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86 姫の剣

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします!

 静謐を保つ回廊。城内が小城百合の脱獄で狂乱の坩堝にある中、ここだけは慌しさとは無縁だった。

 英雄を挟み、見つめ合う二人。

 死体屋と姫。

 美男美女の相対は、絵画にして永久に留めておきたいほどに美しい。

 一級の美術品を思わせる男が、ゆっくりと腰を折り右手を差し出す。流麗な挙措は舞踏会での紳士を彷彿とさせ、虚空に差し出された手は、姫に向いている。しかし、手につけられた白絹の手袋が外されてないことから本気でないと窺えた。


「踊りましょうか、姫」


 冗談めかした笑顔。舞踏会ならば数多の女性を引き寄せるだろう美貌を前に、姫はフッと笑いを零す。

 ゴシックのドレス、そのスカートの両端をつまみ上げ優雅に礼を返す。


「ちゃんとリードしてちょうだいよ?」


 まるで優雅な舞踏会の始まり。本来ならクラシックの一曲でも流れるだろう場面。しかし、舞踏の幕開けは演奏ではなく無遠慮な攻撃によって開始された。


「『黒炎』『黒雷』『黒氷』、始まりを彩るのは三つの三重奏(トリオ)。ついてきて下さいよ?」


 優しく振るわれる両手。指に張り付くように纏われた三種の魔法が、死体屋の動作に反し激しく姫に襲い掛かる。

 上方、右方、左方。曲線を描くように虚空を駆ける魔法。炎は黒く燃え、雷は黒に染まり凶暴性を増し、氷は鋭利な印象を突きつけてくる。いずれも上級魔法を越えた禁術。

 猛り狂い、熱を撒き散らす炎が。紫電を弾かせながら突進してくる雷が。壁面を鋭利な氷塊で埋め尽くさんばかりの氷が。まだ、それだけではないと語っている。


「死体屋さん。貴方、間違ってるわよ?」


 魔王の知識から即座に同種の魔法を抜き取り、無理やり詠唱を破棄して行使する。

 姫の額に汗が浮かぶ。玉に結露したそれは、つーと苦渋の表情を形作る姫の頬に流れた。

 上方、右方、左方は埋められた。ならば、正面は?


「これは三重奏(トリオ)なんかじゃない」


 魔法の勢いを殺すような雄たけびを上げ、一人の男が突進してくる。

 筋骨隆々、しかし一分の無駄もない肉体をした男が、体躯と吊り合わない大剣を掲げている。

 古代の英傑。別名、千人殺しの英雄ユーリクス。無視できない存在が魔法に合わせてやってくる。


四重奏(カルテット)よ」


 魔法と連動した動きには、微塵も間隙がない。同時に全てを対処しないと破滅は必至。

 脳裏で魔王の叡智を検索しようとして、しかし激痛に襲われる。神経が焼き切れるような苦痛が頭蓋を割るかのように響く。

 人の身では魔王の知識さえ満足に振るうことができないのか。

 ――仕方ない。

 即席で割り切った彼女は、簡素な防御壁を張り魔法を放つ。

 姫の指から同種の魔法が三つ放たれる。


「そして、これで七重奏(セプテット)


「詠唱破棄による同種の魔法の対消滅。芸がないですね。それはもう見飽きましたよ」


「……」


 姫は何も答えず、片手に霊剣を携えて正面に駆ける。

 視線の先は英雄。絶対的な死の予感に、姫は僅かに微笑した。


「愚かな。英雄を前に単身挑むとは。気が狂いましたか?」


 姫の決死の突撃は死体屋の哀れみを誘うにとどまる。

 だが、その表情は次第に歪んでいく。

 姫が放った魔法、その行方は死体屋の想定していたものとは僅かに異なっていた。

 黒氷は黒氷と衝突し、粉雪のような魔力の残滓を残し消滅。黒雷と黒雷は互いを削り合うようにして激突し、忽然と姿を消した。

 そして黒炎は、一方は姫に迫り、もう一方は――。 


「馬鹿な……。貴方は一体何を考えている?」


 姫の黒炎は、英雄へと放たれていた。相討ちを意図的に外したコース。その弊害が真っ先に姫の身へと降りかかる。


「あ、あああぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 獄炎に包まれる姫。黒く燃え盛る焔はここぞとばかりに姫の全身を高熱で焼き尽くす。

 舐めるような火炎が姫のみならず虚空も燃やす。

 その場しのぎの防御壁では死を免れるのが関の山。ダメージは余さず姫の身体を蹂躙する。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――でも」


 苦痛のうめき声の中に、一瞬だけ歓喜が顔を覗かす。


「――これでいい」


 姫の放った黒炎が英雄の鎧に衝突。ユーリクスが、ほんの一瞬足を止める。


 ――この瞬間を待っていたのよ。


 刹那、全ての痛みを彼方へと消し飛ばし姫がユーリクスの横合いへと身体を滑り込ませる。


「きひっ!」


 スライドと同時に、霊剣がユーリクスの鎧を貫通し腹を通り抜けた。

 ほんの一撃。ただ、それだけで不屈の英雄は足を止めた。

 ユーリクスが動かないのを一瞥し、姫は自身に回復魔法をかけ服も修繕した。一瞬の命の遣り取りの後には、始まりと変わらない光景が窺えたかのように見えた。

 驚愕する死体屋に、姫が優雅に微笑みかける。


「私の勝ちよ」


 勝ち誇った笑みに死体屋は嘲笑で返した。


「いや、確かに驚きましたよ。黒炎が対消滅でなくユーリクスを狙ったこと、そのために貴方が魔法を受けたこと。でもですね、だからといって勝った気にはならないで下さいよ?」


 死体屋が指を鳴らす。


「起きなさい、ユーリクス。貴方の力はこの程度ではない筈だ」


 死体屋の様相を捉えた姫が、追従するかのように指を鳴らした。


「起きなさい、ユーリクス。貴方の力はその程度ではない筈でしょう?」


 何の真似事かと死体屋が眉根を寄せる中、古代の英雄は緩慢とした動作で振り返った。

 ――後退し、姫を守るように立ちふさぎながら。

 英雄は紳士ではなく姫の意に応えた。

 姫が霊剣をちらつかせる。


皇姫の剣(インペリアルブレード)。斬られた者は私に従う、絶対服従の剣よ」


「…………」


 唖然とする死体屋。それもそうだろう、たった一太刀浴びただけで寝がえさせる能力など誰が予想できたか。

 姫が死体屋を指差す。


「さあ、ユーリクス。露払いよ。彼を倒しなさい」


 元マスターであることに多少の違和感を覚えたのだろうか。ユーリクスの動きは遅々として遅い。

 見かねた姫が一言告げる。


「――女王様の命令は絶対よ」


「……」


 途端、ユーリクスの動きが打って変わって速くなる。

 一連の遣り取りを眺めていた死体屋は、英雄の所有権を完全に奪われたことを悟った。

 悲しい。呆れるほど悲しい、が。


「フ、フフハハハハハ! 出鱈目だ! なんて出鱈目な力なんだ! ……まあ、いいでしょう。ちょうど飽きてましたし、それ(・・)はあげますよ」


「いいのかしら?」


「ええ、どうぞ。寧ろ、僕は今貴方が欲しい。今すぐにでも、貴方を手厚く人形として迎え入れたい」


「ごめんなさい。生憎、私は独占欲の強い方は苦手なの」


「それは残念だ。それじゃあ――殺してから人形にしましょう!」


 死体屋が大仰に腕を掲げる。すると、虚空に複数の棺が出現した。

 ユーリクスが出てきたのと同種の棺。中身は異なるだろうが、あれらの中身も恐らくはユーリクスに匹敵するものに違いない。


「――ッ! 逃げるわよ!」


 姫は即座に撤退を決意。ユーリクスを引き連れて淑女らしからぬ走り方でその場から逃げ出す。

 無論、死体屋が逃走を許すはずがない。


「出し惜しみはしません。さあ、フィナーレといたしましょう!」


 回廊の先を曲がり、死体屋の姿が確認できなくなる。それでも死の宣告は回廊を反響して姫の耳にも届いた。

 あんなのに敵うわけがない。

 単純な数の問題だ。取れる選択は逃走だけ。今はただひた走るしかない。


「幕を下ろすのは僕だ。舞台の終わりには観客の拍手の代わりに最高のプレゼント。あぁ、これを逃すわけにはいかない。全力で狩り――」


「――まあ、その程度にしたまえ」


 死体屋の気分が昂揚し、全ての棺を開放しようとしたとき。その瞬間を見計らったかのように一人の男が姿を現した。

 闇を引きずるようにして現れた男は、全身を礼服で覆っていた。普段のローブは影もない。

 死体屋は彼を視界に入れるなり、落ち着きを取り戻した。


「ああ、なるほど。彼女が禁術を使えたのは貴方のおかげですね?」


 男、クロの現れたタイミングといい姫の異常なまでの魔法への対応力。そして最後に見せた異能(チート)。これらがクロによる影響だとすれば得心がいく。


「ユニークスキルに関しては、彼女独自のものだがね。しかし、私が魔王の抜け殻を渡したのは事実だよ」


「良いのですか?」


「正直、保険がほしくてね。異世界人の未来は見にくいのだよ。いずれにしても、四条慎太が恭平とやらに勝てば強化され、小城百合が勝利すれば二人目の魔王が誕生する。私にとっては損のない、寧ろ有益とさえ言える条件だ。故に――」


「分かってます。これ以上彼女に手は出しませんよ」


「それでいい」


 クロが鷹揚に頷く。

 彼の前では、死体屋も自分の欲求を取り下げるしかない。

 とは言え、それは今だけのことだ。


「じゃあ、もし小城百合が恭平に敗れ死亡した場合は?」


「そのときは君の好きにしたまえ」


「フフ、ありがとうございます」


 死体屋は心の奥底で、仇敵であるはずの恭平を心から応援した。



 相も変わらず回廊は沈黙を保っている。騒乱は一瞬だった。落ち着きを取り戻した回廊に佇む二人の男は、これからのことにそれぞれ想いを馳せていた。

 死体屋は尋ねなかったが、もし慎太が恭平に敗れた場合は――。

 万が一にもそんなことは起こりえないだろうが、もしそうなってしまった場合、柊恭平は最大の特異点と化す。

 それが益となるのか、損となるのか。それはまだ分からない。

 帝国と王国の戦争。そこには、二国だけではなく第三者の陰謀も渦巻いていた。


「フ、フフフ……」


 男の笑いは新たな動乱の幕開けを予感させた。

円卓会議編終わりました。長かった……。

感想などもらえると大変嬉しいです!

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