なろうには底辺読者しかいないと言われる理由
「なろうの読者はクソ」
「こんな作品が人気なんておかしい」
こんな言葉をよくエッセイなどで見かけると思う。
確かに納得いく部分もあれば、全部が全部そうだとも言い切れないだろう。
じゃあ、なぜなろうの読者はクソなど言われるのか?
テンプレものしか見ないから?
チーレムものしか興味ないから?
別にそれが根本的な理由ではないと私は思うのだ。
ではなぜ、なぜ読者は底辺だと言われるのか?
その答えは「作品のメッセージ性」にあると私は思う。
まず、小説を書いている人に問いたい。
なぜ小説を書いてるの?
人気になりたい?
書籍化されたい?
アニメ化されたい?
自己満足?
それぞれ理由はあるだろうしどれも正解だろう。
だがしかし
本来の作品がどういうものかお分かりだろうか。
まず作品というものはどういうものを作りたいから始まるのではない。
『何を伝えたい』から物語は作られていくのだ。
物語において大事なこと、それは『葛藤』と言われてる。
主人公にひとつの葛藤を与えるだけで物語は大きく揺れ始め人々を世界に引きずり込んでいくのだ。
もちろんそれだけではないし、ラノベでは萌えやウケが重要視される部分もあるので読者を引き込むやり方は人の数だけ存在する。
しかし、人の記憶に残る作品のほとんどはこの葛藤が含まれているのだ。
死に戻りで死ぬほど悩み苦しむ主人公を描いた作品。
アニメの仕事の中で自分はこれからどうすればいいのか分からなくなる作品。
他にもたくさんの葛藤を描いた作品があるが、どれも視聴者の心を見事にえぐり取った。
そして見事にそれらの作品は円盤という形で我々の財布を空にする。
しかし、今のなろうではどうだろう?
トップを行く作品は最終的にどうするかではなくどうやって読者のウケを取るかが考えられている。
どうやって最強にさせるかというそもそも最強にならないと読者はクリックしないという固定概念。
分かる。すごく分かる。
確かに主人公が圧倒的に強いほうが暇つぶしには読みやすいしスカッとする。
それが生前で落ちこぼれだったなら尚更。
よし、人気も出たし書籍化して世間でも人気勝ち取ったる!!
悪いがそこまではいかないと思う。
考えてみて欲しい。
このなろうではリアルどん底の読者がたくさんいるかもしれないが実際の世間はほとんど学校行ってるか会社で働いているからだ。
書籍化までが目標ならここで人気が出そうな作品を考えればいいが、そういった作品はアニメ化されない。ていうかしにくい。
要するにメッセージ性がどれも弱いのだ。
「これが伝えたい!!」
「これで感動させたい!!」
そういった情熱が足りないのだ。
そんなの書いてて楽しいか?
人気取るだけで満足なのか?
感想欄に
「面白い」
「可愛い」
「続き楽しみにしてます」
なんてありきたりな事書かれて心から充実感を得られているのか?
私はそれよりもなろうでは人気がなくとも
「ここのシーンみて泣きました」
「すごく考えさせられる作品ですね」
「あそこのセリフに痺れました!!」
このちゃんと読みましたよと言わんばかりの感想の方が1、2個でも嬉しいと思わないか?
結局我々が書くのは「記録に残る作品」か「記憶に残る作品」のどちらかなのである。
まあ、記憶に残るような作品は大抵売れるのだが前者だけを目指していては人を感動させることは困難だ。
小説家に問いたい。
君たちは読者に何を見せているのかと。
「ネタ帳」か?
「一発芸」か?
本当に、本当に売れたいのならまず
「魂」を見せてみろ。
自分にしか伝えられないことをキャラクターに乗せて読者に訴えてみろ。
数少ないブクマに向かって死ぬ気で執筆してみろ。
それくらいの覚悟がないとまずアニメまでは届かない。
最近のアニメ化など運なのだがリゼロのような作品を見たらアニメ化しないほうがおかしいと思うのは事実なはずだ。
確かに小説なんて8割方は運だ。
面白くても書籍されない作品なんて腐るほどある。
だが、それでもメッセージ性の強い作品は絶対に一度捕まえた読者を簡単に離さない。
それが次第に人気になればなるほどアンチは出るが、それでも読んでくれる人は読む。
我々は作品を産み、そして育て、生かしていくのが仕事だ。
その作品に自分が愛を持って触れれば読者にもきっと届く。
こんなの綺麗事か?
そうとも言い切れない。
なぜならその想いがとあるレーベル大賞に伝わっているからだ。
こんなエッセイで名前を出して申し訳ないが「椅子を作る人」が良い例だと思う。
あの作品のお気に入りの数ははっきり言って物凄く多いかと言われたらそうでもない。
しかし、二次選考の時点でこの作品よりポイントが高い作品があった中、この作品が受賞されたのだ。
見たことのないならこの作品の感想欄を一度見るといい。
正直感想を見ただけで作品の凄さが伝わるから。
さてさて。
話は脱線してしまったが本題に戻ろう。
結論を言えば読者が底辺だと言われるのはその作品のメッセージ性が弱いことに原因があると思う。
作品は何か伝えたいものがあって初めて成立する。
別にそれでなくともいいのだが、もし自分の作品を読んでくれた人がこれをきっかけに考え方が変わって大人になり、子供に自分のメッセージを伝えている姿を想像して欲しい。
それってなんだかすごく感動しないか?
そしてその言葉は次の世代に受け継がれて作品は完結しても自分が死んでも別の形で作品は生きていくのだ。
仮に書籍化されなくともアニメ化されなくとも、それは己にとってかけがいのない財産になる気がする。
それでも記録に残る作品を作りたいのならそれでもいい。
読者が求めるものを書くのも立派な才能だ。
しかし私は、そんな記憶に残る作品がこのなろうで生まれて欲しいことを心から願っている。
最後に一言
「このすば」って面白いよね。
感想意見は遠慮なく。
荒らしでも構いませんがそもそもこのエッセイが荒れてるので戦場にライフル持ってくる感覚でおねしゃすw