54 堕ちた勇者の目覚め
神聖国アルティア。女神アルティアを信仰する宗教国家であり、教国などとも呼ばれるこの国は帝国、王国に並ぶ大陸内での有数の国であり三大国家の一角を担っている。
帝国、王国、神聖国。神聖国は三大国家の中で最も歴史の浅い国だが、その公益は馬鹿にできない。
国民の半分以上が農民や貿易商で、その殆んどが敬虔な信徒。著名な貴族なども多数信徒におり、外国とのパイプも広い。広大な国土と肥沃な大地を活用した農業が盛んで、自国での食料自給率は高い。
国を越えた貿易も盛んで、神聖国は貿易の中継地点としてよく利用される。
そのため、宿泊業の利益は常に右肩上がりで、名だたる国家の中でも随一の品質として知られている。
そんな神聖国アルティアだが、ひとつ致命的な弱点があった。
それは、一切の武力をもたないこと。
この国を束ねる教主も近衛や私兵の類を霞ほども所持していない。
治安維持機構は存在するが、軍隊という程の規模ではない。
そのためか、神聖国を拠点にする冒険者は年々減る傾向にある。
では、何故そのような国が生きながらえてこれたのか。
それは、帝国と堅い同盟を交わしているからだ。
国が隣り合っていることから、自然と生まれた同盟だった。
神聖国は帝国に神官を派遣したり、優先的に食料を供給する。その見返りに、帝国が神聖国を他国から守っているというわけである。
実は、帝国内では何度か神聖国を武力によって支配下に置こうといった議案が上がっていたのだが、その度に皇帝の補佐というポストについた神官長が却下していた。
表面的には互いに対等な関係を貫いている。
だが、今その均衡は崩れようとしていた。
「この国では勇者は女神の使いとされている。君が過ごすには最も適している国と言えるだろう」
神聖国の首都アルティス。
国内で随一の高さを誇る聖堂の廊下に二人分の靴音が響く。
教主と一部の貴族のみが居住を許された聖堂、その深部に向かうのはねずみ色のローブを纏う男と、暗い表情を浮かべる一人の少年。
二人は壁に掛かる優美な肖像画など意に介さず歩を進める。
「……お前も女神を信仰しているのか?」
無口だった少年が口を開く。
男は少年を一瞥すると、無表情だった顔に始めて表情を浮かべた。
それは笑み。滑稽だと笑う者の表情。
男がくつくつと声を零す。
「……フッ。確かにそう思うのも道理だな。私はこの国で教主を務めているが、女神など一度だりとも信じたことはない。寧ろ、私の信ずる神は女神と敵対しておるよ」
少年が怪訝そうな視線で男を見つめる。
その瞳から容易に疑念を汲み取った男は、歩を緩めることなく答えを示す。
「人は誰しも心の拠り所というものを求める。恐怖、悲しみ、惜別、そういった感情により生じる隙間を宗教なら容易く埋められる。人は誰しも救いを欲しているのだよ。私はそこに付け入ることによってこの国を建国した。幸い、女神は幅広く知られる存在なので題材としてはちょうどよかった」
「お前は何故国を欲したんだ?」
間髪入れずに放たれた質問に、男は一切表情を動かさずに淡々と答える。
「私は女神とその使徒と敵対していてね。隠れ蓑が欲しかったのだよ。君を連れてきたのも女神の戦力を削るためだ」
「俺が女神の、戦力……?」
不思議そうに眉根を寄せる少年。
男に猜疑の視線が向けられる。
「君は職業選択の際、不思議には思わなかったのか? 選択は許されたか?」
「なんでお前がそれを……。いや、それはいい。確かに選択肢はひとつだった」
そこで少年がハッと顔を上げる。
職業選択を行った場所と、職業を与える者。共通するのは一人。
少年の得心のいった顔に男が相槌を打つ。
「そうだ、女神だよ。君は女神に唾をつけられていた。だから私が連れ去りこちらに引きずり込んだ。君は何も、あんな弱々しい神の下につく必要はない」
「神が、弱い?」
「ああ。今の荒廃した世界では女神の神託を聞ける者など殆んどおらんよ。勇者を召喚した帝国にもそういった人材を送り込んだ。女神が勇者を利用して我が神に刃向かうなどといった愚行を起こさぬようにな」
少年の脳裏にかつて帝国で敵対した神官長の姿が思い返される。
ひとつ舌打ちすると、男に向き直り愚痴を零す。
「神託を聞けるような奴がいたら勇者の待遇は改善されたんじゃないのか?」
「それはありえぬよ。アレはああなる運命だった。誰を派遣しようが結果は同じだ」
「まるで未来が見えているとでも言いたげだな」
男が足を止める。
二人が辿り着いたのは、豪奢な装飾の施された鉄扉の前。
男が扉に手をつくと、鉄扉は左右に開かれ主人の帰還を出迎えた。
男は少年を見て、意味深に呟く。
「特異点を除いては、ね」
「出鱈目だな」
溜め息をつき、少年はもう何度目か分からない鑑定を発動する。
対象は眼前の男。
―――――――――――――――
・不明
鑑定には一定の権限が必要になります
―――――――――――――――
何一つとして分からない。
強力無比なユニークスキルを持ち、人も、勇者をも超越した少年にさえ目前の男は理解できなかった。
「こちらにきたまえ」
「ああ……」
だが、逆らえない。
魔王が言うからにはこの男は信用できるらしい。そして何より、
「これを見ろ」
思考が中断される。
少年は首を左右に動かし、室内の状況を確認する。
鉄扉の中は扉とは違い、荘厳というより静謐といった表現が適切な部屋だった。
部屋全体が夜の帳が下りたように薄暗く、中央のソレだけが眩い燐光を散らしていた。
「あれは?」
「ああ、あれが魔王の遺骸だ。この国は私の他にもアレを隠蔽する役目もある」
ソレは禍々しい玉座に腰掛けていた。如何にも魔王が使いそうな、暗黒としたイメージを連想させる玉座。だが、玉座に掛けているのはおよそ魔王とはイメージの遠いもの。
荘厳な雰囲気をもつ蒼い鎧。闇の中でも尚煌きを失わない、希望を体現するような輝かしい鎧がそこにはあった。
兜のスリットから覗くのは深淵の闇。中には誰もいない。
アレは抜け殻なのだ。
だが、妙だ。あんな神々しいものを魔王が装備するものか?
アレは寧ろ、魔王というより――
「触れてみたまえ。そうすれば、君は完全に近づける」
「……分かった」
コツコツと、床に靴音を響かせながらソレに歩み寄る。
一歩一歩が重い。
抜け殻とは言え、元は魔王の魂があった肉体。魂がなくとも、その威圧感は凄まじい。
少年は背後を振り返る。
その魔王の魂を所持していたのが、今視界に映るあの男。
だから、少年は、少年の中にいる魔王は逆らえない。
その気になれば、いつでも抜き取られてしまうから。
少年の力の源は魔王にある。故に、男の意に反して力を失うわけにはいかなかった。
「触れば、いいんだよな?」
「ああ。それだけでいい」
鎧の前に着いた少年が男に確認を取る。
男の返事を聞くと、ゆっくりと右手を鎧へと伸ばす。
あまりの威圧感に息が荒くなり、視界がブレてくる。
それでも腕を伸ばし続け――触れた。
瞬間。
「――――!」
脳内に自分じゃないものの記憶が溢れかえった。
それは断片的に、しかし確かに少年の脳に刻まれる。
――魔王と勇者の関係
――魔王に掛けられた呪い
――歪なシステム
――分割された魂
――終わらない負の連鎖
刻み刻んで刻まれ刻む。
継承する、記憶を。
自分の中に居た魔王と少年の意識が溶け合っていく。
そして、ゆっくりと目を開く。
「『魔王の左眼』」
少年の左眼が紅く輝く。ルビーのように、炎のように、鮮血のように紅く。
男が手を打ち鳴らす。
「おめでとう、三代目魔王。ここに新たな魔王の誕生を祝福しよう」
少年が紅く輝く瞳で男を睨む。
男は無機質な顔に似合わぬ笑みを浮かべて尋ねる。
「どうしたかね?」
「足りないぞ」
「何が?」
「何が、ではない! オレの右眼は……【魔王の右眼】は何処に行った!?」
取り乱す少年に男が嘆息する。
薄く開いた双眸が少年を静かにしろと睨めつけた。
「君が魔王として覚醒した直後に、君同様魔王に覚醒しかけた者がいた。その者は魔王になることを拒み、片割れの魔王から力だけを抽出した。残念ながら、君の右眼は奪われてしまったのだよ」
「……そいつは誰だ?」
顔を歪めて少年、否、魔王が尋ねる。
男は一拍間を置いてから告げた。
魔王のかつての親友の名を。
「柊恭平」
「恭平……」
口の中で反芻する。
その度に、鎮静しかけていた憎悪が再燃する。
「憎いか?」
「ああ」
彼を見捨てただけでなく、その力さえも奪った男。
憎まずにはいられない。
「では、君の親友から力を取り戻すためにも今はこの国を守りたまえ。君もまだ完全に覚醒したわけではない」
まだ不完全な魔王は男の言葉に頷くと、先程から脳内に響く言葉を口にする。
それは、自分の言葉なのか。それとも他の魔王の言葉なのか。
分からないまま、言葉が漏れる。
「世界は理不尽だ……」
「だから壊す。違うかね?」
「いや、正しいよ」
その日、神聖国アルティアは長らく掲げていた非武装を取り下げ新たな宣言を下した。
それは、この国初の武力保持の宣言。
たった一人の、しかし一軍にも匹敵する絶対無敵の神の使い。
――勇者。
魔王となった少年は再び勇者と呼ばれることになる。
教国の勇者の肩書きを背負い、魔王は世界を壊すために動き出す。
それが誰の意志なのか分からないまま……。




