77 囚われの魔女
「今、何を……。貴様、一体何をした!?」
困惑から憤怒へと表情を一転させ、ベルベナが吼えるように問い詰める。
自分の敗北が信じられないのか、怒りの中に困惑の残滓が垣間見えた。
慎太は悠々とベルベナの席から立ち上がると、さもなんとでもないように返す。
「何か特別なことをしたわけじゃない。オレはただ、普通に動いただけだ」
――寧ろ、変なことしたのはそっちだろ?
言外にそう告げる慎太。彼がスキルを使ったのは、体感速度の遅延を解除した一度だけ。後は純粋な勝負の結果だ。
「嘘だ……。でないと、私が……この私が負けるなど、ありえない」
「はぁ」
面倒な女だな。
口には出さずに胸中に止めておく。
自分が絶対だと過信する奴は、一度負けると直ぐに折れる。弱者を経験した慎太ならいざ知らず、この女はそうなのだろう。
遺恨を残さないような戦いをしたつもりが、ベルベナの心を折ってしまった。こんなことで両国の間に溝が出来たりしてしまったら、あとで叱られるのは自分だ。
慎太は仕方なく、ベルベナに敗北の理由を教えてやることにした。
「まあ、負けんのも仕方ねーよ。お前、レベル74だろ?」
「ああ……」
「オレ、246だから」
『ハァ!?』
その宣言に、クロを除いたその場の全員が喫驚した。
追い討ちをかけるように、慎太は皇帝に向き直って告げる。
「皇帝殿。直樹将軍からお聞きしたのですが、今度王国と戦があるそうですね」
今までの横柄な態度が嘘のように、跪き、慇懃な口調。
驚愕の事実に皇帝が困惑している隙につけこむように奏上する。
「その戦に、私を使ってみる気はありませんか?」
その発言に、再び室内が興奮に湧いた。
漆黒が辺りを包んでいる。
薄暗い視界には、レンガで出来た通路と錆びた鉄格子しか見えない。
静寂に守られた通り。その一室に少女はいた。
ぬばたまのような闇に抱擁された少女は、両腕を鉄鎖に繋げられ吊るされている。片足に嵌められたアンクレットから伸びる鎖には、バスケットボール大の鉄球が括り付けられていた。
――痛い、痛い、苦しい、助けて。
負の感情を多分に含んだ絶叫。
絶えず声にならない叫びを上げ続けていた少女はもう、声を上げることすらない。
しかし、それでも死霊は少女に囁く。恨み言を、怨念を、悔恨を、絶望を。まるで親が我が子を諭すように、穏やかに語り続ける。
それが却って少女の恐怖を煽った。
少女の足元には、変色した血痕ができていた。染みのように床に斑点を残すそれは、少女が自害した結果。死ぬに死ねず、自らを悪戯に傷つけただけに終わった悲しい産物。
吊るされた少女に、最早かつての気迫はない。黒髪は乱れ、ツインテールもしなびれている。服装は血痕の染みたボロの囚人服。全身は痣と傷だらけだった。
少女は両腕を吊るされ、ペタンとへたりこんだまま動かない。顔は俯き、表情を窺うことはできない。
「……る。……や……」
少女はしきりに何かを呟いていた。
死霊が茶化すように周囲を飛ぶ。
不意に、カツカツと足音が聞こえた。少女の呟きを掻き消す音は、少女の一室で止まった。
「処刑は一週間後だ」
そこには、見慣れた兵士の顔が。兵士は少女の足元の血溜りを一瞥し、哀れむような視線を向けた。同情も優越もない、純粋に可愛そうという思い。
だからだろうか、彼が足を止めてしまったのは。
「……やる。……し……」
「どうした? 何か言いたいことがあるなら――」
声に振り向く兵士。振り向きざまに、何かが体内に浸食してくる感触。
視線を腹部に下ろすと、そこには――
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる」
「え、あぇ、あ?」
「殺してやるぅぅぅぅぅぅうぅぅぅう!!」
獰猛な殺意が腹部を貫いていた。
手枷の嵌められた少女の右手。その手には、いつしか禍々しい霊剣が握られていた。
不思議と痛みはない。だが、自分の中にある何かが確実に侵されている感覚。
全身が粟立つ。恐怖に駆られて視線を上げると、獣じみた笑みを浮かべた少女と目があった。
「ひ、あ、やめ……」
「ひ、ひひっ。いひひひひひひひ」
分からない。何が起こるっているのか分からない。だが、悪寒がするのはきっと気のせいではない。
兵士は腰に佩いた剣を抜こうとして、手が動かないことに気付く。それどころか、口すらまともに動かない。唯一自由な目を少女に向ける。
向けられた双眸が映し出すのは圧倒的な恐怖。
少女の口元が弧を描く。
「ねぇ、あなた」
それまでの壊れ具合が嘘のように、少女が悠然とした口調で誰何した。
服装はボロ布一枚。体中は痣だらけ。髪も荒れ放題。どうみても不衛生で汚い。そんな彼女が、兵士には物語に出てくるような優美な姫のように感じられた。
不思議と恐怖が収まっていく。
「はい」
脳裏を濃霧が浸食していく。頭が重くて、上手く思考できない。
でも、それが幸せなのだと兵士は直感した。
少女が手枷を持ち上げる。
「そうね、コレを外してくださらない?」
「……はい」
駄目だと誰かが言っているような気がする。だが、同時に命令に従わなければという強い本能が内に働く。
僅かな理性は本能に破れ、兵士は少女に乞われるままに手枷、足枷、錠前、彼女を束縛するものを解いた。
少女はゆっくりと笑みを浮かべて立ち上がる。体の動作を確認するような素振りを見せたあと、そっと首筋に手を宛てると、最後に少女を戒めていた首輪までも外れた。
ガチャンとガラクタが床面に転がる。
それを蹴飛ばした少女は柔らかな表情を一転、嘲笑を浮かべる。
「ありがとぉ。それと、あともうひとつお願いがあるの」
ひひっ、と壊れた喜びを漏らす少女。
彼女はさもあたりまえのことを頼むように、告げる。
「ねぇ、死んで?」
「…………あ、あああ! ああぁあぁぁぁぁあああああああ!?」
兵士は頭を抱えて叫びだす。眼球が飛び出るのではないかと錯覚するほど充血した双眸が優雅に佇む少女を映す。
激痛を発する脳髄。受け入れてはならない命令を受諾する脳。実行しようとする本能。理性は荒波に揉まれて消えていった。
幸福感に満たされた胸中で、兵士は無表情に抜刀する。
「……はい」
命令を、実行。
少女の眼前で血の華が咲く。宙に舞う季節はずれの薔薇。崩れ落ちる兵士の体。それらがスローモーションのように映し出される。
それは、まるで枯れ落ちる華のようで。最期に大輪を咲かせて儚く散りゆく。
飛び散った血が周囲を穢す。その一抹が少女の服に付着した。
眼下には、自分のものより遥かに大きい血溜り。噴水の如く血を噴く腹部。ついに何も映さなくなった双眸と目があって――。
――少女は歪な笑みを浮かべた。
「ひ、ひひっ! いひひひひひひひひひひひひ!」
少女の全身を歓喜が貫く。この世のものとは思えない幸福が少女の体を震わした。
狂笑が辺りに反響し、室内が壊れた少女の声で埋め尽くされる。
「ひひっ、ひひひひひひひひひいらぎくぅぅぅぅぅん。待ってなさい。殺してあげる。殺してあげるからぁぁぁぁ!!」
狂い咲く笑み。そこに衰弱しきっていた面影はなく、かつての栄華を取り戻していた。
――小城百合。稀代の悪女。彼女は処刑一週間前にして脱獄を果たした。
精神を破壊されつくされても尚、その歩みはとまらない。死者を引き連れて、彼女は一歩を踏み出した。
闇の中、魔女は解き放たれた。ただ、一人の少年を追い求めるため。
地下牢に渦巻く憎悪はとても醜く、凄絶に美しかった。
見事に壊れましたねー。
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