80 クロの独白
慎太が部屋を出て行ってから少し。城内の一室、様々な意匠が施された貴賓室で男は暇を持て余していた。
普段は纏わぬ礼装に身を包み、美しい黒の長髪を束ねた男は一級の調度品であるソファーに腰掛けていた。品のある人物と格調高い調度品が相俟って、その光景はまるで一流の芸術家が描いた一枚の絵画を思わせる。
男はおもむろにティーカップを持ち上げると、それを流麗な動作で口許に運んだ。
喉仏が僅かに上下する。
静かにティーカップをソーサラーの上に戻すと、感嘆の息を吐いた。
「やはり、文明の進化は偉大だ。1000年前にはこんなものはなかった」
どこか遠くを懐かしむように、悠久の時を歩んできた男は零す。
思い浮かぶのは、この世界の基盤を創り上げた労苦と自分の役割を果たすため傍観してきた数々の歴史。
そして、かつて愛した一人の少女。
――私たちは、同じ時を生きれない。
だから、別れなければいけなかった。辛く、身を裂くような、断腸の思い。
自分だけが人の歩みから外れている。そんな己に嫌気が差し、絶望した。
あの頃からだった。自分が変わり始めたのは。
――守るべき世界を敵に回し、自己の願望の完遂に走り始めた。
それは、今も変わらない。
「私はまだ、『神の呪い』に掛かっている……」
これでは、望みは叶えられない。
神の呪いは、たとえ男がどのような特殊な存在であろうと解くことはできない。
故に、頼るのだ。
神の呪いを解けるのは、等しく神だけ。例外はない。
――私では解けない。どうしようもできない。抗えない。
ならば、神に従えばいい。乞えばいい。自らの望みを晒し、無様に泣きつけばいい。
――どうか、私の望みを叶えてはくれないだろうか。
たとえそれが、世界に、女神に仇なす者であろうと。
どんな命令を下されようとも。
私はただ、望みのために走り続けるだけだ。
「それが、『使徒』たる者の役目なのだから」
――だから、どうか。どうか、この呪縛を解いて私を……。
「…………」
過日、女神を裏切り縋り付いた神に望んだ言葉を思い出しながら、男はゆっくりと立ち上がり扉を開けた。
蝶番が微かに軋んだ音を立てながら、男を室外へと見送る。
やがて閉じられた扉は、無機質に室内に向き直った。
あとに残されたのは、もの寂しい風景と未だ湯気が立ち昇るワンカップの紅茶。
芳醇な香りが室内を満たしていった。
昼にもう一話投稿します。




