淑女な悪役令嬢は悪女
彼女は王子を見つめていた。
職人がよりをかけて作った人形のような緑の瞳を真っ直ぐにすえて。
まるで、己の無実を訴えるように。
両手はそれぞれ兵士に掴まれ、身動き一つできない状況で、声も上げずにただ見つめている。
美しく高貴な家柄を思わせる少女は膝をつき、ストロベリーブロンドの長い髪の毛先を床に落としていた。
「異論は無いようだな。」
王子はその視線を無視して、彼女を断罪する。
王子の傍らには新しく愛するのものがいた。
「ディマリア、その方は婚約破棄の上、国外追放とす!」
兵士から乱暴に立ち上がらせられた少女の顔は、崩れてしまった彼女の髪の毛で隠されて見なかった。
ただ、髪の束の間から緑色の残像だけが王子の視界に映った。
少女は自分の持てるトランクに本当に大切なものだけを入れていく。
この部屋で過ごすのも最後だ。
部屋よりも少しだけ明るい窓をみる。
月もない夜は星たちが主役だとばかりに輝いていた。
あと数時間経てば辺りは明るくなり、日の出を迎える。
そうなれば、自分の両親とも挨拶もせずに少女は国を旅立つ。
一度旅立てば、王子たちとはもちろん、もう家族とも会うことはない。
独り、野垂れ死ぬのを待つかのように放り出されるのだ。
ドアが開き、男が部屋の中に入ってくる。
少女は手を止めて彼の方を見つめた。
男は少し怒りの表情を浮かべているが、少女の表情はよく見えない。
「彼女のこと愛してらっしゃるのね。」
少女がポツリとこぼした。
男にはそれがとても嫌味に感じた。
「だから何だと言うんだ。貴様の犯した罪は変らぬぞ!」
少女はトランクの横に置いていた宝箱ように美しい装飾を施した箱を手にとった。
そっと男に手渡す。
「私はもう心に焼き付けましたので、お返しいたしますわ。」
箱を開くと箱一杯に手紙が入っていた。
手紙には王家の紋章の封がしてある。
男にはその手紙には見覚えがあった。
それは王子である男が少女に宛てた手紙だった。
お互いに王座王妃の教育を受け、忙しい合間に宛てた手紙。
なんてことはない、定期文のようなありきたりな内容だったと心得ている。
そんな手紙を何故、と男は思った。
「どうかお元気で。」
少女の宝石のような瞳が濡れ、一粒涙が流れた。
その涙は小さな光を集めて、キラリと光って消えた。
その箱を置いて出て行くつもりだったが、男は思わず抱えたまま部屋を出てきてしまった。
少女と男の間にそこまで惜しむような絆など無かった筈である。
男は城に戻ると、確認するかのように自分の書いた手紙を読み漁った。
手紙はそれこそありきたりだったが、自分の手紙を見るたびに少女の手紙の内容を思い出された。
丁寧な言葉と心遣い。
私が体調を崩したと書けば、忙しい中も馬車を走らせて駆けつけてくれた。
話に季節のことを書けば、季節の花の押し花を。
どれもがいつも男の事を思いやっていた。
そんなことを書いてくれた少女の手紙は男の手には一枚も残っていなかった。
ある日を境に男の手紙は冷たく彼女を疑うような内容になり、文章も短くなっている。
ちょうど、心から愛する人が現れた頃だ。
少女の手紙は適当に中を確認しては破り捨てられた。
悪い夢から覚めるように男はハッとして窓の外を見た。
もうすぐ夜が明ける。
急いで馬車を走らせ、少女の屋敷へと向かった。
少女は両手を鎖で繋がれて、古びた馬車に乗せられる。
馬車から降りる時、男は少女と目があった。
お、し、あ、わ、せ、に。
少女の唇がそう動く。
穏やかな顔をした少女は馬車へ押し込められ、去っていった。
夢から覚めたばかりの男は彼女を呼び止めたり追いかけたりするでもなく、ただただ少女が男の前から去って行くのを見つめていた。
少女は隣国の王都の離れに小さな家に居を構えた。
質素だけど、少女が住むには充分な家である。
少女の抱えていたバスケットの中には市場で買った物、ご近所から分けてもらった物など沢山の食べ物が入っている。
その中からオマケでもらったりんごを取り出し、一口かじった。
「ふふ…」
こんなお行儀の悪いこと、と少女は無邪気に笑った。
「ディマリア!」
少女が家の中へ入ろうとした瞬間、呼び止められる。
目の前にはかつての婚約者である彼の国の王子をがいた。
少女は被っていたフードを取り、顔を出すとドレスの裾を摘んでにこやかに挨拶をした。
王子は少女の前で跪いて彼女の手を取った。
「すまなかった。もっとそなたの話を聴くべきであった。」
王子は少女の瞳を見つめ、己を悔い改めるかのように謝罪する。
「お気になさらないで。」
少女は手を握る王子の手にもう片方の手を添えた。
「ならば!」
王子の顔がパッと明るくなった。
「落とした涙をまた掬い上げることはできません。」
少女は優しい笑顔のまま、諭すように王子にいい聞かせる。
「さようなら、私の婚約者だった方。どうかお幸せに。」
王子の手から逃げ出した少女の手が彼の頰をスルリと掠める。
少女は呆然とする王子を残して、家の中へ入っていった。
「良かったのですか?」
家に入った少女にすでに家の中にいた優男が言葉を掛けた。
「盗み聞きなんて悪趣味ね。」
少女の声色変わる。
「悪趣味なのは貴女だ。あれではあの男は貴女に一生囚われたままだ。」
優男は少女を背後から抱きしめ、白く柔らかなうなじに顔を埋めた。
「ふふ。そうね。」
少女が優男の頰に触れた。
顔を上げた優男は少女と目が合い、示し合わせたようにキスをした。
絡み合うような大人のキス。
名残惜しそうにする優男に少女は余裕の笑みを浮かべて離れた。
「準備をしなくちゃ。」
少女はダイアモンドで囲った大粒のルビーのイヤリングを耳につけた。
大きく胸の開いたドレスは夜の様な深い藍色に星空の様に宝石を散りばめ、魅力的な彼女の身体のラインをより演習している。
そこには少女は居らず、大人の女性がいた。
「今日は誰にしようかしら。」
何人もの男が彼女を乞う様に手を差し出す。
彼女はその手のひらを人差し指でひとつずつなぞって行く。
気に入った男性の顔を彼女が両手で捕まえる。
「自由な人だ…」
悔しそうに先程までキスをしていた優男が呟く。
「そう、私は自由なの。」
彼女が目を細めて笑う。
あの清廉な少女はもういない。