1-4 行く末
「くそ、なんだってんだ……」
隙をみていち早く混乱から抜け出していた明は、狛犬の襲撃という荒唐無稽な出来事をいまだ受け入れられないまま、汗でびっしょりと濡れたシャツにも気を留めぬまま、自宅へと急ぎむかっていた。
「あのガキ……あいつが全部悪ぃんだ。俺に恥をかかせやがって…明日学校で探し出して、絶対ボコボコにしてやる」
「――どうやらまだ反省されてないようですよ、玲仁様」
明がその声に驚いて振り返ると、天照が暗闇の中に佇んでいた。もっといえば、暗闇の中に天照の全身だけが光り浮かび上がっていた、と表現した方が正しい。その不気味さに明の体がこわばる。
「どうして……どうやって俺の居場所を」
「においをたどったんだよ」
よくみると天照の横に玲仁が立っていた。その足下には先ほどの狛犬もいる。明からすれば忘れたい現実が再びそこにあった。
「狛犬の発動技能……『におい探知』。半径5km以内に存在するにおいのありかを突き止めることができる……だそうだ。僕もここで君に出会うまでは半信半疑だったけど」
「ガルッ!」
「俺のにおいだと?」
「僕の胸ぐらをつかんだときに香水の匂いがしたことを思い出して、試しに僕の襟元をかがせてみたんだ。そうしたら……まっすぐここにむかって狛犬は走り出した」
明はもはや返す言葉も持ち合わせてないようだった。代わりに天照が口を開く。
「玲仁様、彼の処遇はどうされますか」
「うーん……どうしよう」
正直なところここまで来たはいいが、特にその後のことを考えてはいなかった。
「何待ってんだよ。ムカついてんなら俺を殴るなり蹴るなり、さっさと憂さ晴らししたらどうだ? ほら、早くしろよ!」
明がなかば逆ギレ状態でまくしたてる。
「じゃあ……僕にも彼女にも二度と手を出さないって約束してくれ」
「……それだけか?」
「同じ学校に通っている以上、いつまた会うかわからないだろ? びくびくしながら学校生活を過ごしたくないよ。僕にとっては十分大事なことだ」
明は拍子抜けしたのか、少し間を置いて、笑いはじめた。
「おれはこんな奴に追い詰められたのか……バカバカしい。もう……帰らせてもらうぜ」
明はそれだけ言うと、背中を向け歩きはじめた。その背中が暗闇に沈んでいく様子を見届けた後、玲仁は長いため息をついた。
「ふう……よかったあ」
「玲仁様、本当にあれだけでよかったのですか? もっと二度と抵抗する気がおきないよう、徹底的に痛めつけることもできましたが」
「そ、そうね……まあこれで当分ちょっかいは出してこないと思うしいいんじゃないかな…」
天照の猟奇的な言動と涼し気な表情のコントラストに、玲仁は一瞬狂気めいたものを感じた。
「玲仁様がそう言うのであれば、従います」
ふう。ひとまずことなきを得た。
気が抜けると同時に長い息を吐いた。
「そろそろ家に帰った方がいいんじゃないかな? こんな時間だし」
「おっしゃる通りです」
あらためて玲仁はあたりを見回す。すっかりあたりは暗くなっている。
「えっと……じゃあ、行こうか」
そう言って玲仁が歩き出すと、天照がその後ろをついてくる。
「……天照はどちらへ?」
「玲仁様の向かう方へ」
「なんで?」
「玲仁様のお屋敷に泊めさせていただこうかと思っていますので」
「そっかそっか。そういうことね――って、エエエエエエエッ!?」
天照は悪びれるそびれもなく、すっと答える。
「どんなお屋敷か、大変興味深々です」
いやいやいや。普通の一戸建てですけど?
「君の親だってきっと心配しているはず――」
「親? ああ、そういった意味であれば私の唯一のつながりは現在巫である玲仁様のみ。なおのこと私は玲仁様のそばにいるべきです」
なんてこった。本当にまだ自分が神様だと言い張るのか。いやもちろんあれだけ現実には考えられないことが起きたのだから否定できないが……帰るところがないという想像までは及んでいなかった。神様だとしても天界でも何にでも帰るんじゃないのか?
玲仁が悩み黙っていると、天照がはっとした表情で再び口を開いた。
「私としたことが――またやってしまいました。玲仁様の住まいに軽々しく踏み込もうなど、私はまた気づかぬうちに失礼極まりない提案をしてしまっていたのですね。軽率かつ不躾な言動……お許しください!」
「いや、そこじゃなくて」
「宿など如何様にでもなります故、玲仁様は気になさらずお帰り下さい」
「いや、それはそれで心配……」
「では、失礼致します。おやすみなさい、玲仁様」
天照は玲仁が言い終わらぬうちにひらりと背を向け、遠ざかっていった。
複雑な気持ちでその背中を見送りながら、玲仁は今日を振り返る。
それにしても不思議な一日だった。そして……体のあちこち痛い。あと、天照……結構かわいい子だった。もう一度再開するチャンスはあるだろうか……
次々と考えが浮かんでは消え……を繰り返していたそのとき――
キキキィ――――――ガッシャアアアン!!
甲高い車のブレーキ音と、何かが激しく衝突したような音が背後から聞こえた。
「まさかーー」
玲仁は振り返り、慌てて走りだす。
角を曲がったところで、一台の車に勢いよくすれ違う。
そのすぐ先、外灯に照らされた光の中央、黒い影がぽつんとみえる。
そこにーー天照の身体が横たわっていた。