2-2 葛藤
突然声を掛けられ、玲仁は慌てて付喪神を後方に蹴飛ばす。きゅう、という悲痛な声がきこえた気もしたが一旦聞こえなかったことにした。
背はやや低く、癖の強い波打った髪の一部が目にかかっている。若干不気味さを漂わせるこの少年は、玲仁のことを『センパイ』と呼んでいた。玲仁よりは年下なのだろうか。
「あ、すみません! 突然こんな男に声をかけられたら驚きますよね。俺は提灯行って言います。同じ小宮前高校に通ってるんですけど、まあ僕の方が一年後輩なんで知らなくても仕方ないと思いますけど」
「はあ」
見た目よりも軽快に話すそのギャップに戸惑い、ますます警戒心が強まる。
「何か……用ですか」
「あなた今、家に女の子をかくまってますよね?」
どうしてそれを――?
まだ彼女の存在を学校では誰にもしゃべっていない。可能性があるとすれば父の文世ぐらいだが、この短期間に可能性は低い。玲仁は警戒を強める。
「昨晩、たまたま見たんですよ。あなたと一緒にいるところを。それって……ヤバくないですか?」
「ヤバいって……な、何が」
「だって、彼女って行方不明になっている少女ですよね?」
「えっ?」
「あれ、知らないんですか?3日くらい前から捜索願いが出ている少女。交番にもポスターがあるから、ひと目みてすぐピンときました」
し、知らなかった……。
「あ、でも心配しないでください。ここだけの話ですが彼女の両親が相当な変わりものらしいんですよ。それで彼女も耐えきれなくてこれまでも何度か家出したことがあるみたいなんです。そのたびに何度も捜索願いが出されているらしくて、今回もそうなのではと」
「なんで君はそんなに詳しいんだ」
「あ……僕はただのゴシップ好きなんで……気にしないでください。ただ、このままだとヤバいですよ。もし彼女の両親が君がかくまっていることを知ったら……君を誘拐犯呼ばわりして訴えたりとかするかもしれない」
「え!? それは困る」
「俺もあなたが誘拐犯だなんて思ってないですよ。ただ、なにせ変わりもので有名なんで、何をするかわからない。だから思い切って声をかけたんです」
そ、そうだったのか。
「もしよろしければ、私がその子の家の近くまで案内しましょうか? 下手にみつかる前にこちらから送り届ければ、騒ぎにはならずにすむかもしれません」
本当にこの話を信じてよいのだろうか? ヤオヨロズを巡る奇怪な現象についての疑問は残るが、送り届ける手助けをしてくれるのであれば、真実を確かめるだけでも損はないだろう。
「じゃあなんとか彼女をうまいこと誘い出してもらえますか? 友達と遊びに行くとかなんとかいって――家に返されるとわかれば、逃げられてしまうかもしれないのでくれぐれも警戒されないよう、お願いします」
「……わかった」
玲仁はすっかり提の話のペースに飲み込まれ、その提案を承諾していた。一緒に家まで戻り、提が外で待機している中、何事もなかったかのように帰宅する。
「ただいま……」
「おかえりなさいませ、玲仁様」
天照はリビングで脚立に乗り、窓をふいていた。大胆にも裾をたくし上げ、腰近くでくくりつけている。そのせいでというべきか、おかげというべきか――白く柔らかな太ももが大胆にもあらわになっていた。玲仁は慌てて駆け寄る。
「ちょ、ちょっと天照! 掃除なんてしなくてもいいって」
天照が手を止め、振り返る。玲仁は視線に困り、思わず床をみつめる。
「いえ、長らくお世話になる以上、見合った奉仕をすべきかと」
そう言って、再び窓を拭き始める。上下に動くたびに、その太ももがひらり、ひらりとちらつく。
「と、とりあえずその裾はほどいてくれる?」
「この方が汚れにくく動きやすいのですが……そこまでおっしゃるのであれば」
そう言い放つと、天照は素直に裾をほどき、いつものスタイルに戻った。父の文世がいない間で良かった。もし見ていたらそれこそあのエロ親父の恰好のえじきだ。
あらためてあたりを見渡すと、キッチンのテーブル、椅子、リビングの床から全ての棚にいたるまで、既にピカピカになていた。
「これ……全部、天照がやったの?」
「はい」
これから追い出そうというときに、若干気が引ける。
「あの――天照」
「はい?」
「実はこの後……ちょっと天照を連れていきたい場所があるんだけど、付き合ってもらえる?」
「はい。玲仁様の命令とあれば」
玲仁の提案を疑うそぶりもなく、天照は素直に承諾した。
「わかりました――その前に玲仁様、ひとつよろしいでしょうか」
「え、何?」
やっぱり怪しさが出てしまったのか? 意図がバレてしまったかと、玲仁は身構える。
「これは何です?」
天照が脇に置いていたモップを持ち上げると、中から愛くるしい姿の付喪神の顔がのぞいた。いつの間にかモップの中にあるゴミから生まれたのだろうか。
「ツクモンッ!!」
付喪神がモップの中で暴れまわる。埃が舞い散り、それまでの天照の掃除の成果が台無しになっていく。
「……このまま処分してよろしいでしょうか?」
「いやこれでもいちおう従神らしいから……」」
「なんと。それは失礼致しました」
「ツクモンッ!」
えへん、とばかりに手を腰に当ててアピールする。天照は冷静にその頭をつまみ、持ち上げてどんな生き物なのだとのぞきこむ。付喪神が足をじたばたさせる。
なんだろう――このモヤモヤとした気持ちは。
もちろん可愛い女子が我が家からいなくなるのは残念という思いも間違いなくあるが、良く考えてみれば、この付喪神にしても、身の回りで説明がつかない不思議な事象が多すぎる。本当に彼女はただの家出少女なのだろうか。
しかし、いずれにしろ彼女を家元に連れて行けばはっきりするだろう。
そう信じることが、玲仁にとって何より一番楽なシナリオではあった。