104 らしさ
文芸部の部室に入っていたのだが、部室に部員はいなかった。
窓が隙間程度に開いてあり、風が少しばかり入ることでレースのカーテンがひらひらと揺れている。
傾き始めた日も差し込み始めて、先程まで歩いていた廊下以上の明るさを感じた。
壁際には本棚がいくつもあって小さな図書室かと思わせるようにびっしりと本が差し込まれており、その多くが文芸小説本のようだった。
その部室の中央には机が六台くっついて並べられていて、机の上には文芸部員が作ったらしき冊子が置かれている。そこには『ご自由に手に取ってお読みください』と書かれていた札があった。
「はぁ、やっとフード脱げるわ。ふぅん、それにしても結構雰囲気あるわね」
「響花はそうだろうな。まぁ俺はこんだけ固い雰囲気はちょっと苦手だな」
「なんで!?ここ十分静かな場所で意外な穴場よ?」
「なら文芸部に入ってみるか?」
こうやって提案するのは最近図書室の居心地が悪いっていうのを知っている。
響花は「そうね」と言い、机の上の冊子をパラパラとめくって流し見た。
「それも悪くないかなー。やっぱ人付き合いってあたしには合わないんだなって実感したしね」
「…………」
そう呟く響花がどこか寂しそうに見えてしまう。
何故か言葉を掛けることができなかったのだが、冊子を覗き込みながら風に揺られる髪をかき上げる仕草に色気を感じる。
「……勿体ないな」
「えっ?」
「そんだけ可愛くなったんだ。強要はできないけど、今できることが増えたならやってみてもいいんじゃないか?」
「今できることって?」
声を掛けられることに響花は不思議そうに首を傾げる。
「そうだな、響花は嫌がるかもしれないけど、恋愛とかもそうじゃないのか?もしかしたら世界が変わるかもしれないぞ?」
特に何か思いついて口にしたわけではない。
「恋愛かぁ。小説の中でしか知らないな、あたし」
「だろ?ならさ、見た目で寄ってくる男は当然除外するとして、それでもそういう風に響花のことを見た目だけで判断しない男がいるかもしれないじゃないか」
「…………潤君、みたいな?」
「えっ!?」
突然の問いかけに驚く。
「いや、まぁ確かにそうだな」
響花のことは良い奴だと思っている。見た目に左右されずにそう断言できる。
「なら前に戻してもいいんじゃない?その方が見た目で寄って来ないでしょ?」
「確かにそう思うよ。俺は響花が生きづらい、学校生活が楽しくないって言うなら前のように戻しても良いと思ってるよ。…………けど、もう遅いよ」
「どうして?」
本心である。響花の為を思うとそれも選択肢の一つに入っている。
――――だが。
「個人的な意見だけど、もう響花は学校中に素顔が可愛いって知れ渡ってるんだ。だから今更前みたいに戻したところで響花が可愛くなるって知ってるやつが近付いて来るかもしれないだろ?その見極めをできるなら俺は別にそれで良いと思うけど、その辺はどうなんだ?」
「うーん、わかんないけど、ちょっと難しいかもね」
「だろ?ならどっちにしても同じだったら可愛い方が色々と得すること多いんじゃないか?」
「どうなんだろうね?その辺はよくわかんないわ」
「まぁ詰まるところ、結局俺は響花にくだらない男に引っ掛かって欲しくないってことだよ」
見た目で寄ってくる男、響花が何故あんな格好をしてこれまで生きて来たのか知りもしないで上っ面だけの響花を見るようなやつとは付き合って欲しくない。もっと内面まで見て欲しい。
「――つぅ!」
潤の言葉を受けて赤面している響花がいる。
「…………」
「あれ?俺なに言ってんだろな?」
「…………ねぇ、それって……嫉妬?」
響花に言われて初めてこの気持ちを言葉に表すとどういうことなのかということを理解した。
「そういうわけじゃねえって言いたいけど、たぶんその表現が一番近いんだろうな。あっ!けど別に告白しているとかそういうんじゃねぇからな!響花が良い奴だって思うからこそなんだって!」
「うん、わかってる…………そっか。ありがと」
「ん?ありがと?(あっ、良い奴って言ったからか)」
何故今礼を言われたのか。一体どういうことなのか一瞬わからなかった。しかし、潤と響花の言葉の掛け合いに齟齬が生じていることをお互い知らないまま話は進む。
「ねぇ」
「ん?」
「……潤君は、その、恋愛経験ってあるの?例えば、キス……とか」
「――えっ!?」
唐突な質問にドギマギする。
どう返したらいいものか考え、悩む。濁しても良かったのだが、ここで適当な返事をすることはないようにしよう。
「あるよ」
「――――!?」
具体的な話をするわけではない。ただ一言伝えただけで、響花は俯く。
「どうしたんだ?響花らしくないんじゃないか?」
「……あたしらしさ。あたしらしさってなんだろね。ほら、ここにも書いてある」
響花が視線を落とした先、文芸部の創作冊子のめくられたページの文言。
潤も響花に近付いてその冊子の文字に目を通す。
肩が触れ合いそうなその距離近付いたら、響花はすっと数センチ身体を離れるようにずらした。
「えっと『恋は盲目たることは、その人らしさを失わせることである』か…………。なんか哲学的な表現だな」
「…………恋って、その人らしさを失わせるのかな?」
「さぁ、どうなんだろうな。色んな考え方があるだろうから一概には言えないけど、そういう側面もあるってことは間違いないんじゃないか?ほら、歴史を遡っても恋によって人生が大きく左右される出来事は多くあっただろうし。古くからは中国の三国志の呂布と貂蝉なんかは諸説あるけど割と有名な例なんじゃないか?あと、英雄色を好むって言葉もちょっと意味は違うけど、言葉の生まれた背景を見たらそういうことがあったのかもしれないし。でもまぁ、日本でも北条政子と静御前の話もあるだろ?だから何も悪いことだけじゃないとは思うけど、それでも歴史上で恋は人と切り離せない関係があるのはそうだと思う。まぁ人間だからって言葉で簡単に片付けられる内容かもしれないけど、だからこそ響花も恋を知ることで何かが変わるきっかけになるかもしれないしさ。それに、失わせるってなると後ろ向きな印象を受けるけど、他の方向で考えてみたらどうだ? 例えば……、そうだなぁ…………、新しいその人らしさを生み出させる、とかさ」
真剣にその言葉の意味を考えてみた。どう解釈もできる。この創作者の意図はわからないが、問い掛ける内容のように感じたので妙に考えさせられた。それもきっと潤の身近に連想する人物がいたためだろうか。
「……ふぅん」
「な、なんだよ!?」
「いや、潤君ってやっぱり真面目で優しくて良い人だなって」
「んなこと言ってもなんも出ねぇぞ」
「知ってるぅ」
妙に可愛らし顔で微笑む響花に惹かれるのを感じた。やっぱり響花にはちゃんと恋愛をして欲しい。これまで知らなかった分も含めて。その相手を自分が務めることはないのだが。
「そういう意味では魔女もそうなのかなぁ?」
「えっ?魔女?明日の劇の?」
「うん、魔女は初めて恋を知って、少年の幸せを願ったのよねー」
「作ったの響花だろ?あー、でもそうだな。もしかしたらこういう気持ちがあったのかもな」
「うん、なんとなくわかってきたかも!」
「なにが?」
「えっ?そんなのひみつぅ!」
「意味わかんねぇ」
「まぁいいからそろそろ戻らないと凜ちゃんに怒られるよ?」
そこで部室の掛け時計に目を送ると既に休憩時間を五分過ぎていた。
「おい、なんでお前といるとこんな時間が過ぎるんだよ!」
「えっ?時間を忘れるほど楽しいからじゃないかな?」
「あほなことばっか言ってないで早く帰るぞ!」
「わかってるわよ。せっかちねぇ修学旅行と違って罰があるわけでもあるまいし」
「そういう基準がおかしいんだよ!だから遅刻ばっかしてんだ!ほらっ――」
「――えっ!?」
慌てて響花の手を引き部室を出る。
響花は脱いでいたフードに慌てて手を掛けて再び目深に被るのは潤に今の顔を見られるわけにはいかなかったから。




