79 魔王の余裕
頑張りました……
「何を言っているか分からないな」
内心舌打ちしながら嘯く。
顔がバレればこの国にはいられない。実害がない以上、知らない振りをするのが無難な選択だ。
慎太は柔らかい口調で、底冷えするような眼光を兜で隠しながら続ける。
「人違いではないだろうか?」
「警戒している時に利き手を背後に隠す。お前の癖は変わらないな」
「――!」
視線が右手に動き、僅かに身じろぎしてしまう。慌てて視線を押し止め、正面に向けるとグラインが不敵な笑みを湛えていた。
「お前は、例え激情に駆られたときでも冷静にこちらを窺ってくる。抜け目のない、まったく油断のできない視線。変わらない。纏う雰囲気も、口調でさえも。その一挙手一投足が私に気付けとばかりに諭してきた」
「だから、人違いではないかと」
核心を突いてくるグラインに、苛立ちを隠せない。返す言葉が険のあるものへと変貌する。
グラインは暫く眉間に手をあてると、やがて息を吐いて踵を返した。
「……そうか。では、私はこのことを皆に知らせてこよう。さすれば、流石にお前も兜を脱がれずにはいられまい」
「てめぇ……!」
「やはり、変わらないな。怒ったときのその言葉は」
「クソがっ!」
「なあ、慎太君」
完全に正体がバレたと狼狽し、毒づく慎太に死体屋が口を挟んできた。鬱陶しげにそちらへ向くと、彼はつば広の黒帽子の影に鋭い笑みを浮かべていた。
まるで、悪魔が人に微笑むときのような。
「――殺っちゃいなよ」
慎太が困惑の表情を見せる。
「このまま返したら厄介なことになるよ? そしたら君ももうこの国にはいられない。戦争にも参加できなくなる」
「……恭平」
「ねえ、いいのかな? 本当に殺さなくていいのかな?」
「だが……」
死体屋が凶悪な笑みを近づける。
「殺りなよ。そしたら楽になれるよー?」
「――ッ、なめんな!」
死体屋の整った顔が更に近づいた瞬間、慎太は全力で腕を振り切った。
唸る轟風。軋む空気。
レベル246の拳が死体屋の顔に炸裂する。
ともすれば爆撃に匹敵する一撃を、死体屋はうまく衝撃を逃がすことで軽症に止めた。
だが、それは飽く迄顔面上の話だ。喰らった攻撃は仮にも魔王のもの。ただで済むはずがない。現に、死体屋の首は人体ではあり得ないほどに捻じ曲がっていた。
通常の人間ならば、死に至るほどの異常。しかし、死体屋はそれをものともせず、それどころか痛痒を覚えない様子で愉快気に哄笑を上げていた。
ギシギシと音を立てながら、首を元に戻す。首元に添えた手は相変わらず白い。
「あ、はあぁぁぁぁ。僕を殴ったところで血なんて出ないのに。人間らしさなんて求めないでくれないかなぁ?」
「うるせー。テメーが煽るからだろ」
薄気味悪く笑う死体屋。慎太は隠すことなく舌打ちした。
本当のところ、慎太もグラインを殺したい。自分が彼に何をされたか、脳裏には未だに鮮烈な光景が浮かぶ。あのとき自分を投獄したのも、仲間と切り離したのも彼だった。憎まずにはいられない。殺したい。
だが、それは悪手だ。感情に駆られてはいけない。死体屋はただ、殺しが見たいだけだ。それ以外のことなんて考慮していない。
――殺すことは容易だ。しかし、残った遺骸はどうする? 戦闘音を探知され、兵士が駆けつけにきたら? それ以前に、仲間に俺のことを話していたらどうする?
巡る、巡る。思考が巡る。
果てしなく回る思考は、すぐに答えにたどり着いた。
――こいつの記憶を、書き換える必要がある。
そこまで分かれば、あとは簡単だ。
「死体屋」
「なんだい?」
死体屋が猫のように目を細める。
「姫を片付けてくれ。俺はこいつをやる。……あと、次煽ったら殺すからな」
「最後以外は了解したよ」
返答に顔を歪め、死体屋に振り返る。視線の先に、既に彼はいなかった。どうやら魔法で気配を消したようだ。
慎太は魔眼で死体屋がこの場を去ったことを確認すると、ゆっくりとグラインに向き直った。
「さて、グライン。お前の望みは何だ?」
「認めるんだな?」
低い声で、対象の人物が本人か誰何する。彼は、慎太で間違いないのかと。
慎太は微かに鼻を鳴らした。
「ああ、認めよう。俺は四条慎太だ。その俺に、脅しのような真似をしてまでお前は何を求めている?」
「なに、単純なことだ」
ようやく馬脚を現した相手に、グラインは心の底からの笑みを見せた。
まるで子供のような無邪気な笑みに、慎太が僅かに不快そうな表情を覗かせる。
グラインは背部から漆黒の片手剣を抜き放ちながら、大仰に告げた。
「強者と戦いたくなるのは武人の本能だろう?」
「ハッ、バトルジャンキーが。随分と格好つけるじゃねーか?」
腰を落とし、両肩と水平の位置に剣を構えるグライン。それは、幾つもの戦場を駆け抜け磨きぬいた己の剣技。元は一流派に過ぎなかった技が、いまや我流といえるほどグラインのためだけに研ぎ澄まされていた。
対する慎太は、自然体。ベルベナのときのように、武器すら構えていない。悪戯にグラインを傷つければ、何かのはずみで殺してしまうかもしれないからだ。無論、素手も十分凶器たりうるのだが。
「『武装解除』」
短く呟くと、それまで着用していた鎧が跡形もなく消失した。そのあり得ない現象にグラインは眉を顰める。
空気に散る魔力の残滓が輝く中、黒のインナーとズボンを装備に残す慎太は姿だけ見れば完全に一般人のものだ。防御性など微塵もない格好。グラインが目を瞠るのも道理だろう。
グラインが油断なく構える中、慎太はおもむろに両手を広げた。そして、予期せぬ言葉を告げる。
「十秒くれてやる」
「何!?」
口元を歪ませる慎太にグラインが驚愕する。
慎太は先ほどの思考が嘘のように、泰然自若と佇んでいる。急に頭が空になったとしか思えない、考えなしの発言。
その左眼が充血したように紅く染まっていた。
「十秒の間、オレは何もしない。攻撃もしないし、防御もしない。格好の的となる」
楽しい、ただ楽しい。喜悦が慎太の脊髄を駆け上がり脳髄に染み渡る。
この手で傷つけることができないならば、せめて絶望を味合わせよう。その後に、記憶を消す。
器用なことに、慎太は怒りと理性を両立させていた。より正確に言えば、折り合いをつけたというべきか。激情と理性のブレンドは、なんとも言えない不思議な心地がした。
「……俺を侮っているのか?」
「その通りだ、彼我との差はそれほどだと知れ。だが、十秒たってもオレが健在な場合、そのときはオレも手を出させてもらう。……さあ、好きなだけ打ち込んでこい」
笑みを浮かべながら広げられる両腕。その余裕は、まるで勇者を前にした魔王のよう。
左眼が、炯々と輝いている。
「後悔するなよ?」
「抜かせ、雑魚が」
将軍の言葉を一笑に付す。
――瞬間、地面を蹴り飛ばす音がした。見れば、すぐ傍にグラインの顔が迫っている。
振り上げられる漆黒の剣。禍々しい輝きを放つそれは一目で異常だと分かる。
急迫する剣の影に身を落とされる中、慎太はただ目前の光景を眺めていた。
そこに焦りの色は微塵も見られなかった。
あるのはただ、強者の余裕。




