのだが、気の利いた返しが出来ずに戸惑ってしまう。


「怪しいわねー」

「な、何もありませんって!(近っ!)」


 尚も怪しんで顔を近付けて来る雪の顔が間近にくるものだから直視出来ずにいるので視線を逸らせてしまうのだが、その仕草を見た雪は一層怪しんで潤の視線の先に何度も顔を持って来る。

 そんな中、突然雪は潤の顔越しにガラスの外に視線を送り何かに気付いた様子を見せた。


「―――あら?あの子こっちを見ているみたいね」

「えっ?」


 潤も振り返り店のガラス越しに外に視線を送ると、そこには見慣れた顔が潤を睨みつけるように立っていた。

 手を振られたので、思わず外の人物に合わせて手を振り返す。


「(って、杏奈の奴、あいつなんでここに)―――って今何時ですか!?」

「えっ?もう20時をちょっと回ったところだけど……?」


 外に立っていたのは潤の妹の杏奈だった。怒っている表情をしている理由も潤にはすぐに察することができた。


「やべっ!すいません、今日はもう帰りますね!!」

「えっ?あっ、そう?わかったわ、もちろんいいわよ」

「じゃあお疲れ様でした!」

「……お疲れ様」


 外で杏奈が待っているので慌てて更衣室に着替えに向かうのだが、雪に軽く会釈と早口で挨拶を済ませる。

 雪は呆気に取られる様子を見せながら潤の背中を見送った。一言お疲れ様と声を掛けることしか出来なかった。


「もう、あんなに慌てていくなんて……。あの子を見たからよね?」


 雪が店の片付けをしながら店の外に視線を送ると女の子は寒そうにしながら潤を待っている。少しすると潤が自転車を押しながら出て来て女の子に対して何か謝っているのが雪の視界の中に映っているのだが何を話しているのかわからない。

 潤はそのまま女の子と一緒に自転車で2人乗りをしてすぐに走って行った。


「彼女……かしら?クリスマスの時はいないって言っていたわよね?……まぁ…………高校生なんだからいつ彼女が出来ても可笑しくはないわよね」


 雪は潤の後ろ姿を脳裏に映しながら少しばかり思案気になる。そして同時に「あの子、めちゃくちゃ可愛かったわね」と杏奈に対する感想を持っていた。



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