2-1 チュートリアル
あくる日の朝。
玲仁はいつも以上に深い眠りから目覚めた。
おぼろげな視界の中、カーテンの隙間から柔らかな日差しが差し込んでいる。ゆっくりと体を起こすと、背中に一瞬鈍い痛みが走った。
「いててて……」
時計に目をやる。まだ七時だ。
床で寝ていたことに気づき、昨日の出来事を思い返す。
道端で絡まれ、神社で明に突き飛ばされ、謎の少女が現れ、その少女が車にひかれ――少女?
「そうだ、天照!」
慌てて跳ね起き、自分のベッドに目をやった。
彼女が寝ていたはずのその場所には、誰もいない。
「まさか……夢?」
いそいそと一階へと下りていく。すると何やら会話が聞こえてくる。
「うまいッ…こっちもうまいッ! いやあ……どうすればこんなに美味しくできるんだッ!?」
「お口に合うようであればなによりです」
ダイニングに飛び込んだ玲仁の目に飛び込んできたのは、食卓に並ぶ、ふっくらと炊けた白いごはんに、しじみの味噌汁に、焼き鮭とひじきの煮物。それは普段パン食を五分ですませる九十九家の食卓ではなかった。
「なんじゃこりゃ……」
それらを次から次へと口に運ぶ玲仁の父、九十九文世の姿があった。
文世はいつものごとく、白髪混じりの髪を爽やかと後ろに流し、紺のジャケットに白のVネック、くるぶし丈の白いパンツと、年甲斐もなくオシャレに決め込んでいる。
「父さん……どういうこと」
「玲仁、すごいぞ! こんなに家庭的で上等な朝食なんて何年ぶりか」
「玲仁様、おはようございます!」
「これ……天照が全部作ったの?」
「はい。冷えた箱に入った食材はすべて使ってよいとお父様がおっしゃいましたので、できる限りの料理を振る舞ってみました。泊めて頂いたことへのほんのささやかなお返しです」
冷えた箱が冷蔵庫のことだと訂正する気すら起こらず、玲仁はただただ呆然とその光景を眺めている。
「しかしお前も隅に置けねえなあ。こんな可愛い娘を夜中にこっそり連れ込むとは。しっかり成長してるじゃねえか。感心感心」
「何言ってんだよ親父……」
「しかもこれからも毎朝こんな豪華な朝食を食べさせてもらえるなんて、贅沢すぎる話だな」
「これからも? 毎朝?」
「はい。しばらくここでお世話になる以上、最大限奉仕することは従神として当然のことです」
「嘘だろ……」
「ときどきわけのわからないことを言うが、根はしっかり者だぞ。ワハハ!」
いやいや、すんなり受け入れすぎだろ。文世がこういう男であることはもはや今に始まったことではないが、息子ながら父親が心配でならない。
「ただせめて遅くなるときはせめてメールぐらい送れよな? 最近は物騒だからよ、ほれ」
文世がつけっぱなしのテレビに目をむけると、朝のニュースではちょうどここ最近立て続けに起きている連続放火事件が取り上げられている。しかも北東京市内とまさに玲仁の住んでいる地域で起きている話らしい。
「放火魔……またか」
「あまりにも立て続けで起きるから、最近は報道でもこぞって煽って騒いでるぜ」
「そっか……って、のんびりしている場合じゃなかった。もう学校に行かなきゃ。で、僕のごはんは?」
「もう全部食っちまったよ」
「そんな」
「作りたてをお出しするため、玲仁様の起床まで調理は控えておりました。今からお作り致しましょうか?」
「……いや。時間ないし。今日はもう行くよ」
「かしこまりました」
「学生、よく学べや!」
このまま放っておいてよいのかと悩みつつも、時間もない玲仁は仕方なく家を飛び出した。
いつもの食パンを頬張りながら、バス停まで小走りでむかう。まるで美少女と道角でぶつかるような古典的シチュエーションだ――と思いきや、もう既に美少女と出会ったばかりじゃないかと思い直す。
彼女は神様で、巫となった玲仁に仕える身。
その設定、素直に信じてもよいのだろうか?
ぐるぐると思いを巡らせているうちに、あっという間に学校へとたどり着いた。
校門をくぐるときに明のことを思い出した。あんな約束をしたが、出会って絡まられたら嫌だな、と一瞬不安がよぎりはした。しかし無事誰とも出会わず、自分の教室についた。
授業中はずっと頬づえをつきながら、考えるよりも先にスマホをいじっていた。
例の『ヤオヨロズ』のアイコンがずっと視界にちらつく。玲仁は再び昨日の光景を思い返していた。天照の出現。動き出した狛犬。すべて現実に起きたことだ。
彼女を神様と呼ぶには抵抗があるが、もしあの力が本物だとしたら彼女が玲仁の前に現れた理由は何なのだろう? そもそも『ヤオヨロズ』とは一体何なのだ? 悶々と考えていても答えは出ないだろう。だがヤオヨロズをプレイし続けていれば何かわかるかもしれない。
玲仁は学校を終えると、下校ルートから一番近い小さな神社に立ち寄った。
端末を取り出し、ヤオヨロズアプリを立ち上げると、玲仁はおもむろに「カムナビ」の機能を呼び出す。
「コンニチハ。何が知りたいデスカ?」
「カムナビ、『ヤオヨロズ』って一体何なの?」
おそるおそる返答を待つ。
「その問いに対する答えは用意しておりマセン」
「じゃあ、ヤオヨロズは誰が作ったの?」
「その問いに対する答えは用意しておりマセン」
玲仁をため息をついた。回答できない質問に対する定型句。予想はしていたが、ここまで突っぱねられるとやはりげんなりする。
「じゃあ……質問を変えるよ。ヤオヨロズはなぜ僕を選んだの?」
「巫として相応しいと判断されたからです」
「どうしてそう判断されたの?」
「その問いに対する答えは用意しておりマセン」
「ぐう……じゃあこのゲームをクリアしたら何が起きるの?」
「《《エンディング》》をみることができます」
何じゃそりゃ。普通といえば普通だ。だが一方でスマホゲームでエンディングのあるゲームは決して多くない。なぜなら大抵の無料ゲームは、遊び続けさせるためにあの手この手でコンテンツを足し続けるからだ。
「……このゲームをクリアする条件は何?」
「巫ランクが『S』になると、エンディングをみることがデキマス」
とにかくヤオヨロズの正体を知りたきゃ、ゲームを攻略しろってことか。
今、玲仁の頭の中には『お前に解けるか?』とほくそ笑む謎の男のシルエットが浮かび上がっていた。挑戦的なゲームに出会うたびにいつも感じる高揚感に近い。絶対にあいつを見返してやろうという気持ちが湧き上がる。普段、競争意識などない玲仁が唯一やる気に燃える瞬間でもある。ゲームとなれば話は別なのだ。
「じゃあ次の質問。どうすれば巫ランクは上げられるの?」
「巫同士のバトルに勝ち、ランクポイントを獲得する必要があります」
「誰と戦えばいいの?」
「この世界には玲仁様の他にも数多くの巫が存在します。巫であればいつでも他の巫に勝負をしかけることも、受けることもできマス」
「バトルの勝利条件は?」
「どちらかが相手の従神を全て行動不能にする、もしくはいずれかの巫が負けを認めた場合、その時点で勝敗が決しマス」
「負けたらどうなる?」
「相手に自分の神を一体、奪われマス」
「……えっ?」
つまりそれは即、天照と別れる可能性もあるということか。
「一方で一定期間バトルを行わなかった場合は巫失格となり、巫の力がはく奪されマス」
つまりは負けてもバトルを避けても、神を失う。戦いを放棄することも許されない、よくできたルールだ。
もうこうなったらどこまでもまず自分が強くなるしかない。
「よし……カムナビ、確か『ガラッ』を引くと、新しい従神が得られるんだよね?」
「ハイ」
「早速もう一度、試そう!」
玲仁は賽銭箱と『ガラガラ』が置かれた拝殿の前へと立っていた。
「一日三回まで、だっけ?」
「ハイ」
鈴緒を握り、おそるおそる揺らす。
すると昨晩と同じように、端末の画面が輝きだした。
光が収まり、あたりを見回すが、誰も現れた様子はない。
「まさか――失敗?」
念のため、ヤオヨロズ上でデッキ画面を確認する。するとそこにはきちんと見慣れない名前の神が、一体所持枠に追加されていた。
【名称:付喪神 神格:コモン】
念のため、プロフィールを確認する。
【詳細:まだ使えるのに捨てられてしまった物、がらくたなどをご神体とし出現する低級神。体長は十センチ程度と小さく、好奇心旺盛だが愛くるしい容姿を持つ。ゴミの量に応じて数多く召喚される(※個体数に関わらず、デッキ上は1ユニット扱い)。通称『もったいないおばけ』】
「なんだこれは……役に立つのか?」
すると突然、そばに置かれていた段ボールがガタガタと揺れ始めた。まもなく蓋が引き裂かれ、何かが飛び出す。
サイズはかなり小さい。おそるおそる近づいて、のぞき込む。見た目は小さな人形のようだが、間違いなく二本足で立っている。
「もしかして君たちが、付喪神……?」
「ツクモン!」
威勢のいい声で返事をした。愛嬌はたっぷりだが、戦闘員としては頼りなさそうだ。
「なんか、期待していたのと違う……」
そうつぶやくと、付喪神は突然玲仁に飛び移り、猛スピードでよじ登り始めた。
「ツクモーーーンッ!」
「アハ、ちょっと、やめてって……アハハ! くすぐったいってば!」
どうやら、玲仁の一言が付喪神のプライドを傷つけたようだ。
「や、やめろって! 主の言うことはちゃんと聞きなさい!」
すると付喪神はピタリと止まり、飛び降りた。主従関係をあらためて示したことが効いたらしい。
「気をつけ!」
玲人がそういうと、付喪神もピッと足をそろえ、背筋を伸ばした。
「休め!」
ピッ。姿勢を崩し、足を広げる。
ややあてが外れた感じではあったが、統率力と愛くるしさはあるようだ。
無事付喪神をなだめた後、玲仁は再び『ガラッ』を引いた。だが結局残り二回とも『付喪神』が現れるという結果に終わった。
いちおう同じユニットが現れた場合も、ユニットの能力値に『重複ボーナス』が加算されるらしいが、単純に数が増えるわけでもなかった。このへんは運要素が大きいのかもしれない。
「いずれにせよこまめに『ガラッ』に通ったほうが、デッキの戦力増強にはつながりそうだな……」
まだまだ調べたいことがあるが、家に残した天照のことも気にかかる。玲仁は家路へと着こうとした――そのときだった。
「あ、あの。九十九センパイ……ですよね?」
一人の少年が、玲仁に声をかけてきた。