78 死体屋
遅くなってすいません。
「――では、これにて条約の調印を終えます。双方、批准を行ったのちに可決した場合条約は適用されるものとします」
閑散とした円卓の間に凛然とした真鍋の声が響く。声に合わせるようにして、両国の王は手元に一枚の紙を抱え、目線で会釈した。不満不平は一切ない。利害が一致した条約は、間違いなく批准されるだろう。
条約の内容は以前両国が結んだものと大差ない。今回の条約は、帝国側が前条約を違反したことに端を発しているが――帝国が神聖国を敵国から守護するという名目――帝国は故意に規律を侵したのではなく、内部の反乱により国軍の機能が一時停止した結果に付随したものに過ぎない。神聖国は慎太がいたことで国防にさしたる問題はなく、神聖国としても問題視するつもりはなかった。
寧ろ、神聖国としてはそんなものはどうでもよく、その真意はただ神官を帝国に送ることに尽きる。長い間、神官を通じて帝国の情勢を管理してきたのだ。最早一種の国防装置ともいえるそれを手放すわけにはいかない。
結果としては万事上手くいった。それも神聖国の利益に与する条項が増えたので予想以上の成果だ。
皇帝とクロ。帝国と神聖国の王は、席を立つと互いに歩み寄り、その場の全員の視線を手元に収束させた。慇懃な握手が交わされる。
「クロ殿。此度の条約の調印、感謝する」
「いえ、アルベルト殿。互いの国の繁栄を祈っておりますよ」
形式だけの機械的な笑みが双方に浮かんだ。やがて両者は手を解くと、自らの席に戻り悠然と腰を下ろした。
円卓に再び沈黙の帳が訪れる。為すべきことが果たされた空間には、もう用はない。
クロは引き連れてきた神官に視線で行動を促すと、次いで双眸を慎太に向けた。神官は円卓の対極に座している帝国勢に無言で混じった。慎太もそれに続くように席を立つ。
瞬間、円卓の間が別種の緊張感に包まれる。
――あの後、つまり慎太が皇帝に戦争への参加を伺った後、慎太は戦争への参加を許可された。神聖国の上層部である立場上、彼には帝国将軍とは異なるが同等の権限が譲与されることとなった。しかし、問題はそこではない。皆が一様に身を固くするのはもっと単純な理由からだ。
戦争へ参加する以上、基地に宿泊するのは当然のこと。つまり、慎太が終戦まで帝国にいることになる。より仔細に言えば、同じ皇城で寝泊りすることとなる。ベルベナをも圧倒した彼と近い場所で生活するのは、なかなか精神的にキツイものがあった。
「それでは、私はこれで失礼させてもらうとしよう」
クロが立ち上がり、円卓の間の入り口へと闊歩する。先に立ち上がった慎太は、クロの椅子を引くと元に戻し、護衛としての任を果たすべくクロに追従するように退室しようとする。
――が、それに反するように乱暴に扉が開かれた。
開け放たれた円卓への扉の前。そこには、激しく肩で息をする兵士の姿があった。絶えず発汗するその様相から、ただならぬ様子が窺えた。
「き、緊急事態です!」
焦燥に塗れた相貌が持ち上げられる。
兵士は、目をあらんかぎりに開きながら叫んだ。
「こ、小城百合が脱獄しましたッ!」
悲痛な声が室内に反響し、円卓の間に電撃が走った。
誰もが瞠目する中、クロと慎太だけは目を細めるに止まった。
何かが起こる予感がした。
円卓の間から退室したクロと慎太は静かに相対していた。
場所は円卓の間から少し外れた休憩室。外のホールから慌しい喧騒が聞こえる中、その一室だけは別世界のように静謐さを保っていた。
無論、調度品も一級。文句の付けようがない装飾だ。
だが、慎太の目にはそんなものは微塵も映らなかった。脳内を占めるのは、単純な怒気。
クロは慎太の欲望に答えるかのように、鷹揚に微笑む。
「……行きたまえ。私は一人で問題ない」
「助かる」
懸念が晴れ、慎太は飛び出すように室内を出た。
未だ喧騒の晴れない城内。騒音に紛れるようにして、それは現れた。
「やあ、久方ぶりだね。慎太君」
「『死体屋』か……」
影のようにスッと現れたのは、黒衣を纏う痩身の男。黒のつば広の帽子を被り、背部には背嚢の如く棺桶を背負っている。髪は肩まで伸ばされており、美しいアッシュを覗かせている。顔の造形は何度見ても整っており、細長の面は貴公子という言葉を連想させるほどだ。
その顔を柔和に歪ませながら男は笑った。
「蔑称で呼ばないでくれよ。他にも呼び名はあるだろ?」
「『人形遣い』、『禁術使い』、『禁忌に触れし者』……。こっちの方がよっぽど酷いと思うけどな。俺は『死体屋』の方が言い得て妙だと思うぜ」
「そうかい? まあ、君が変えるつもりがないなら仕方ない。それより、随分と大変なことになってるみたいだね」
死体屋が背後で慌しく城内を駆けずり回る兵士達を一瞥して言う。
「姫が脱獄した」
「姫って……。ああ、小城百合のことか。なるほど、この国の后は死んでるからね」
「あいつは死んでないといけない。また新たな火種になる前に、消しておかないといけない」
呟かれた言葉に、死体屋は口端を緩めた。鋭利な双眸が慎太を覗き込む。
「殺したいっていう欲求と建前。どっちが大事?」
口元に浮かぶのは凄絶な笑み。獣のような危うさを内包した表情が慎太に突きつけられる。
食い入るようにして返答を待つ死体屋に、慎太は静かに答えた。
「あいつが死ねばそれでいい。俺は満足だ」
「つまり、君が殺さなくても、彼女が死んだという結果があればそれでいいと?」
「あとは死体でも蹴れば満足するだろ」
「へぇ~、随分とらしくない答えだね」
「激情は薬みたいなものだ。度が過ぎれば悪影響しか及ぼさない」
「凄いね、きちんと自分を律してる。だからかな、まだ狂ってないのは」
死体屋の笑みが一層深くなる。慎太は彼から目を背けると、微かに溜め息をついた。
「……何のことだよ」
「何って。君の中にある魔王の魂のことだよ。君は本当に興味深い、魔王の魂を入れられても平常でいられるんだから」
「……」
「どうだい? 記憶は定着したのかい? 心地はどうなのかな?」
「……うるせえな」
立て続けに放たれる質問に辟易とする。答えない限り終わらないのだろう。
しかし、言葉の嵐は突如として背後に現れた人物によって断たれた。
「ご歓談中失礼」
振り向くと、そこには漆黒のフルプレートメイルを着込んだ偉丈夫がいた。
鎧と同じ黒の髪を後方に流し、皺の寄った額を晒している。顔つきは彫りが深く、顎からは整えられた髭が伸びている。目つきは炯々としており、慎太たちを捉えたまま微塵も動かない。
「何の用だろうか?」
薄々接近には気付いていたが、彼の意図が窺えなかった。
慎太は今気付いたとばかりに尋ねる。
死体屋はさっきまでの囀りが嘘のように黙りこくっている。
「なに、ひとつ簡単なことを聞きにきただけです」
訝しげに頭を悩ますが、答えは直ぐに明らかになった。
「使者殿。貴方は……」
「四条慎太郎だな?」
敬語をかなぐり捨てた言葉に、僅かに慎太の身が揺れた。
帝国三将軍、グライン。彼は、あらゆる面でベルベナと異なっていた。




