76 慎太の強さ
場に満ちた剣呑な雰囲気。重圧が現実的な質量を伴なって降りかかる。
円卓に座するうちの一人、将軍ベルベナは神聖国からの使者である慎太を射抜くように睨んでいた。
兜越しにその視線を受け止める慎太は、将軍に睨まれたにも関わらず恐怖より苛立ちを覚えていた。
チッ、と思わず舌打ちが漏れる。その音を聞き及んだのは隣の直樹だけ。直樹は彼が何をしでかすのか気が気でなかった。
将軍と使者。両者は一歩も引く様子を見せない。
寒々しい場を断つように、口火を切ったのは慎太だった。
「どうしても、取らなきゃ駄目なのか?」
「二度も言わせるな」
ベルベナは威圧的に吐き捨てる。慎太にはそれが子犬が吼えているようにしか見えなかった。
故に、切り捨てる。
「無理だ」
「……なんだと?」
「オレのプライバシーに関わる問題だ。別に、この場で討論を交わすのに不都合はないだろ?」
「不都合?」
ハッ、と唾棄するように口端を吊り上げる。
「陛下の御前だぞ! 素顔を晒すのが当たり前だ!」
「郷に入っては郷に従えってことか? あまりにも旧弊的な考えだな」
慎太もまた、口元を歪ませ獰猛に嗤う。
ベルベナが苛立ちから笑みを浮かべるのに対して、慎太のは単純に哀れむような憐憫の情。下等なものを見る嘲笑だった。
人と蟻のような、次元を画した格の違い。それを体現したような、獣じみた笑み。
兜に隠された押し殺した殺意にベルベナが気づくことはない。
「貴様、陛下を愚弄するか……!」
「オレが愚弄してんのはお前だよ。文脈から気付け馬鹿」
「貴様……!」
「語彙が少ないぞ馬鹿。
そんなお前にいい言葉を教えてやる。『口は災いの元』、不用意な発言は身を滅ぼすっていう意味だ」
自分が馬鹿にされている。それはつまり、帝国の威信である三将軍を――ひいては陛下御自身を馬鹿にされているも同然。自分は帝国の顔、泥を塗られることなど許されない。恥を晒してはいけない。
一歩も引けないと、更に眼光を鋭くするベルベナ。慎太の表情が嘲りから呆れへと変わる。
「いい加減気付けよ。お前の発言が、大好きな陛下の顔に泥を塗っているっていうことをな」
呆れの息を吐くと同時に、突如慎太の背後の闇から実体を現す男の影。
針金細工のように細く、一見頼りなく見える男。しかし容姿は見目麗しく、まるでこの世のものではないように思えた。常日頃身に纏うボロ布のようなローブは失せ、場に相応しい礼服を着用していた。
慎太は微かに目を見張る。彼の知る、絶対的な権力者とはまた別人のような変貌ぶりだった。
顔や身長、肌の色合い、細かなところまで魔法で変えているのだから、印象が変わるのも当たり前のことだ。それを知っていて尚、驚きを隠せない。
男の瞳には、面倒なものを見るような怠惰さが浮かんでいた。
「な、何者だ!?」
声を張り上げるベルベナ。次いで皇帝の叱責が飛ぶ。
「ベルベナ!」
皇帝の声には怒りではなく、焦りが滲み出ていた。
ベルベナは困惑して皇帝を見遣る。
そんな彼女に、皇帝は苦々しく告げる。
「挑発に乗るでない。そして、言葉を発する際は相手を見ろ。お前が狼藉を働いた相手は――」
「初めましてだ、ベルベナ将軍。私は神聖国で王をやっている者だ」
それは遮るように、しかし自然に語られる。
静寂の中響く声は、まるで劇のワンシーンを切り取ったかのよう。
「名は、そうだな。『クロ』とでも呼びたまえ」
一角の人物が集められた円卓の中でも、一際異彩を放っている男は、皇帝が子供のように思えるカリスマと威厳を滲ませ降臨していた。
呆けたように固まっていたベルベナは、言葉を飲み込むや否や深く頭を下げる。
「御無礼、申し訳ありませんでした。一国の王に対する非礼、どうか――」
「いやいや、私のとこのも悪かったからね」
王にしては軽い口調で答える男。却って誠実ささえ感じる言動には、不思議と感動より不気味さが先行した。
男――神聖国国王、クロはさもなんでもないかのように告げる。
「侘びといってはなんだが、この子を斬ってみるかね?」
「……と、申しますと?」
「ふむ、君も切歯扼腕、冷めやらぬ思いを抱えていることだろう。ならば、それを解消するために我が騎士を斬ってはどうかと言ったのだ」
淡々と語るクロに慎太が零す。
「……おいおい」
こんなこと聞いてないと言いたげな不満な声に、クロは慎太にだけ聞こえるように呟いた。
「君も兜を外さないためとはいえ、煽り過ぎだ。できれば私を出さないで欲しかったのだよ? 権力に頼るのはあまりよろしくない。いつだって国が滅びたのは過度な権力の所為だったのだから」
「禍根を残さないように、適当に相手をしろと?」
「なんなら勝ってしまってもいいぞ? 両国のバランスが神聖国に傾くかもしれぬが、君さえいれば国防に問題はない。帝国は飽く迄手段のひとつに過ぎない」
――何より、君の力を試すのにはちょうどいいだろう?
「そうか、じゃあ勝つ」
「なるべく穏便にな」
慎太は分かったとばかりに頷くと、深く息を吐いて起立した。
「皇帝殿、移動するのも手間が掛かる。ここでよろしいかな?」
「貴殿がそういうのであれば」
王同士の確認が取れたところで、両者は静かに相対した。
ベルベナが重く呼気を吐いて剣を抜く。それに対して慎太は何もしない。
腰の剣には一切触れず、自然体のままベルベナの攻撃を促す。
「準備はできたか? かかってこい」
「貴様、構えも取らずに……。舐めてるのか?」
正眼に直剣を構えるベルベナが怒りに顔を歪ませる。
内心憤慨するも、皇帝に窘められた以上激情を言葉にすることは許されない。静かに殺意を言葉に変える。
「……あまり私を舐めるな」
「いや、ちょうどいいハンデだろ。こうもしないと勝負が成立しな――」
鷹揚に語る慎太を無視して、ベルベナが斬りかかった。
円卓を蹴るようにして空を舞う肢体。同じレベルの、それこそ直樹ほどの者でないと気付けないほどの速度。
それに加え、彼女の右目が白銀に輝く。
――瞬間、世界が遅く流れる。
まるで空気が重油のように纏わりつく感触。意思に反して身体が思うように動かない。
ベルベナだけが、変わらぬ速度で動いている。
その事実と能力に慎太は驚愕し、次いで笑みを浮かべた。
兜の下で、紅い輝きが灯る。
白銀を相殺するような怪しい光は、遅々たる速度で進む世界を元の歩みへと戻した。
「――なっ!?」
「オレにそれは効かねぇな」
一陣の風がベルベナを過ぎった。
瞠目するベルベナの髪が風に揺られて靡く。
構わず直剣を振りぬこうとして、ベルベナは気付く。
――いない!?
いつの間にか、視界から鎧姿が消失していた。
やり場をなくした剣は不恰好なまま固定され、ベルベナは慎太が座っていた席の前の机へと着地する。
柳眉を潜めた刹那、無数の髪の毛が宙を舞った。
「――今、何回死んだと思う?」
突如掛かった声に、反射的に振り向く。
背後では、慎太がベルベナの席で寛いでいた。
初めからその席に座していたかのような自然体。ベルベナは驚愕を禁じ得ない。
「落ちた髪の毛の本数を数えてみな」
鷹揚に腕を組み、変わらぬ口調で諭す声。
「――それが、本来ならお前が死んでいた回数だ」
その声には、僅かに歓喜が滲んでいた。




