2-3 走り出した真実
玲仁と天照をのせた自転車は、ただ提の後を追い走り続けていた。
西日が二人の横顔をオレンジ色に照らす。荷台に座る天照の服の裾が、風になびく。
「玲仁様、学校というのは楽しいところですか」
「え、なに突然」
「今日玲仁様のお父上に学校に行かなくて大丈夫か、と尋ねられました。しかし私は『学校』というものを詳しく存じ上げておりませんので」
本気で言っているのだろうか。いちいち疑ってしまう自分も嫌になる。
「ううん……どうあれ僕にとって学校はとーーーっても退屈なところだ」
「ではなぜ毎日通われるのです?」
「そりゃあまあ、そういう決まりだからさ」
ふふ、と玲仁は笑った。そんな理由、考えてみたこともなかった。これまでただ日々をやり過ごすことしか考えてこなかった。
自分は、結局どうしたいのだろう?
ふと、このまま引き返してしまえば何事もなかったことにできるかもしれない、と玲仁は思った。
キキッ、と甲高いブレーキ音がして玲仁は我に返った。提が横に並び、信号待ちをしている。彼が乗る細身のクロスバイクは、手入れが行き届いているのか嫌味を感じるほど夕日で一際輝いていた。
「センパイ、その自転車で大丈夫っすか?」
「大丈夫って、何が?」
「ここからの坂道は少々きついんで、オンボロママチャリで二人乗りは大丈夫かなあって」
「まあ乗り慣れているし、そこまで遅れはとらないと思うけど」
「ふうん……まあせいぜい気をつけてくださいね。ちなみに僕のはね、ビアンキの2016年モデル。やっぱり、自転車はイタリア製に限りますよ」
提の言葉を玲仁は無視し、信号に目をやった。
ちょうど信号が青になる。
「じゃあ、お先に!」
そう言い放つと、提は颯爽と漕ぎ出し、坂をみるみる上っていく。玲仁と天照がその後に続く。
このあたりは夕見ヶ丘と地区と呼ばれで、坂道と緑が多い地域だ。家からさほど遠くないが、玲仁にはあまりなじみはない。行く用事もないし、あったとしてもきっと周りの風景のことなど、いちいち気にも留めていなかっただろう。
空がオレンジから深いブルーへと移り変わっていく。玲仁が走るその先、数メートルほど先を提が走る。
荷台に座る天照は風を受け、静かに遠くをみつめていた。疑念を抱いている表情は微塵もない。汗ばむ玲仁とは裏腹に、天照の顔は終始涼し気だ。
突然、わざわざ提が速度を落とし玲仁に近づいてきた。
「ねえセンパイ」
「何?」
提が突然振り返り、玲仁に声をかけた。
「せっかくだし競争しません?」
突然の提案に、玲仁は戸惑った。
「ただ走るのもつまらないんで、どっちが先にゴールするか競いましょうよ」
「……好きにしなよ」
「よかった! 退屈で仕方なかったんですよ。ゴールがわからないのはさすがに困るでしょうし、目的地の地図情報を送っておきますね」
はいはい、と玲仁はそっけない返事をする。そんなことよりも今は天照を送り届けた後のことで玲仁は頭がいっぱいだ。
「用意ーースタート!」
提は自分のタイミングで勝手に加速し始めた。一気にペースを上げるのかと思いきや、少し距離をおいてこっちの様子をうかがっている。どうせ勝つのはわかっているから手を抜いてやっているとでも言わんばかりだ。
玲仁も少しいらっとして、こぐ脚に少し力を込める。提が振り向き、嬉しそうに声を上げる。
「やっとノッてきましたね、センパイ!」
「別に」
いちいち癪に障るやつだ。ますます漕ぐ脚やハンドルを握る手におのずと力が入る。
「玲仁様。あの提という方――ご友人でいらっしゃいますか」
「いや、全然」
「なるほど。何を企んでいるのかわかりませんがあの方、嫌な予感します――」
そう言われた直後、玲仁はペダルを漕ぐ脚に若干のつっかえを感じた。
「玲仁様、どうされました?」
「おかしいな……ペダルが回らない」
想像以上に疲労が脚にきているのだろうか。だがいくらなんでも突然動かないのは妙だ。
あらためて姿勢を正し、ペダルに力を込める。
「――!?」
自転車は前に進むどころか、バックし始めた。
「わわっ!」
気づけば、二人をのせた自転車は坂を後ろ向きに下り始めている。
「と、止まれって!」
ブレーキもうまく効かず、玲仁は倒れないようにと必死でハンドルを抑えた。
だが次の瞬間、自転車が段差にぶつかり、二人を乗せた自転車が、ひっくり返った。
「うわああああっ!」
天照と玲仁の体が、勢いよく後方に放り出される。
そのまま後頭部を殴打し、大怪我は免れないだろうとあきらめかけていたそのとき、そばに落ちていたゴミ袋が運良くふたりの体を受け止めた。
すぐに起き上がり、玲仁と天照は目を見合わせる。幸いケガはない。
「なぜこんなところに袋が……」
「……彼らだ」
もぞもぞとゴミ袋が動き、なんとその下から付喪神が四体、もぞもぞと這い出てきた。
「ツクモンッ!」
言葉はわからないが、どうやら彼らがふたりを助けてくれた、と言っている気がする。
驚くべき機転と忠誠心。勝手に戦力外だと思いこんでいた玲仁は、感謝と反省の念を抱かずにはいられない。
ひとまずデッキに登録しておいて正解だったようだ。
どんな些細な能力も、場面と使い方次第で活きてくる。玲仁の短いゲーマー人生の中で培ったノウハウだ。ヤオヨロズとて、それは例外ではない。そう玲仁は確信する。
いつのまにか提が前方で自転車を止め、笑っていた。
「あはは……ごめんごめん。もうさ、我慢できないや。なんていうかほら。あまりにもセンパイがバカ……いや素直なもんだから、つい」
提の豹変ぶりに、玲仁は困惑する。
「最初はドキドキだったんすよ? もしセンパイが熟練の『巫』だったら、俺の正体をすぐに見破ってしまうかもしれないって思ってたからね」
「……巫だって?」
玲仁様、どうやらこの方――」
やはり、提は《《ヤオヨロズを知っている》》。
玲仁は慌ててスマホを取り出す。すると今までに見たことのない通知メッセージが画面に表示されていた。
【巫バトル中: れひと vs つつみ】
【れひと:デッキ編成】
スロット1:天照大神[光]
スロット2:狛犬[地]
スロット3:付喪神[地]
フレンド枠:なし
【つつみ:デッキ編成】
スロット1:未確認
スロット2:未確認
スロット3:未確認
フレンド枠:なし
これは――ヤオヨロズのバトル画面だ。
画面には自分のユーザー名とデッキに登録された神様のアイコンがずらりと並んでいる。一方で画面上部には提のユーザー名が表示されているものの、相手のデッキはわからないようになっていた。
これでついに確信した。今目の前にいる提という少年は――敵だ。
「玲仁様。これは――」
「巫とのバトルだと思う。いつのまにか提にバトルを仕掛けられたんだ」
ただ、そうだとすると少し気になることがある。
「カムナビ、バトルの成立条件は何なの?」
「とある巫が他の巫に対し神の力を用いたときからデス。その時点で攻撃を仕掛けたとみなされ、バトル開始となりマス」
つまり、玲仁は既に攻撃を受けたということになる。今のところ攻撃を受けた心当たりはないが――。
「どうすれば勝利となるのですか?」
「いずれかのデッキの神のHPが全てゼロとなる、もしくはいずれかの巫が負けを認めたとき、決着がつきマス」
提が二人にむかって叫ぶ。
「さあ、ここからが本当の勝負だ。もう一度言うけど、俺を一度でも追い抜くことができれば《《負けを認めるよ》》」
提がにやりと笑い、漕ぐペースをあげる。提が徐々に距離がひらき始める。
「センパイにまた会えるよう、楽しみにしてますよ」
提はそう言い残し、さっそうと坂をのぼっていった。