6-12 背水の陣
「うおおおおお!」
提は歯を食いしばり、死に物狂いで走っていた。その後ろを猿田彦が続く。
さらにその後ろからは、のそのそと――だが確実に近づく金山彦神の姿がある。はたからみればただの黒い塊が動いている、といっても差し支えない。照明が少ない敷地内でとにかく不気味さが際立っている。
今だかつて使ったことのない筋肉の部位の疲労を感じながら、死にものぐるいで走っていた提だったが、意外にも先に音を上げたのは猿田彦の方だった。
「旦那……やべえ。足つっちまった」
「マジかよ! えーい、もうやけくそだあっ!」
先ほどの戦闘でのダメージがやはりまだこたえていたようだ。いつもならうるせえ、と言いながらおいていく提だが、この時ばかりは背中で背負いあげ、再び走りはじめている。
「お、旦那以外と力持ちだねえ」
「うるせえ、集中切れるから黙ってろっ!」
相変わらず不気味な迫力をみせながら背後から近づく金山彦神。表情こそ見えないが、全身から殺気を漂わせこちらへと近づいてくる。もはや、さっきまでの理性はどこにも感じられない。
提は猿田彦を背負い、とにかく前へと走る。
「くそっ、こんなことならもっとかわいい女の子を背負いたかった……できれば巨乳の……ああ、まだ死にたくねえよ!」
「そいつぁこっちのセリフでぃ!」
「ああ……このままじゃマジでやべえよ……」
猿田彦が再度後ろを振り返る。金山彦神との距離は確実に縮まってきている。
「さすがに追いつかれるのも時間の問題か……」
「なあ旦那、あそこ上れないか?」
猿田彦が製鉄所の上方へと伸びていくベルトコンベアに指を指した。
「はあ、本気で言ってんのか!?」
「おいらに考えがあるんだ。信じてくれよ」
「くそ……もうどうなっても知らねえぞ!」
提はベルトコンベアに駆け寄る。すると猿田彦がそばにあるレバーに手を伸ばし、引き倒した。するとベルトコンベアがガタガタと音を立て、震えながらゆっくりと動き始めた。
「よし、これで楽々登れるぜ! 引き離すぞ」
提は半信半疑ながらも藁にもすがる思いでしがみつく。とりあえず少しでも太ももが楽になればと思ったが、ベルトコンベアはかなり震動しており四つん這いでバランスをとるのがやっとだ。
「なるほどこりゃいいや……って、あいつも乗っちまったら差がつかねえじゃねえか」
「そんなことねえって。あいつも手負いだしおれたちより遥かに重い。少しずつでも引き離せるだろ。ほら、みてみな」
金山彦神もベルトコンベアにしがみつき、ゆっくりとよじ登り背後から迫ってくる。しかし、自重のせいか、動きは鈍い。ときおりバランスを崩してとどまっている様子がうかがえる。
「なるほど……けどよ。先端まで行ったらどうするんだよ」
「先端?」
「おい猿田彦。ひとつ質問だが……あのベルトの先がどうなってか知ってて向かってるんだろうな?」
「だいじょうぶだって、着地のときにおれが如意棍使ってうまくやるって。以前マンションから落ちたときの要領でさ」
「おい猿、あの先端の真下は『高炉』だ。鉄鉱石が落ちて入る場所。つまり……煮えたぎった高炉だ」
猿田彦は突然静かになった。そして一呼吸おいて、キキッ、と笑う。だがいつもより心なしかかすれて聞こえる。
「冗談悪いぜ旦那あ」
「バカか! アホか! 冗談じゃねえよ! お前の作戦を信じたおれがバカだったぜ……ちくしょう」
「まあそう言うなって。何か考えるから……おっ?」
金山彦神の姿が先ほどより近くに感じる。どうやら足先をうまく縁に同化させ、足先を固定しながら上っているようだ。
「あら……それは予想外よ」
「ことごとく裏目に出てるじゃねえか……どうすんだ!?」
「うーん、もうちょっと考えさせて」
「くそ……お前なんてここで捨ててやる!」
「ば、ばか、やめろよ!」
「従神は死なないんだろ?」
「冗談に全く聞こえないぜ……旦那」
――ヒュッ。
突如、何かが提の頬をかすめた。
「今度は何だ?」
猿田彦が振り向くと、ちょうど猿田彦の正面に黒い物体が飛んできているところだった。
「うわっ!」
棍を振り上げ、当たる寸前のところで弾く。
「こりゃあ……鉄鉱石だ」
「まさか、投げつけてきてるのか?」
もはやなりふり構わずといった様相で、金山彦神がぶんぶんと腕を振っている。悪い予想は的中していたようだ。
「や、やべ。当たったら死んじまうぜ。猿田彦、なんとかしてくれ!」
「しゃあねえ……如意棍!」
猿田彦は背負われながら体をよじり、あられのように次々と投げつけてくる『石』の中から、当たりそうなものだけをかろうじて弾き飛ばした。
「さあ、今の内に先へ……って、旦那?」
提の脚がとまっている。
「旦那、何を突っ立ってんだい。早く行かないと防ぎきれねえぜ」
「……端っこだ」
「え?」
「もう道はない」
提は、愕然とした表情で四つん這いで縁に手足をついたまま、必死でしがみついたまま、真下を眺めていた。大きなすり鉢状の『炉』の中央にぽっかりと空いた大きな穴。見つめているだけで吸い込まれそうになる。
「や、やばい……足が震えてきた」
そういえばそもそも高い所、苦手だったんだっけ。思考停止する提に対し、猿田彦が慌てて怒鳴る。
「旦那ぁ! ぼうっとしてたらまっさかさまだぜ!」
「そそそそんなこと言ったってよ、怖いものは怖いんだよおっ!」
ゆっくりと、金山彦神が近づいてくる。道中の鉱石を取り込みながら、その頭部が鉄槌と化していく。どうやらあれでとどめを刺しにくるつもりなのだろう。
「ココマデ俺を追い詰めたヤツハ……貴様らが初めてダ」
「ええっと……お褒めに預かりまして光栄っす」
「おい、挑発してどうすんだよっ……」
「自ら飛び降りて灰になるか、突き落とされて灰になるか――どちらかを選べ」
「いやあ、贅沢すぎてどっちも選べねえよ……キキッ」
「……時間切れダ!」
そう叫ぶと、金山彦神は頭を垂れ、猿田彦と提にむかって突進し始めた。
「猿田彦! どどどどうすんだ!?」
「奈落へオチロオオオオオッ!!」
金山彦神の頭部が目前に迫る。
「伸びろ如意棍!」
猿田彦が如意棍を突きだす。だがその先端が頭に突き立つばかりで、勢いはとまらぬまま大きくしなる。
「無理だぁあああああああ!」
提の手はベルトコンベアから離れ、二人の体は宙に浮く。
「旦那ぁ、あきらめんなあああ!」
突然、如意棍の先端が広がり、根が金山彦神の頭部に絡みつく。だが二人の体はベルトコンベアの先端から優にはみだし、高炉の真上に浮いている。
「ダメだああああああ……落ちるうううう!」
「提の旦那! 真下に全体重をかけるんだ!」
「ええ、そんなことしたら、落ちちゃうよおおお」
「いいからやるんでえええぇ!」
「くそったれえええええ!」
提と猿田彦は一斉に真下に体重をかけた。ぐうんと如意棍がさらにしなり、てこの原理で金山彦神の巨体が持ち上がる。
「グォオオオオ!?」
「いけえええええええ!!」
さらに力を入れると、金山彦神の体が跳ね上がり、二人の頭上を越えていったすかさず、猿田彦が棍の先端の根をひっこめる。叫ぶ金山彦神が高炉を転がり落ちていき、暗い穴へと落ちていく。
「グアアアアアア!!」
猿田彦はすかさず棍棒の先端の根をベルトコンベアの先端に絡め、かろうじてぶら下がっていた。その体にさらにしがみつく提。
「倒した……のか? ここからじゃ良く見えねえな。旦那、どうだ?」
「知らない。下向きたくない」
「おい頼むぜ。如意棍に力を送るだけでせいいっぱいなんだ……」
おそるおそる下をのぞく提。真っ暗な穴の奥は、どこまでも続く暗闇だ。
「いないよ。溶鉱炉に落ちたらラストって相場は決まってるんだって……」
「そっか、よかったぜ……危ないところだったなあ」
「まだ危ないっつーの! もうこの状況限界……頼む……猿田彦、早く上に戻してくれ!」
「それが……」
「それが?」
「すまん。SP、尽きちまったらしい」
「え?」
根が少しずつ生気を失い、干からびていくのがわかる。ミシミシ、と如意棍の先端が音を立て始める。
「うそだろ? ここまできてまじで洒落にならないって……」
「旦那……あんたと会えて……楽しかったぜ」
ぶちっ。
それは完全に如意棍がベルトコンベアと離れた音を意味していた。
「い、いやだああああああ――!」
こだまする悲鳴とともに、二人の体はあっけなく穴の奥へと真っすぐ落ちていった。




